目の前に男が座っていた。
多分、男なんだろうと思う。只、人間ではない。
白い狐の面を顔の半分に被った男は、長い白髪で、白い着物を纏っていた。
自分の体に纏わりつく三人の少年をそれぞれに撫でながら、こっちに視線を向けた。
面のせいで正確な目線は解らないが、こっちを見ている気がする。
「……名前は?」
短い問いかけに、首を捻った。
№28
理化学研究所では、そう呼ばれていた。
それ以外の呼称は、ない。
「二十八、です」
仕方がないので、そう答えた。
男が小さく息を吐いた。
「それは名ではないだろう。理研からくる子供らは皆、名を持たないね。君もか」
知っているなら、聞かないでほしい。
もう何度も理化学研究所から人間を買っている
男が顎を摩りながら、とっくりとこちらを眺める。
観察している感じだ。
「こっちに、おいで」
手招きされて、前に出た。
人、一人分くらい空けて、前に立った。
「もっと近くだよ。俺が触れられるくらい、近くにおいで」
更に手招きされて、移動に悩んだ。
男の周囲を囲んでいる少年の内、一人がしゃがみ込んで、男の股間に顔を埋めている。
そのせいで、これ以上、近づけない。
「
首に腕を回して抱き付いていた少年が、男にキスをせがんだ。
年の頃、十二、三歳といった程度の少年だろうに、その顔は色事を知っている風に蕩けていた。
よく見ると頭に大きな耳が付いている。尻には尻尾らしきものもある。
(髪の毛かと思ってたけど、違った。あの子も妖怪かな。てっきり、先に買われた理研の子供かと思ってた)
反対側で男の胸に頬を擦りつけている少年も、同じくらいの歳頃に見えるが、やはり同じように耳がある。
「お願い、紅様。早く一つになりたい。紅様と同じになりたい。いっぱい気持ちいぃの、欲しい」
首に縋り付いた少年が、熱い吐息を男に向かって吐いている。
紅と呼ばれた男が、困った顔をした。
「
「ぅん、溶けたいの」
嬉しそうに迫る色という少年を、紅が眺める。
その表情が、どこか悲しく映った。
「わかったよ。じゃぁ、沢山口付けて、気持ち悦くなろうか」
紅が面を外した。
色白で端正な顔立ちが顕わになる。
何より、瞳の色に目を奪われた。
(紅……、血みたいに、真っ赤な、紅の瞳)
理化学研究所で実験される時、折檻された時、何度も見てきた血の色だと思った。
「ぁ、ふ……、ぅん……」
紅が色の唇を舐め上げる。
舌を絡めてやると、色の体がビクリと震えた。
嬉しそうな顔だけでなく、全身が喜んでいるように見えた。
「ぁ……、溶けちゃぅ、きもちぃ……」
色の目が上転して、歪に笑んだ。イっている顔だと思った。
射精したのか、着物から
「ありがとう、色」
紅が色の唇を強く吸った。
色の体が紅の口の中に吸い込まれて消えた。
(喰われた、んだ。魂が体ごと、あの男の中に、溶けたんだ)
自分が見ていたのは紅という妖怪の食事風景だったのだと、ようやく理解した。
「……美味しかった」
男がぺろりと、舌舐め擦りした。
「
股間に顔を埋めていた少年が顔を上げて、移動した。
彼の顔には見覚えがあった。確か、理研でも同じ名前で呼ばれていたはずだ。
芯は、さっきまで色がいた場所に移った。
紅の顔が、こちらを向く。
「さぁ、おいで」
紅が手を差し伸べた。
怖い、という感情が確かに胸の中に膨らんだ。
けれど、体は動いた。
来いと命じられて逆らえば、もっと怖い目に遭う。
それをこの体は、嫌というほど覚えている。
差し伸べられた手に触れた自分の手は、震えてすらいなかった。
怯えを悟られれば、折檻されるか、弄ばれる。
感情は、表に出してはいけない。
それもまた、体に沁み込んだ経験だった。
乗せた手を掴んで、引き寄せられる。
体が紅の目の前に屈んで、抱きつけそうなほどに近付いた。
「綺麗な髪だね。青色だ。
紅の問いに、首を振った。
実験的に霊元を移植されてから、黒かった髪と目が突然青くなった。
その程度の変化はよくあるらしい。
紅が、今度は目を覗き込んだ。
大きな手が顔を包み込んで、親指が目尻をなぞった。
酷く優しい手つきが、かえって怖かった。
「瞳も綺麗な青だね。君の名前は、
静かに頷いた。
初めてもらった名前らしい名前は、とても安直だけど、思った以上に嬉しかった。
「それじゃ、蒼。蒼も俺のモノになってもらうね。いいかな」
確認なんて、無意味だ。
この男は、金を出して自分を買っているのだから。
一応、頷いて見せる。
紅の顔が近付いて、唇が重なった。
さっき、人間を丸呑みした唇が、自分の唇を食んでいる。
背筋が寒くなるのと同じくらいに、気持ちが良くて、腹の奥が疼いた。
生温かい舌が、するりと入り込んでくる。
優しく上顎を舐めた舌が、舌と絡まる。
くちゅくちゅと卑猥な水音が脳に響いて、嫌なのに、気持ちがいい。
「ぁ……、紅、様、きもち、ぃぃ、です……」
口が勝手に言葉を発する。
何かが自分の中に入り込んで来たのだと思った。
「蒼の霊力は、美味しいね。酔ってしまいそうだ。高い買い物をした甲斐があったよ」
じゅっと舌を吸い上げて、紅が唇を離した。
真っ白な顔が、心なしか紅潮して見えた。
「次は、こっち。俺の一部になるために、俺を取り込むんだよ」
着物の裾を捲り上げると、股間を指さした。
「はぃ、嬉しい、です……」
何の戸惑いも躊躇いもなく、股間に顔を埋める。
太い一物を喉奥まで咥え込んだ。
紅の腰が、ビクリと震えた。
瞬間、生暖かくてドロリとしたモノが口の中に流れ込んできた。
「上手だね、蒼。全部、しっかり飲み込んで」
やんわりと顎を抑えられて、顔を上向かされる。
反射的に口の中の液体を飲み下した。
胸の中に、知らない感情が広がっていく。
「美味しい、です。もっと、ほしい」
きっとこれが、この妖怪の妖術なのだろうと思った。
今の自分は紅に心酔し、愛したいと思っている。
(何度も飲んだら、この気持ちを疑いもしなくなるんだろうな)
こんな風に気持ち善くされて、何もわからない内に喰ってもらえるんだろうか。
さっきの、色という少年のように。
(だったら、いいや。痛いのも辛いのも苦しいのもない内に、何もわからない死が迎えに来るなら、幸せだ)
紅の手が頬をなぞるように撫でる。
さっきと同じように、怖いくらいに優しい。
「これから、毎日あげるよ。蒼は、自分から欲しくなるからね」
返事の代わりに、小さく頷く。
紅の手が、視界を遮って、目の前が真っ暗になった。
途端に強い眠気が襲う。
紅の手の熱さを感じながら、促されるままに、ゆっくりと目を閉じた。