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1-7 真宿エリア

「くっ……そがァ……!アタイが……アタイが負けるなんて……ッ!」


 アスファルトの地に倒れ込んだまま、身体を痙攣けいれんさせる長くつややかな黒髪の女。女の頭に生えた二本の黄色の角が夕陽に輝く。


 ――収穫はあったな。俺の〈天衡テミス〉は罰も指定できる。これは大きい。


「――せつくん!お疲れ様です!」


 天音が、メイド服のスカートのすそをひらひらと揺らしながら駆け寄ってくる。


「天音、これか。異能犯罪ってのは」


おっしゃる通りです。ですが初の異能戦で上級異能相手に圧勝。流石せつくん……お見事でした」


「まあ此奴こいつは決して雑魚ではなかったけどな……。というかまだ夜も更けてない中、堂々とカツアゲなんて治安終わり過ぎだろ新世界……」


「全く同感ですね……」


 ――俺のお気に入りのこの茶色のカラーレンズ入りの金縁の眼鏡やポケットの中のスマホは運良く無事そうだ。スマホなんか貴重品をもらって、その日に画面バキバキになりました、じゃ一二三ひふみに申し訳が立たない。


「ぐ……あァ!おい!てめェら……ァ!アタイを無視すんな……ァ!早くこの麻痺まひ解けやァ……!」


「……と言ってもなあ、俺解き方知らないからな。まあいずれ解けるだろ。病み上がりの病人をカツアゲした罰だ。しばらく大人しくしてな」


「……てめェ!……くっ、麻痺まひさせる異能なんて異能隠し持ってやがったとはなァ……!」


 ――当然この女視点では「全身を麻痺させる異能」――そういう思考になる。これだけの情報から逆算して、「掟を定める異能」という正解まで辿たどり着くのは不可能に近い。


「武器は最後まで隠しておくモンだぞ」


 ――この異能至上主義の新世界。最大の武器と成り得る異能はどう考えても隠すべきだ。異能をバラすことは、自分の弱点を晒す行為。自ら死を近付ける行為――自殺行為に等しい。


「……まァいい。てめェ、名前は何だァ……?」


「人に名前を聞くときは自分から名乗れ。社会経験がないのか?」


「……竜ヶ崎りゅうがさき たつみだァ」


「そうか、じゃあな。行くか天音」


「はい、せつくん」


 俺たちは薄暮はくぼの光の中、竜ヶ崎 巽を置き去りにして、駐車場の奥に見える都心の街並みへと歩を進めた。


「――待てやてめェ!そりゃねェだろォ!」


「犯罪者に名前教えてたまるか」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――暫く歩くと、俺たちは、見慣れた光景を目にしていた。人が行き交うにぎやかな街の中心地。記憶の中のランドマークと一致する。辿たどり着いた先は、渋谷駅ハチ公前、スクランブル交差点である。


 道中、かつての雑多な雰囲気はそのままに、車道や街並みは綺麗きれいに整備され、青白い光を放つ超高層マンションが建ち並んでいた。その中心地には、ロータリーに囲まれた超高層タワーがそびえ立っている。


 高層ビルの壁面に設置された大型ビジョンには、金髪ツインテールを基調に、毛先が桜色になったヘソ出しファッションのギャルモデルや、オレンジ色のサイドテール風の髪に、肩に掛けた淡い青のメッシュが螺旋状らせんじょうに入った大きな編み込みが印象的な、水色のビキニに短い丈の綺麗な海色のケープを羽織ったアイドルの女の子のMVミュージックビデオが映し出される。先程病室のテレビのCMで観た、世界上位十名――〈十天じってん〉の面々だ。


「おー、渋谷は更に進化してんのか……」


「はい。ちなみに今じゃ〈日出国ひいづるくにジパング〉の〈超渋谷ちょうしぶやエリア〉って名称ですね」


「これは……慣れるまで少し時間がかかるな……」


 〈超渋谷エリア〉の中心に聳え立つ超高層タワーの近く――右手に見えるのは渋谷駅――いな、超渋谷駅だ。アーチ状の透明色の屋根に覆われており、駅構内の様子がこの位置からでもわかる。シンプルな構造に様変わりしているようで、ホームの両脇を一段掘り下げたみぞの上に敷かれた二本の線路――ガイドウェイの上を、メタリックカラーがイカす流線型のリニアモーターカーが走行している。


