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1-5 法と掟の女神の名を冠する

「はい、せつくん!でしたら私が五六ふのぼりさんを呼んで参りますね」


 そう言って、丁寧な所作でベッドから立ち上がり、病室を去ろうとする天音。俺はそんな天音のメイド服のそでつかんで言った。


「――待ってくれ。一二三ひふみじきに来るよ」


「そうなんですか?」


 天音は不思議そうな表情を浮かべながらも、そのまま再びベッドに腰掛けた。するとその直後。コン、コン、コンと病室の扉が三回ノックされた。


「入ってくれ」


「ああ」


 そう返事をして開かれた白いスライドドア。顔を出したのはウェーブがかった短い黒髪に、スマートな印象を受ける眼鏡を着用した男――一二三だった。一二三は電動車椅子の横に置かれた木製のチェアにゆっくりと腰を下ろした。


 それと同時に、一二三が入室したのを確認した天音は、ぐに立ち上がり、ベッドの上で胡座あぐらをかく俺の背後へと移動した。再び、手を腹部の下の位置で合わせて礼儀正しく立っている。


 ――あの天音が、本当に従順なメイドになってしまった。人はどれだけ「壊れた」ら、こんなことになってしまうんだ。


 そんな思考が脳裏をよぎりながらも、俺は眼前に座った一二三へと声を掛けた。


「一二三、悪いな。御足労ごそくろう願って」


「なに、わかってただろ。俺が来ることは」


「天音と二人きりにしてくれたんだろ。気をつかってもらって悪いな」


「構わない。天ヶ羽あまがばねさんもお前と話して少し落ち着いたようだな」


「ああ……。一二三」


「なんだ」


 俺はベッドの上で体勢を変えた。膝を折って揃え、かかとの上に臀部でんぶを乗せる。所謂いわゆる、正座だ。そして俺は両手をシーツに着け、頭を下げた。


「申し訳なかった」


「雪渚、よせ。何に対しての謝罪だ」


「さっき変に突っ掛かってしまったこと、俺が大学を除籍じょせきされてからもずっと俺を心配して連絡をくれていたのにも関わらず、連絡を返さなかったこと」


「……………………」


「それと……俺が自殺する決断に至ったことだ。お前や天音は、俺に手を差し伸べてくれていたのにな」


「もういい雪渚。それを言うならばさっきは俺も悪かった」


「いや……お前の言うことは間違ってねえよ」


 俺の背後でたたずむ天音は、なみだを浮かべながら、その光景を静かに見守っていた。時刻は黄昏時たそがれどき――日も沈み始めた夕暮れのだいだい色の光が、柔らかく病室を照らしていた。


「雪渚、生きる決意をしたんだな」


「ああ、もう天音を泣かせるのも御免ごめんだからな。どんなにつぐなっても許されることではないが、俺なりに償いをするよ。一二三、お前にもな」


「雪渚からそんな言葉が聞けるとはな……。悪い、少し泣きそうになるな」


「一二三……」


 一二三は目に浮かべた涙を白衣の袖でぬぐい、改まった様子で口を開いた。


「……失礼した。それで雪渚、お前が生きる決意をしたのならば、この異能至上主義の新世界で生きると決めたのならば、お前は絶対に知っておかなければならないことがある」


「俺の異能、だな……」


 そう呼応するように俺が答えると、一二三は小さくうなずき、白衣のふところから一冊の書物を取り出した。


 一二三は、革表紙らしき高級感のあるその書物をベッドの上、俺の眼前に置く。開かれたその書物は使い古されてページの端が欠けたり黄ばんだりしているが、この世のものではないような、不思議な存在感を放っていた。


「これが原初の魔道具――〈審判の書ジャッジメントバイブル〉……」


「ああ、白金貨はっきんか二百枚――日本円にして二千万円の代物だ」


「白金貨?」


「ああ、異能が世界中に顕現した影響で、紙幣の偽造が横行した。透かしやホログラム――偽造防止技術を潜り抜けるような異能の影響で二〇二五年当時の紙幣や硬貨は価値を持たなくなったんだ」


 ――二〇二五年当時、俺たちが日頃使っていた紙幣には偽造防止対策が施されていた。コピーで再現不能なほど微小な文字の印字や角度を変えると見える模様が変わるような高度な技術だ。それらが突破されるほどとなると、そうなるか。


