また四月になった。
突風が少しずつ柔らかくなって、頬を冷やす空気が暖かに変わっていく季節。
この時期が、
いつものように大学の門をくぐる。
やけに賑やかだと思ったら、バスケ部が朝練していた。向かいのコートにはサッカー部もいる。新入生に声を掛ける学生の姿も見られた。
(そういえば、この時期は色んな部活が新入生をスカウトしているって空咲君が話していたっけ)
慶愛大学は他校に比べ部活動が盛んなイメージだ。水球部が特に有名で、全国大会でも上位に入り、よく取材されている。
その他にもボート部やバスケ部、科学実験部やロボット部がテレビ取材を受けていた。
一際大きな歓声が上がって、理玖は目を向けた。
バスケのコートでゴールを決めた男性が、部員たちとハイタッチしている。聞こえた歓声は取り巻きの女子たちだったらしい。
上着を脱いだスーツ姿で学生と笑顔でハイタッチする男性は、明らかに学生ではない。
立ち止まって眺めていた理玖と目が合って、男性がスーツの上着を片手に小走りに駆け寄った。
「
爽やかな笑顔に少々の汗を滲ませる彼は、
イケメンで明るく優しい、絵にかいたような王子様キャラで、学生たちには男女問わず人気がある。
「おはよう、空咲君。学生さんより目立っていたよ」
歩き出した理玖に合わせて、晴翔も歩き出した。
「バスケ部の部員が朝練遅刻で人が足りないっていうから、助っ人に入ってました。バスケとか久々で、筋肉痛になりそう」
腕を回しながら笑顔で語る晴翔を、ちらりと眺める。
「君だって最近まで学生だった歳でしょ。僕と違って、まだまだ大丈夫だよ」
晴翔は確か二十四歳、慶愛大に就職して二年目の職員だ。
理玖と同じで去年の就職だったと記憶している。
「先生だって、歳なら俺と変わらないでしょ。見た目で言ったらきっと、俺より学生さんに見えますよ」
自覚があるだけに何も言えない。
理玖は二十七歳で晴翔の三つ年上だが、童顔と低身長のせいで、いまだに学生に間違われる。
(でも三つ年上! 僕の方が三つも上だから! もうすっかり大人だから! ちょっとは大人っぽく見えるように、眼鏡だってしてるのに)
心の中で強く抗議する。
何となく、眼鏡を押し付けて、表情を引締めた。
「俺がゴール決めた瞬間、見てくれました? 格好良かった?」
そんな理玖の心情など全く気が付かない晴翔がワクワクした顔で、理玖を見詰める。
「瞬間は見てないけど、皆とハイタッチしている姿は見たよ」
相変わらず人気者で囲まれているね、とは思っても言わない。
誰にでも好かれる晴翔がわざわざ理玖に声を掛けてくる理由も、いまいちよくわからない。
目を逸らした理玖の前に、晴翔が手を出した。
「じゃ、向井先生ともハイタッチ」
さっきと同じようにワクワクしながら手を出してくる晴翔に嫌とも言えない。
大きな手を眺めながら、理玖はほんの少しだけ、指先だけで触れるようなタッチをした。
「朝からお疲れ」
眼鏡を上げながら短く声を掛けると、研究棟二階の、自分の研究室に向かう。
「今日も午後の二時に先生の部屋に行きますね! 今日はウォーターサーバーの水が届くはずなんで!」
手を振る晴翔を横目にして、小さく頷く。
晴翔は反対側の事務職員の控室に走って行った。
自分の部屋に入り、扉を閉める。
理玖はその場に蹲った。
(さ……、触っちゃった! 晴翔君の手に、自分から触っちゃった!)
心臓が口から出るんじゃないかと思うくらい、ドキドキしている。頻脈で心室細動でも起こしそうだ。
若干、汗ばんだせいか、眼鏡がずり落ちた。
(あの流れで触らない方が不自然だ。感じの悪い奴にはなりたくない。何より、変な断り方してバレたら、マズい)
自分の手を眺める。
触れた右手が、小さく震えていた。
(特に意味なんかない。誰とでも同じようにするハイタッチだ。只の無意識だ。晴翔君はonlyでもotherでもない。きっとnormalだから)
他者との些細な触れ合いを恐れたりしない。
誰とでも普通に触れ合える。
好きになった相手に素直に好きと言える性の持ち主だ。
「僕とは、違う。僕が好きになっちゃ、いけない人だ」
onlyの自分が近付いて良い相手ではない。
絶対に迷惑をかける。
(今のままの距離感で、何となく仲良しな職場の人同士でいられたら、それでいい)
この距離感が崩れないように、毎日晴翔の笑顔が見られたら、それでいい。
心の奥に小さく芽吹く想いが咲かないように、理玖は目を閉じた。