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第8話 一日一個の約束

 結局、蒼が起きたのは次の日の朝だった。

 同じように紅の腕の中で目覚めて、紅が教えてくれた。


「蒼は自分の霊力を体の外に出したのが、初めてだったんじゃないかな。慣れないと放出するだけで人は相当に疲れるんだよ。目が覚めて良かった」


 紅が強く蒼を抱きすくめる。


「起きない人もいるんですか?」

「いるよ。寝続けてそのまま死んじゃう人もいる。蒼は大丈夫だろうと思ってたけど、なかなか起きないから、少しだけ不安になったよ」


 そんな話は初めて聞いた。

 そもそも自分の霊元も霊力についても、詳しい話を理研にされていないから、知らなくて当然だ。

 使い物にならない被験体の霊力なんか、理研にとってはどうでもいいんだろう。


(寝たままいつの間にか死ぬのも、辛くはなさそう。それも、いいかもしれない)


 ちらりと、紅を窺う。


(僕が死んだら、紅様は悲しいだろうか)


 何気なく浮かんだ疑問を、自分で否定した。


(そんな訳ないか。僕は喰うために買われた餌なんだから。紅様にとってはいずれ失う命だ。でも……)


 眠る前にしていた話を思い出す。


(紅様は、どれくらい長く僕を喰うつもりなんだろう。聞きたいけど、ちょっと怖い)


 命の期限を知るのは、怖い。

 そう考えて、驚いた。


(僕、死ぬの怖くなった、のかな。紅様の元で、ちょっと良い暮らしをさせてもらって、それが続くかもって思っただけで、死にたくなくなったのかな)


 芯が話していたのは、こういう気持ちなのかもしれない。


「蒼、動けそうなら、お風呂入ろうか。それとも、ご飯が先が良い?」


 確かに腹は減っている。

 丸一日近く寝ていたのだから、何か食べたい。


 ちらりと紅の顔を窺う。

 ニコニコと蒼を眺める顔は、風呂に入れたそうに見えた。


「お風呂に、します」


 伝えた途端に、蒼の腹が豪快に鳴った。

 紅が蒼の頬を、むにっと摘まんだ。


「お腹が空いたなら、そう言いなさい。理研からくる子は皆、俺の顔色を窺って言葉を選ぶけど、蒼は特に酷いね。どうしたら直るかな」


 紅が困った顔で首を捻っている。


 そうは言われても、そういう生き方しか知らないのだから、蒼自身もどう変えればいいか、わからない。

 命令に従順で逆らわず、相手が望む通りの行動をとっていれば、辛い思いはしなくて済んだ。

 けれど、紅はそういう蒼を望んではいないらしい。


「命令してくれたら、その通りにします」

「ダメだよ。何の解決にもなってないよ」


 懸命に言葉にした提案は、あっさりと却下された。

 考えあぐねていた紅が、ぱっと思い付いた顔をした。


「毎日一つ、自分の望みとか願いを俺に教えて。蒼の本当の気持ちが知りたい」

「僕の、本当の、気持ち?」


 あまりに意外な言葉だったので、理解できずに繰り返してしまった。


「昨日の万華鏡、覚えてる?」


 蒼は頷いた。

 紅が蒼にくれると言った万華鏡は、枕元に置いてある。


「色んな色があったけど、蒼は赤い色を選んだよね? どうして? 他の色に変えてもいいよって言ったけど、変えなかったよね。理由は?」


 理由とか、聞かれても困る。

 箱の中に沢山入っていた万華鏡は、赤とか青とか緑とか黄色とか、筒の色が沢山あった。

 一番上の、取りやすい位置にあった筒を選んだだけだ。


(でも、変えなかった理由は……)