「ふふ、そうですね。あっ、せつくん。ここの路地裏で傷の手当てをしましょうか」


「ああ、そうだな。人目もなさそうだ」


 ――当然と言えば当然だが、やはり天音も異能を隠すことの重要性を理解している。人目につかなそうな場所に来るまでの道中、メイド服の美女連れの血まみれの俺は、行き交う人々にじろじろと見られたが、数少ない味方である天音の異能を街中で披露してバラすわけにもいかない。


 天音が指し示した路地裏は薄暗く、往来する人で賑わう〈超渋谷エリア〉の街中とは対照的だ。煙草の吸殻やパンパンに詰まった黒いゴミ袋が散乱し、からすがアスファルトにへばりついた何かもわからない白いゴミをついばんでいる。


「ではせつくん、傷をいやしますのでじっとしていてくださいね」


「ああ……」


 天音がそっと目を閉じ、まるで神に祈るかのように両手を合わせると、俺の全身は温かい感覚に包まれた。露天風呂にでも浸かっているような、気持ちの良い感覚。


「おぉ……!」


 すると、見る見るうちに、全身の傷が、まるで時が巻き戻っていくかのごとく、ふさがってゆく。引き裂かれ、血がにじんだ柄シャツや黒のスキニーすらも、徐々に穴が塞がり、新品同様に変貌へんぼうした。


 ――これが天音の回復の異能。明らかに人智を超えている。能力の大小の差はあれど、先刻の竜ヶ崎と言い、こんな異能が蔓延はびこるならば、そりゃ新世界は異能至上主義なワケだ。


「はい、終わりました!」


「……ありがとう。なんと言うか……強力な異能だな。服まで直せるのか……」


「人体以外も原型さえ残っていれば大丈夫ですよ。それよりすみません、せつくん。私のために気をつかって、人目につかないところで異能を使わせてくれたんですよね?」


「まあ異能をバラさないに越したことはないからな。当然のことだ、気にするな」


「はい!ありがとうございます!」


「……さて、取りえずあれだな。腹減った」


「そうですよね、せつくん。八十五年もお食事をとられていませんもの。でしたらやはり私の家に来ませんか?」


「そうだな、そうさせてもらうか。天音はまだ渋谷……じゃなかった、〈超渋谷エリア〉に住んでるのか?」


「それがですね……。大昔に起こった神級異能による大陸移動等の影響で、私がせつくんと同棲していたマンションもなくなりまして……ううっ」


「天音……泣くなって……」


「ごめんなさい……せつくんとの思い出が詰まっていたので思い出すと悲しくて……」


「思い出ならこれから作ってこう、な?」


「ぐす……ありがとうございます、せつくん」


「ああ。でもそうなると天音は別の場所に住んでるんだな?」


「はい、〈真宿しんじゅくエリア〉でシェアハウス用の物件を買ったんです。今はそこに一人で住んでます」


 ――〈真宿エリア〉。元・新宿か。


「シェアハウス用の物件って……よく買えたな」


「せつくんがいつでも戻って来れるようにって頑張ったんですよ?褒めてください」


「ホント可愛いな天音は……。頑張ったんだな」


 天音の真っ白なウルフカットの頭を撫でると、天音が嬉しそうに声を漏らす。


「えへへ……」


「私はまたせつくんと一緒に住みたいです」


「天音がそう言ってくれるなら喜んでそうさせてもらうよ」


「せつくん、私、嬉しいです……」


 天音はまた目になみだを浮かべる。路地裏に僅かに差し込む夕陽が天音の涙をきらびやかに演出する。


「……よし、だったら行こうか〈真宿エリア〉。交通手段はあのリニアか」


「はい!行きましょう!」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 アーチ状の透明色の屋根に覆われたその駅構内は広々としているが、学校や会社帰りらしき人々が、駅を行き交っている。あまりの人の往来に目がくらむほどだ。


 駅に入ってぐにホームという超絶シンプルな構造。この新世界最強の、世界上位十名――〈十天じってん〉によって全面的にバックアップされ運賃不要、改札口すらない始末だ。


 どうも一路線しかないようだが、正確無比に一分毎に発車し、従来の五倍の面積のリニアモーターカーが、世界六国の各エリアを超高速で駆け巡り、八十五年前の「満員電車問題」や「東京の乗り換え面倒臭過ぎ問題」、「東京の主要駅の構造複雑過ぎ問題」、「急いでるときの遅延マジで勘弁してくれ問題」を完全に解決したらしい。


