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第13話《去年》冬

 あの一件をきっかけに、理玖は時々、事務の伊藤と弁当を交換するようになった。

 その度に兎大福を付けてくれるので、理玖もお返しにお菓子を添えるようになった。

 どういう訳か理玖の弁当は事務員の間で人気らしい。

 お弁当を交換したいという人が増えて、時々には伊藤以外の事務員とも交換している。

 そのお陰で、晴翔以外の事務員とも顔見知りになり、親しくなった。


 そんな毎日を過ごすうち、気が付けば年が明けて二月になっていた。


「先生の負担になるからダメって、事務の皆に注意しておきますね」


 いつもの通り、午後の二時になり、晴翔が雑用に来てくれた。

 今日は溜まった要らない書類をシュレッダーにかけてくれている。

 晴翔にしては珍しく不機嫌な顔をしているなと思う。


「お弁当を作るのは毎日だし、料理も息抜きだから、構わないよ」


 交換しなくても結局は自分の分を作っている。

 毎週月曜日だけは晴翔の分と合わせて二人分作る。

 毎日でも良いと言ったら「負担になるから」と週一回を提案された。


(お弁当を作ると晴翔君がこの部屋で一緒にお昼ご飯を食べてくれるから、僕としては毎日でもいいんだけどな)


 一緒にいられる大義名分が増える。

 そういう理由でもないと、何と言って誘ったらいいか、わからない。

 最近は晴翔の方から仕事終わりにご飯に誘ってくれたりするので、前より一緒にいる時間が増えたのだが。自分から誘う勇気はない。


「先生、料理上手すぎるんですよ。あの弁当でどれだけの胃袋を掴むつもりですか」


 何故か晴翔が深い深い溜息を吐いている。

 理玖としては好きなように作っているだけで、特別凝った弁当を作っているつもりはないのだが。


「……空咲君も、僕のお弁当、美味しいって思うの?」

「めちゃめちゃ美味いです。この前の、ブロッコリーにホワイトソースとチーズかかってたやつとかヤバかったし、そぼろのちょっと甘い味付けめっちゃ好きだし、おにぎりの具の高菜明太なんて、売り物かと思った」


 具体的な説明に、照れが増す。

 正直、他の誰が何を言おうと、どうでもいい。晴翔が喜んでくれるのが、一番嬉しい。


「喜んでもらえたなら、嬉しいよ」


 ぽそりと呟く。

 講義用のpowerpointを作成するPC画面に、自分の照れた顔が映り込んでいる。

 突然、隣に晴翔の顔が映って、慌てて振り返った。

 晴翔が理玖の顔を、じっと見詰める。

 あまりに間近で見詰められて、動けなくなった。


「先生のそういう顔、知ってるのは、俺だけがいいです」

「……へ?」


 よくわからなくて、反応が出来ない。


「最近は事務の皆に先生が可愛い人だって、すっかりバレちゃったから。可愛い向井先生を知ってるのは俺だけの特権だったのになぁって思ったんですぅ」


 不貞腐れた感じに、晴翔がシュレッダーに戻った。


「可愛いって……」


 晴翔の胸ポケットのリスのあみぐるみを見詰める。

 弁当男子であみぐるみ男子。確かに響きは可愛いかもしれないが。


「趣味は可愛いかもしれないけど、僕自身は別に可愛いわけじゃないから」


 晴翔が、じっとりとした目を理玖に向けた。


「先生は自分の可愛さに気が付いていないんです。抱きしめたいって思う程度には、可愛いですからね」


 ドキッとして思わず、キーボードを叩く指が跳ねた。


「だ、だき……」

「伊藤さんなんか毎日のように言ってますよ。ぎゅってしてスリスリしたいって。あれもうセクハラです」


 その発言は、どちらかというとペット寄りに聴こえる。

 しかも事務の伊藤香里かおりは高校生の息子がいるお母さんだ。良くて母親目線といったところだろう。


「事務の皆さんと仲良くなれたのは正直、嬉しいよ。僕は人付合い、あまり得意じゃないから。全部、空咲君のお陰だよ」


 人付き合いは仕事に支障が出ない程度に最低限で良いと思っているタイプだが、職場で気安く話し掛けられる相手がいるのは、安心するものだ。


(空咲君がいてくれるのが、一番嬉しいけど。そんなこと言ったら、気持ち悪いと思われるかな)


 晴翔がまた、じっとりと理玖を見詰める。

 さっきより照れた顔をしているように見える。


「先生の役に立てるのは嬉しいですけど。先生の担当事務は俺ですからね。新年度も変わる気ないですから。希望、もう出してますから」


 今日の晴翔は何となくいつもと違う。

 ちょっと子供っぽくて拗ねている感じだ。


(いつもは歳の割に落ち着いてて、何事にも動じなくて。常にニコニコしてて、不機嫌な顔なんて、見せたりしないのに。まるでヤキモチ妬いてるみたいだ)


