光流がほぼ一睡もできずに朝を迎え、寝返りを打つと同じタイミングで目を開けたスノウホワイトとバッチリ目が合った。
「あ、お、お、お……」
「おはよう」
声が出ない光流とは真逆で、通常運行のスノウホワイト。
「よく眠れたか?」
「いや、あの、その……」
「眠れませんでした」と言えずに光流が慌てて体を起こす。
「あ、あの、姿消せるなら消してもらっていいかな」
「どうして」
こてん、と首を傾げるスノウホワイトに、光流は思わず
「着替えるから!」
と叫ぼうとして慌てて口を押さえた。
「ほら、着替えるから! 流石にスノウホワイトに下着姿見せるのは恥ずかしいから!」
部屋の外に声が漏れないように小声で光流が訴えるとスノウホワイトはなるほど、と頷いた。
「それなら腕輪形態になっておく。学校でわたしがキミの隣にいるのも不都合だろう、放課後まではそのままでいる」
ふっと掻き消えるスノウホワイトの姿。同時に光流の左手首に光る枷が出現する。
「ほへー……。
スノウホワイトが「人間ではない」と言われてはいそうですかと納得できるものではなかったが、こうやって姿を腕輪に変えるところを見せられると信じざるを得ない。同時に、
制服に着替えてダイニングに顔を出し、「今日はちゃんと夕飯までに帰ってくるのよ」と言う母親の恨めしげな声を聞きながら朝食を済ませ、テーブルに置かれていた弁当を鞄に詰めて家を出る。
「スノウホワイト、お腹空いてる?」
大垣駅までの道すがら、光流が独り言ちるようにスノウホワイトに声をかけるとすぐに返事が脳内に響く。
『
「そういうものか……」
スノウホワイトの返事に、光流はほんの少しだけしょんぼりする。
アクアウォーク大垣のフードコートでオムライスを食べていたスノウホワイトは表情こそ変えていなかったが料理というものに興味を持っているように見えた。
それなら色々食べさせてみたい、と思ったのだがスノウホワイトの態度はとりつく島もなく「これが昨夜俺の布団に入ってきたのか……」などと考えてしまう。
が、すぐに気持ちを切り替えて光流は大垣駅北口のすぐ隣にあるコンビニに足を踏み入れた。
『? もう弁当は持っているのでは』
疑問を呈するスノウホワイトをよそに光流がツナたまごサンドイッチを購入、改札を通ってホームに向かう。
JR線と樽見鉄道が併設されるホームに降り、一両しかない車両に乗り込むと同じ
その隣に立ち、光流はおはよう、と声をかけた。
「おはよー。朝からだりぃわー」
眠そうに吊り革を握る友人の隣で光流も頷きながら吊り革を握る。
その光流に、友人は
「あれ、手首どうしたん?」
と尋ねてきた。
「え? あ、あぁこれ」
吊り革を握る光流の手首、そこにサポーターが巻かれている。
「階段で転んで手首捻ってさ」
「お前、ほんとドジだなぁ」
呆れたような友人の声。
それを聞き流し、光流は心の中でスノウホワイトに感謝をしていた。
『部外者が
スノウホワイトの声が光流の中で響く。
家を出る前に、光流はスノウホワイトに言われていた。
「念の為、手首にサポーターを巻いておくことを推奨する」と。
確かに光る枷を見られればちょっとした騒ぎになるのは間違いない。学校で見つかれば不要なアクセサリーを身につけているとして指導が入ることも容易に想像がつく。それをサポーターで隠しておけば周囲は「手首を捻挫した」程度の認識で済むのだからスノウホワイトの指示は適切だった。
友人もサポーターについてはそれ以上言及せず、他愛のない会話をして最寄駅である北方真桑駅まで移動、そこから歩いて学校に向かう。
教室内は昨夜降り注いだ虹色の流星群についての話題で持ちきりだった。
炎色反応だったのか、という話や昨日は特に何かしらの流星群の極大日ではなかったはず、や何か災害の予兆なのか、といった推測が教室のそこここで繰り広げられ、光流にも見解を求める声がかけられる。
まさか「当事者です」とも言えずに、光流は適当に「流星でも炎色反応ってあるんだな」と誤魔化していた。
「おー、天宮おはよー」
朝の
「おはよ、青木」
まだ新学期は始まったばかり、出席番号順に設定された席で光流の前の席となると出席番号1番の
朔夜は席に座ったまま上半身を後ろに捻り、光流を見た。
「お前、やるなー」
「やるって、何を」
朔夜の言葉に光流の心臓が跳ね上がる。
まさか、昨日の戦いを、見られた——?
