「『異能』……?『異能』って言ったのか?」
「そうだ雪渚。この『異能』が
「……馬鹿げてる……と言いたいが、山田さんと言ったか。その看護師さんは
「その適応力と冷静な分析力は
「はい、では失礼します」
看護師は一礼すると、足早にその場を去っていった。
「その
「無論『異能』と
「
「この話を避けては通れないんだよ。つまりだ、天ヶ羽さんが老いていないのは天ヶ羽さんの異能によるものだ」
「天音の……異能……」
「ここからは私がせつくんにお話します」
背後で天音がそう告げると、天音は電動車椅子に腰掛ける俺の前に立って、俺と目線を合わせるようにその場にしゃがみ込んだ。
「天音……」
「せつくん……私の異能は端的に言えば『癒し』です。戦闘能力はございませんが、回復に特化した異能です」
「回復に特化……それと老いないのと何の関係が――いや、そういう理屈か」
「気付いたか雪渚」
「ああ」
――老化。老化の最大の原因は、「活性酸素による細胞の酸化」である。活性酸素が細胞を傷付け酸化――
――まあ
「天音……つまり天音は、その回復の異能で老化のダメージを
「
――この俺をまるでご主人様かのように扱う天音。だとすれば天音がこんなことになってしまった原因は……。
「一二三……俺が
しゃがんだ姿勢のまま、俺の目を見つめていた天音が悲しそうな顔をして
「……そうだな。天ヶ羽さんや俺にとっては余りに残酷な話だ」
「悪い、大事なことだ。俺は、『死んだ』よな?」
「雪渚……俺はお前のことを親友だと思ってるんだ。そんなことを言わせるか?しかもお前を愛する天ヶ羽さんの前で……」
「答えてくれ」
「…………ああ、『死んだ』よ。夏瀬 雪渚はあの冬の夜、死んだ。お前は有名人だからな、マスコミが随分と騒がしかった……」
「入水自殺を図る直前に身体中の臓器に穴を開けて、死後に腐敗ガスが溜まって浮かないようにした。死ぬ寸前に身体を丸めて浮く確率を下げた。真冬の冷たい海、かつ水深が深い海を選んだのも浮かないためだ。それでも発見される可能性はあるだろうが……俺が考えた最もお前ら二人に迷惑を掛けずに死ぬ方法だった」
「やめろ雪渚……聞きたくない。お前の自殺の意図なんて聞かせるな。キレるぞ……」
「ううっ……せつくん……」
頭を抱えて眉間に
「すまなかった、俺も結論から言うべきだったな」
そして俺は、俺の足下で泪を浮かべて泣きじゃくる天音の柔らかい
「――天音……異能で……俺を
「雪渚……お前は……」
「――ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!」
俺が天音に問うた瞬間、天音は突然、俺の膝にしがみつき、泣きながら早口で謝罪の言葉を並べ始めた。
「せつくんが死にたいって思ってたのに……!私……せつくんにあんな絶望したまま死んで欲しくなくて……!せつくんに会いたくて……っ!勝手なことをしました……!ごめんなさい!お許しください!」
天音のメイド服の、露出した胸元。その隙間から見覚えのある、くしゃくしゃになった白い封筒が顔を出していた。何度も読んで、何度も泣いて濡らしたことが読み取れるほどに、涙が乾いた跡が
――俺の遺書だ。
「雪渚……もうお前なら
――異能が何をエネルギーとしているのか、
「俺を蘇生させた……代償……」
「そうだ。天ヶ羽さんは……お前に会いたいが
「うわあああああああああああああああああああん!!!ごめんなさい!ごめんなさいせつくん!せつくんが遺してくれた遺書に、『泣かないで』って書いてくれたのに!私は!私は……っ!」
――天ヶ羽 天音。親から逃避し、夜の街に逃げ、多額の借金を負って腐っていた俺を、懸命に支えてくれた。大変な仕事を掛け持ちし、それでも笑顔を絶やさないでキラキラと輝いていた、優しい子だった。私立大学の名門、
――そんな彼女の輝かしい未来――八十五年にも及ぶ彼女の人生を、俺が奪ってしまった。
「私ね、私ね、せつくん!せつくんが居なくなった日に、仕事から帰って来たらせつくんのお手紙が置いてあって!私、せつくんと離れるの嫌だったから!警察に連絡してしまいました!ごめんなさい……っ!!」