「はー、これは八十五年前もこうであって欲しかったな……。渋谷駅や新宿駅なんか初見時はダンジョンかと錯覚したもんな……」


 俺は広々としたホームで、声を漏らした。腕をからめながら俺の隣に立つ天音が、愛想良く返事をする。


「ふふ、そうですね。この進化は新世界の数少ない良いところかもしれませんね」


 ――異能犯罪対策で金はアナログマネーに退化しているかと思えば、他の技術は飛躍的ひやくてきに進化している……。何ともアンバランスな新世界だ。


『――まもなく、超渋谷駅。超渋谷駅に到着します。お出口は右側です。列車とホームの間が空いているところがありますので足元にご注意ください――』


 間もなくして、ホームに静かに流線型のリニアが停車する。駅構内にアナウンスの音声が響く。リニアの扉が開くと、多くの人が車内からあふれ出してくる。


『まもなく、超渋谷駅より、車両が発車いたします。ご乗車のお客様はすみやかにご乗車ください――』


「参りましょうか、せつくん」


「ああ」


 車内に足を踏み入れると、内部は白を基調としたデザインで、座席――リクライニングシートがびっしりと敷き詰められている。従来の電車のイメージよりは飛行機の座席に限りなく近いだろう。車内の中央付近に二つの通路があり、各列、左、中央、右に座席が五席ずつ設置されている。


 混雑することもないのだろう。従来の電車では標準装備であった吊り革も当然ない。そんな車内を見渡しながら、俺たちは扉付近のリクライニングシートに隣り合って腰掛けた。ふかふかのクッションが、反発して心地良い。俺は感動の余り、感嘆の声を漏らす。


「おお……これ無料なのアツすぎないか……」


「ふふ、せつくんが感動しているの見てると楽しいです」


 ――快適過ぎる。これで「痴漢問題」や「痴漢冤罪問題」も解決……。〈十天〉様々だな……。


 半分ほどの座席が埋まった状態で、リニアは静かに発車した――かと思えば、静かにスピードを落とし始めた。


「ん……?」


『まもなく、真宿駅。真宿駅に到着します。お出口は右側です。列車とホームの間が空いているところがありますので足元にご注意ください――』


「マジすか……」


 ――おいおい五秒も経ってないぞ。本来のリニアモーターカーの速度込みでざっくり計算しても渋谷・新宿間は一分程度を要するハズだ。さてはこれ、リニアですらないな……。


 リニアもどき――改め、エクスプレスの扉が開かれる。乗客たちは、その凄まじいスピードが当然かのように、うの昔に慣れ親しんでしまったかのようにスムーズに乗降している。


「ふふ、せつくん、マジですよ。参りましょう」


「……あ、ああ」


 超渋谷駅とほぼ同一の形状、同一の構造のホームに降り立ち、駅の出入口へと歩を進めた。


 ――このスピードで超電導リニア――通称、エクスプレスが世界を駆け巡っているとなると、あまり世界六国間で大きな差異はなさそうだな。神級異能により大陸も削られ、大陸が移動し、世界が大幅に縮小してしまった背景を考慮すると、隣国というよりもむしろ、隣県といったイメージに近そうだ。


 真宿駅――従来の新宿駅で言うところの東口を出ると、これまた見慣れた光景が広がっていた。左手にはパーテーションで区切られた屋外喫煙所。〈超渋谷エリア〉と同様に、記憶の街並み――新宿の街並みが広がっているが、やはりと言うべきか、更なる都市開発が進んでいるのが見て取れる。


 ――〈真宿エリア〉――元・新宿。ここを真っ直ぐ北に数分進めば歌舞伎町。ここに来るとどうしても、歌舞伎町の夜の喧騒けんそうに逃げた日々を思い出してしまうな。今となってはどうでもいか。


 天音は、多少の進化を経た新宿――もとい、〈真宿エリア〉の光景に目を奪われる俺の様子を、隣で静かに見守っていた。夕暮れの光が、二人を優しく包み込んでいた。

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