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第3話 弔いの紙風船

 目が覚めたら、知らない天井が広がっていた。

 ふかふかの敷布団の上で、温かすぎて汗をかきそうな羽毛布団がかかっている。


(そっか、売られたんだっけ。その割に、やけに良い布団で寝ている)


 和風の家屋の畳に敷かれた布団は、厚みがあり過ぎて体が沈む。

 慣れない感覚に戸惑いながら、障子戸を開けた。


 綺麗に晴れた空の下に、広い庭が広がる。

 その中に、昨日の男がいた。


(人間を喰っていた、僕を買った妖怪だ。くれない、だっけ)


 縁側に立つと、男が気付いてこちらを見た。


「おはよう、あお。昨日は眠れた?」


(蒼……、そういえば、僕の名前だ)


 昨日、紅という妖怪がくれた名前。

 名前というものを初めてもらった。


(自分を喰う妖怪がくれた名前でも、嬉しいものなんだな)


 それが自分を、自分だけを表す言葉なんだと思ったら、ちょっとだけ嬉しかった。

 縁側から庭に降りて、紅に歩み寄った。


「立派なお布団、ありがとうございました」


 ぺこりと頭を下げる。

 その頭を紅の大きな手が撫でた。


(大きな手だけど、優しい。温かいな。そういえば昨日も、触れた手は酷く優しかった)


 あまりの優しさに、かえって驚いてしまった。


「お礼は要らないよ。ここはもう、蒼の家だ。好きに過ごしていいんだよ。必要なものは揃えるから、欲しいものがあったら教えてね」


 よくわからない話をされて、理解に苦しむ。


「あの、僕は、貴方の食料として売られたと聞いてるんですが」

「うん、そうだよ」


 あまりにも普通に返事をされて、自分の言葉を後悔した。


「昨日も見ただろ。俺がいろを喰うところ。あれが俺の食事。俺の妖力をちょっとずつ流し込みながら、しばらくは生気だけ吸うの。俺の妖力が体内に増えるとね、人間の方から俺と同化したくなるから、そうなったら喰うんだ」


 紅が、シャボン玉を吹きながら説明してくれた。

 あまりに普通に話されて、どう返事をしたらいいか、わからない。


(けど、色って子は痛そうでも辛そうでも、無かったよな)


 むしろ射精して、絶頂しながら死んだんだから、気持ち良かったんだろう。

 だったら、怖くはないのかもしれない。


「そうなるまで、大体、一月くらい。だけど、蒼は、ちょっと違うかな」


 紅の手が蒼の顎を撫でた。


「俺はね、本当は人の魂より、霊力の方が好きなんだ。霊元を持つ人間は霊力を量産できるし、すぐに喰い切ったりはしないから、長く食えるね」


 紅が、ニコリと微笑む。

 蒼の血の気が下がった。


「それにさ、昨日の蒼の霊力は、とっても美味しかったよ。蕩けそうだった。すぐに食べきっちゃうのは、勿体ないからね」

「あの! 食べきったりも出来るんですか?」


 思わず聞いてしまった。

 生かさず殺さずでむしり取られるのは、ある意味で死刑確定を待つ時間が長引くようなものだ。


「霊元を食べると終わりかな。霊元を失くすと、人は死ぬから。でも、そんな風にはしないよ。そうしないために、俺は蒼を買ったんだから」


 紅が、シャボン玉を置いて、紙風船を手に取った。

 口を近づけて、息を吹き込む。

 息以外の何かが一緒に吹き込まれていると感じた。


(あれは、もしかして、色って子の魂、の一部、かな)


 息を吹き込んだ紙風船から、紅が手を離す。

 たくさんのシャボン玉と一緒に、紙風船が空に昇っていく。


「俺が喰った子たちの魂は、俺の中に溶ける。だから、せめて一部でも、冥府に逝けるようにね」


 紙風船を見上げる紅の横顔を、蒼は眺めた。

 どこか悲しそうな顔をしているように見える。

 昨日、色という子が「溶けたい」と言い出した時の紅も、浮かない顔に見えた。


(喰うために買ってるのに、何でへこむんだろ)


 優しすぎるのか、偽善なのか、今はまだ、わからなかった。


「こういうの、人の世では自己満足っていうんだろ? 友人には馬鹿にされるんだ。俺も、意味ないよなって思うんだけどね。やらずにはいられないんだよね」


 そう話す紅を、非難する気にはなれなかった。


「まだよく、わからないけど。あの子はきっと、痛くも苦しくもなく死ねたんだろうし、辛くなかったなら、僕は良かったと思います。紅様の紙風船が自己満足でも、自分が満足できるなら、他人に文句言われる筋合いじゃないって、思う」


 ぼそぼそと話す蒼を、紅がぼんやりと眺めた。

 大きな手が伸びてきて、蒼をそっと抱き寄せた。


「ありがとう、蒼。蒼は優しい子だね。好きになれそうだよ」


 頬ずりされて、こそばゆくなる。

 咄嗟に顔を逸らした。


「僕は、優しくなんかないです。本当は他人のことなんか、どうだっていいし。自分のことしか考えてない。自分が只、痛い思いとか辛い思いとかしたくないだけで、あの子が本当はどう思ってたかなんて、知らないし」


 出会って数分で死んでしまった少年のことなんて、わからない。

 自分に重ねて考えた、ただそれだけだ。


(この妖怪はきっと、優しいんだろうな。優しいけど、やっぱり人を喰うんだ。妖怪だって喰わなきゃ、死ぬんだ。当然だよな)


 紅が、更に蒼の体を抱き寄せて、また頬ずりした。


「やっぱり、好きになれそうだよ、蒼」


 愛おし気に名を呼ぶ紅の瞳が、蒼にはとても綺麗に映った。

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