「……雪渚、捜査は難航を極めたと聞いている。お前の目論見通りな。天ヶ羽さんや警察の必死の捜査で何とかお前の特徴と一致する客を乗せたというタクシーの運転手が見つかった。海上保安庁によってお前の遺体が相模湾の水深一〇〇〇メートルの海底から見つかったのは十年後だったよ」
「せつくん!ああっ、せつくん!ごめんなさい!ごめんなさい!泣いてしまってごめんなさい!!」
「だが……お前が死んで数週間が経った頃だったか。世界中で
「せつくん!あああああぁあぁぁあぁあぁああぁあぁ!!!勝手なことしてごめんなさい!ごめんなさい!せつくんには生きてて欲しいって思っただけなんです!!あぁああああぁああぁああぁああああぁああぁ!!」
「……そしてそれは天ヶ羽さんにも。異能が顕現した天ヶ羽さんは『せつくんと一度でいいから話がしたい』、『せつくんにもう一度会いたい』、『せつくんに幸せになって欲しい』――そればかり言っていた」
その光景はとても、病院の診察室だとは思えなかった。電動車椅子の男にしがみついて大声で泣き
「それは俺も同感だった。お前が大学を辞めたと聞いてからも、お前は俺の連絡を返してくれることはなかったが……それでも俺はお前を親友だと思っている。俺もお前と話がしたい、そうでなければ納得出来ない。雪渚がいつ見つかるかわからないからと、異能で早々に自身の老化を止めた天ヶ羽さん――俺には老化を止める異能はない。だから持てる頭脳を使って肉体改造をした」
「一二三……」
「結果的にそれで良かった。あのときそうしなければ、俺はもう一〇八歳。
――それが、真相。俺の自殺が産んだ、二人の狂気。
「お前の過去は天音さんに聞いていたが、お前は弱いな。親の
「……そうだな。俺は弱いから逃げた。そんな想いしてても頑張って生きてる奴なんて腐るほどいるのにな。全部俺の弱さが招いたことだ。そんなことは死ぬ前からわかってんだよ」
「せつくん!せつくん!そんなこと言わないで!!せつくんは弱くなんか……弱くなんかないですよ!私を守ってくれたじゃないですか!あのときから私は……私は……っ!」
「お前を愛する天ヶ羽さんをこれほどまで悲しませて……お前は
「わかってんだよそんなことは……俺は天音に寄生して天音を悲しませて挙句の果てに自死を選択した屑だ。話戻せよ馬鹿アンドロイドが」
「違う!違います!せつくんはクズなんかじゃないです!せつくんは辛くて落ち込んでただけで!せつくんは凄い人なんだから……っ!」
「天音……」
「……雪渚、お望み通り話を続けるがな。そしてお前を探し続けて十年間、遂に見つかったお前の白骨化した遺体を見て、絶望した。お前が大学に来ていた頃の姿なんか見る影もない。変わり果てたお前のあの遺体は……俺たちの脳裏から一生離れないだろうな」
「……………………っ!」
「そして天ヶ羽さんは警察や海上保安庁の静止を振り切って、異能によってお前を蘇らせた。とは言っても人を蘇らせる異能なんて本来あってはならないんだ。人は必ず死ぬ――それを破った天ヶ羽さんは代償を払った。覚悟してのことだっただろうがな」
「わ、私は!私のことなんかどうでもいいから!せつくんに!せつくんに生きて欲しくて!!生きてたら楽しいことが絶対あるってせつくんに言ってあげたくて……っ!」
「結果、天ヶ羽 天音はぶっ壊れた。お前の所為でな。それも
「せつくん……!せつくん……!あぁあああああぁああああああぁああぁああぁああ!」
「だが半世紀が過ぎ、お前の遺体に完全に肉が戻ってもお前は目を覚まさなかった。それから更に三十五年間……。八十五年間もの間、天ヶ羽さんは
――俺は……天音になんて言葉を掛ければいい。
「――これが事の
「せつくん……っ!せつくん……っ!あぁああぁああぁあああぁぁああああぁあぁあぁあぁあぁ!!!」
――これがこの空白の八十五年間に起こったことの全て。俺の死後、俺との再会を待ち望んで八十五年間もの孤独な時間を俺に捧げた天音。俺と話すために自身に文字通りの肉体改造を
「……話は済んだ。少し一人になりたい。病人はさっさと病室に戻れ」
――夏瀬 雪渚、二十二歳。彼の二度目の人生が、始まる。