「理屈はわかるが俺としては最近新紙幣になったばかりなのに、って感じだな」


「雪渚からすればそうだろうな。――と、そんな経緯で異能犯罪対策が施された硬貨が出回っているわけだ。世界六国で共通して利用できる」


 ――白金貨一枚当たり日本円で十万円、か。


「そうなるとデジタルマネーも死んだか」


「ああ、察しが良いな」


 ――異能の影響とは言え、八十五後の経済が進化どころか退化しているとは……。


「悪い一二三、脱線したな。〈審判の書ジャッジメントバイブル〉だったな、続けてくれ」


「ああ、その〈審判の書ジャッジメントバイブル〉、ページには何も書かれていないだろう」


「そうだな」


「手をかざすと、まるで夢でも見ているかのように、その人間の異能を示す文字が浮き出てくる」


「また非科学的な話だが……もう突っ込んでられないな」


「異能の階級については聞いたか?」


「ああ、天音に教えてもらった」


 背後で佇む天音が小さく頷く。原初の魔道具――〈審判の書ジャッジメントバイブル〉を中心に、その空間には荘厳そうごんな雰囲気が渦巻いていた。


「なら話が早い。世界人口十一億人のおよそ六割は下級異能、診察室で見てもらった看護師の山田さんの〈石礫ストーン〉のような、あまり強力とは言えない異能だ」


「強力とは言えないって……あれ当たり所が悪ければ死ぬけどな……。これ俺の感覚がおかしいのか……?」


「二〇二五年当時の常識で考えればそうだろうが、上には上がいる。その上が世界人口の三割程度を占める中級異能。その上が世界人口の約一割にも満たない上級異能だ」


「上位十パーセントで上級異能か。当人の才能依存で異能が決まるとなると、上級異能というだけで相当優秀な人間だな……」


「そうなるな。だが知っての通り更に上がいる。そうだな……推定になるが世界中でたった二百人程度にのみ顕現する、偉人の名を冠する異能――偉人級異能」


「おー、なんか熱いなそれ」


「お前な……。まあい、そしてこの世界の頂点に立つ存在。推定、わずか二十人程度しか存在しないとされる、神の名を冠する異能――神級異能。各分野のトップに立つ、〈十天〉の面々もこの神級異能を持つ」


 ――天音に聞いた通りの情報ではあるが、こう数字を提示された上で説明されると神級異能の恐ろしさが際立つな。上級異能の時点で相当優秀な人間だろうに、偉人級や神級の異能を持つ人間はどれほどの化物なんだ……。


「――一二三」


「何だ?」


「お前は俺が知る限り、最も優秀な人間だ。『天才』という言葉を迂闊うかつには使いたくないが、俺が唯一認める『天才』だ」


「そんなことはない。お前は俺を遥かにしのぐ『天才』だろう」


「……そのお前の異能はどの階級なんだ?」


「…………………………」


 俺がそう一二三に問うと、しばしの静寂が病室を包んだ。背後の天音も静かにその様子を見守っている。


「――――偉人級だ」


「……マジか」


「大マジだ。悔しいがな。一度顕現した異能は一生付きまとう。お前に顕現する異能に、お前はこれから一生向き合っていかなければならない」


「……そうか」


 ゆっくりと、ゆっくりと、〈審判の書ジャッジメントバイブル〉へと手を伸ばす。


 ――重い。


 才能のある人間には強力な異能が、才能のない人間には軟弱な異能が顕現する。


 ――俺はどちらだ。


「――ちょ、ちょっと待ってください!」


 俺が〈審判の書ジャッジメントバイブル〉へと手を翳そうとした、正にその瞬間、背後で静観していた天音が突然声を上げる。


「天音……?」


「あの、いや、いいんですけど、なんで既にせつくんに異能が顕現している前提でお二人は話を進めてるんですか?」


「あー、そういうこと」


 俺は眼前の椅子に座る一二三と小さく頷き合い、言った。


「「勘だ」」


「あ、そうですか……」


 あきれたような目線を向ける天音を横目に、一気に〈審判の書ジャッジメントバイブル〉へと手を伸ばす。〈審判の書ジャッジメントバイブル〉に右のてのひらを向け、神経を研ぎ澄ます。


 ――すると、〈審判の書ジャッジメントバイブル〉の白紙のページに、じわじわと金色こんじきの何かが浮かび始めた。神々しい光を放つそれは、文字の形を成してゆく。


「せつくん……っ!これは…………」


 俺の肩越しに此方こちらを覗き込む天音が、目を丸くして驚嘆の表情を浮かべる。同様に、こめかみに冷や汗を流しながらも、静かにその様子を見守る一二三。凄まじい存在感を放つ金色のそれが、完全に文字の形を成したとき、俺は一瞬、目を疑った。〈審判の書ジャッジメントバイブル〉の黄ばんだページには、こう記されていた。


――――――――――――――――――――――――

            神級

            天衡

           Themis

――――――――――――――――――――――――


「――はっ!やはりお前のほうが『天才』だよ!雪渚!」


「せつくん……っ!やっぱり!凄いです!」


 俺の背中に豊満な胸を押し付けて抱きつく天音。俺は静かにその神々しい金色の文字列を眺めながら、灰色の脳細胞を動かし始めた。


 ――神級……。Themisテミス……ギリシャ神話の、「法と掟」の女神……。


「……これが……俺の異能……」


「雪渚、流石としか形容し得ない。やはりお前は『天才』だ」


 ――自分は優秀なのだから神級異能だろうと先刻、思い込んでみて、丁寧にフってみたが本当に神級異能が出たか……。


「神級異能だと解釈して問題ないよな?」


「ああ、ギリシャ神話の法と掟の女神――テミスの名だろう」


 ――これ、本来なら「いや、あれだけフっておいて下級異能かーい!」の奴だろ。どうやら〈審判の書ジャッジメントバイブル〉にお笑いのセンスは皆無らしい。


 俺の背中に抱きついたまま離れない天音が純粋な疑問を口にする。


「せつくん、この異能……どんな異能なんでしょうね」


「何となく推測はできるが……神級異能は大陸を動かしたり一国を滅ぼしたりするんだろ……。推測が外れる危険性を考慮すると、下手に検証もできないな」


「ふふ、私と一緒に調べていきましょうね」


「そうだな……一二三、俺は体調は問題なさそうだ。むしろ天音の異能による蘇生の影響なのか、すこぶる調子がいくらいだ。俺はもう出るよ」


「そうか……。雪渚、一つだけ伝えさせてくれ」


「おう、なんだ?」


「雪渚の両親はお前の大学時代に不慮の事故で亡くなっているんだったな。言い方は悪いがお前を苦しめた両親はこの新世界にはもういない。お前はもう好きに生きていいんだ」


「ああ、クソ親から逃げられて最高の気分………………って、あれ?」


「どうした?雪渚」


「せつくん……?」


 ――俺、どうして、両親を恨んでいたんだっけ。どうして、自殺なんて選んだんだっけ。

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