 そう気が付いた途端に顔が熱くなった。


(いやいやいや。有り得ないから。ペットを横取りされて残念程度の感覚だ、きっと)


 小さく咳払いして気を取り直した。


「僕も引き続き、空咲君にお願いしたいから、聞かれたらそう答えるよ」


 振り返った晴翔が満面の笑みで頷いた。

 今日一番の笑顔が煌めいて、直視できない程に眩しい。


「はい。ちゃんと俺を指名してくださいね」


 晴翔の笑顔は理玖の癒しだ。

 この笑顔がいなくなってしまったら、理玖のモチベーションが下がる。


(大学に出向になって良かったと思える最たるは空咲君だ。ゴリ押ししてでも確保しよう)


 理玖は秘かに胸に誓った。


「そういえば、四月から折笠准教授の所に助手が入るそうですよ」


 折笠の名前が飛び出して、飲んでいた茶を吹きそうになった。


「そう、なんだ。理研関係の人かな」


 折笠も元は理研の研究員だ。古巣からの引き抜きなら有り得る。

 実際、理玖も半分引き抜かれたようなものだ。


「それが、よくわからない個人の研究所からの引き抜きだそうです。出自もいまいちなんですけど、良くない噂があって」


 適度にシュレッダーを掛けながら、晴翔が声を顰めた。


「only狩りで有名な犯罪集団と関わりがあるotherで、onlyを喰いまくってるって噂です」


 ドクリ、と心臓が嫌な音を立てて下がった。


「何、それ。そんな人が大学で働けるの?」


 内容もショッキングだが、晴翔の口からonlyやotherという単語が出てきたことに動揺した。


「あくまで噂だし、確証はないからって感じみたいですけど。折笠先生のゴリ押しが強くて、大学側が押し負けたみたいですけどね」


 晴翔の話には納得しかない。

 強引で我を通したがる折笠ならやりかねない。


「学生にonlyがいるかもしれないのに、被害でも出たら大変なのに」


 onlyの理玖にとっても全く他人事ではない。

 だが、晴翔はきっと理玖をnormalだと思っている。だから言えない。


「対策として、覆面警官を配置するらしいです。組対がマークしている犯罪集団絡みかもって話で、長期潜伏になるみたいですよ。噂話なんで、どこまで本当かは、わかりませんけど」


 組織犯罪対策部と聞いて、大学が怪しい助手を受け入れた理由が納得できた。


(泳がせて逮捕したいのか。大学は折笠先生より組対警察に折れたんだな)


 WO関連の犯罪は性絡みになるので、どうしても逮捕や検挙が難しい。

 現場を抑えるのが一番早いだろう。大学という狭い箱を堂々と使えるなら願ったり、といったところか。

 根拠のない噂止まりではなさそうだと、理玖は思った。


「向井先生はWO専攻の講師だし、何があるかわからないから、気を付けてくださいね。なんなら俺、来る時間とか増やしますから」


 晴翔の言葉が頼もしい。

 理玖がnormalだと思っているからこそかもしれないが、その優しさが沁みる。


「僕は只の講師だから、大丈夫だよ。でも、空咲君がいてくれたら心強いね」


 自然と微笑んだ理玖を晴翔が見詰める。

 晴翔が立ち上がり、理玖に寄った。


「先生、俺……」


 理玖の手に、晴翔が手を伸ばす。触れそうになったところで、ぴたりと動きを止めた。

 ぎゅっと握った手を晴翔が引いた。


「……先生に何かあったら、嫌だから。ちゃんと俺を頼ってください」


 手に触れなかった指が、理玖の髪をそっと梳いた。

 ふわりと、花の蜜のような香りが鼻腔を擽った。


「シュレッダー終わりました。他に俺に出来ること、ありますか?」


 髪を梳かれた感覚に集中しすぎて、理玖の意識が一瞬飛んでいた。


「……え? あ、いや。えっと、ない……かな」

「じゃぁ、また明日来ますね」

「うん、ありがと……」


 いつもの笑顔を置いて、晴翔が部屋を出ていった。

 晴翔が出ていったドアを、理玖は呆然と眺めた。


(髪、梳かれた。手、握ろうとした、よな。なんで……)


 切なそうな顔で、切なそうな声で。あんな晴翔は初めてだ。

 晴翔が触れた髪に触れる。

 胸がじんわりと熱くなった。


(僕はいつまで、この気持ちに気付かない振りをして、蓋をしていられるだろう)


 切なく締まる自分の胸に手を当てて、理玖は俯いた。

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