「赤が、綺麗だったから。紅様の瞳の色と同じだったから、です」


 覗き込んだ万華鏡の中は沢山の宝石がくるくる回って、その一つ一つが紅の瞳のようだと思った。

 初めて見た時も、紅の赤い瞳を、とても綺麗だと思ったから。


 恥ずかしくて、顔が自然と下がる。

 頬が熱い。きっと赤い顔をしていると思うと、顔を上げられない。


「蒼……」


 紅が呟いて、伸びた腕が蒼を抱き寄せた。


「やっぱり聞いて良かった。蒼も少しは俺を、好きになってくれてる?」


 蒼は小さく頷いた。

 言葉にするのは恥ずかしい。

 それに、この気持ちが紅が望む「好き」なのかも、わからない。

 親切にしてくれる妖狐に情が移っているだけなのかもしれない。


(だって、紅様のこと、何も知らない。まだちょっとしか、どんな性格かとか、わからない)


 芯に聞いた話と、この四日間で自分が見て聞いた紅だけだ。


(もっとたくさん知らないと、わからないから、知りたい。紅様が、どんな妖狐なのか)


 好きになれるかどうかは、わからないけど、知りたいとは思った。


「これからも俺に、蒼の本当の気持ち、沢山教えてね。蒼をもっと知りたいんだ」


 自分が思っていたのと同じ言葉を言われて、ドキリとした。


(紅様も、僕を知りたいって、思ってくれてるんだ。知りたいって、相手に興味がないと、湧かない感情なんだな)


 紅が蒼に興味を持ってくれているのだと、改めて理解した。


「……誰かに、知りたいって、言ってもらったのは、初めてです。嬉しい、です。僕も、紅様を、今より、知りたいと思います」


 蒼という人間に興味を持ってくれたのは紅が初めてだ。


(いや、前にも一人、いた。芯が教えてくれた、保輔。彼は、ちゃんと僕に声をかけてくれたのに)


 蒼という人間を見て、蒼という人間に声をかけてくれた、唯一の人だったかもしれない。

 あの頃の自分は、素直に受け入れる気になれなかった。


(でも今は、紅様に知りたいって言われて、素直に嬉しかった)


 紅が蒼に頬ずりした。

 スリスリしすぎて、火が吹くんじゃないかと思うくらい、スリスリしている。


「紅様……?」


 抱く腕もどんどん強くなって、いつの間にか紅の膝の上に乗っていた。


「可愛い、蒼。可愛いよ。今すぐ食べちゃいたいくらい、可愛い」


 紅が言う「食べる」は、本当に喰う意味合いだから、洒落にならない。

 この空腹で喰われたら、流石に苦しいんじゃないかと思う。


「俺を知りたいと思ってくれて、嬉しい。蒼には話したいコトが、たくさんあるんだ。だけど、ゆっくり順を追って話すね。まずは、蒼のご飯にしよう」


 蒼を抱いて、紅が立ち上がる。


「え? 紅様。さすがに、このまま部屋を出るのは。着替えたりしないと」


 いくら紅の私宅とはいえ、開けた寝間着でうろつく訳にはいかない。


「うん、着替えは俺がしてあげる。ご飯食べたら、お風呂でピカピカにしてあげるからね」


 当然のように隣の間に運ばれる。


「お風呂、一緒に入るんですか?」

「うん、入る。蒼が可愛いから、今夜から毎晩、一緒に寝るって決めた」

「……え?」


 それは毎晩喰われるという話だろうか。

 紅の言葉なら逆らう訳にはいかないが。


「一緒にいる時間が長い方がお互いを知れると思ったんだけど。嫌なら嫌って、言っていいよ」


 腕の中を見下ろす紅の顔が寂しそうに見える。


「いえ、紅様が、そう仰るなら……」


 言いかけて言葉を止めた。

 きっとそれは紅が望む返事ではない。


(毎晩一緒に寝る、別に嫌じゃない。喰われたって気持ちいいだけだし、きっと紅様は僕が死ぬほどは喰わないだろうし、まだ、今は)


 死んだとしても気持ち良ければいいのだから。

 何より、紅の腕の中は心地が良くで安眠できる。


「紅様は温かいから、一緒に寝たいです」


 本音を言葉にするのが、これほど恥ずかしくて勇気がいるなんて、知らなかった。

 勝手に顔は熱くなるし、心臓もバクバクする。


「うん、うん。一緒に寝よう。そうしよう」


 蒼の額に口付けて、紅が着替えの間に入った。

 とても嬉しそうにしている紅の顔を見上げながら、蒼はまるで良い事をしたような気持になっていた。

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