「昨夜、アクアウォークのフードコートで飯食ってたろ。女の子と」
『何ィ!?』
近くにいたクラスメイトが一斉に色めき立つ。
「何だと天宮裏切ったのか!?」
「羨ましいぞ俺にも紹介しろ!」
詰め寄る「女に飢えた」クラスメイトたち。
まるでハイエナのように群がるクラスメイトに光流は必死で首と手をぶんぶんと振った。
「違う! あれは! あれは——」
『何なんだよ!』
教室に響き渡る野郎どもの声。
「俺の
生まれて初めて思考が光速を突破するのではないかというほど思考を巡らせ——
「あ、あの、その、あれは従姉妹。従姉妹なの!」
そう、口走っていた。
瞬間、教室内が水を打ったように静かになる。
「——なんだ」
そう呟いたのは誰だっただろうか。
「彼女じゃないなら知らん。はい、解散」
「従姉妹」という発言で一気に興味を失ったのか、クラスメイトたちが光流の席から離れていく。
しかし。
「いや待てよ。従姉妹ってことは紹介して貰えばワンチャン?」
——そんな、一人の呟きに教室は再度色めき立った。
『紹介しろ!!』
「嫌だよ!」
光流とクラスメイトの攻防はSHRのチャイムが鳴って担任の教師が入ってくるまで続いた。
それはもう、飢えた狼から家畜を守る羊飼いのように。
◆◇◆ ◆◇◆
午前の授業が終わり、光流は誰にも見つからないようにそそくさと教室を出て屋上に向かった。
元々男子生徒の割合が非常に高い学校なので屋上で仲睦まじく弁当を食べ合うカップルなどいない。わざわざ場所移動をするとしても行き先は学食くらいで弁当持ちの生徒は大抵教室で昼食を済ませる。
だから屋上はがらんとしており、人目に付きたくない光流にはちょうどよかった。
屋上の床に座り、手にしていた弁当の包みとコンビニの袋を置いて光流は口を開いた。
「スノウホワイト」
「どうした、ヒカル」
光流の呼びかけにスノウホワイトが姿を現す。
「お昼ご飯、食べよう」
「だからわたしは食事の必要がないと」
そんなことでわたしを呼んだのか、と呆れるスノウホワイトに光流はいやいやと首を振った。
「俺が一緒に食べたいの。ほら、これ食べて」
そう言って光流がスノウホワイトに手渡したのはコンビニの袋ではなく弁当の包み。
「いや、これはキミの母親がキミのために——」
「いいからいいから。母ちゃんの弁当、美味いから食ってみろよ」
さっさとサンドイッチの封を開け、光流が頬張り始める。
「ヒカル……」
サンドイッチを頬張る光流と手の中の弁当を見比べ、スノウホワイトは諦めたように包みを解いた。
弁当箱の蓋を開けると、中には唐揚げやミニトマト、チーズを詰めたちくわなどいくつかのおかずとふりかけをかけた白米が詰められている。
箸を手に取り、スノウホワイトが唐揚げを口に運ぶ。
「……美味しい」
「だろ? 母ちゃんの唐揚げは冷めても美味いんだよ!」
熱弁する光流にスノウホワイトが無表情ながらも小さく頷いた。
「いいのか、わたしなんかに大切な弁当を——」
「わたし『なんか』って言うなよ」
スノウホワイトの言葉を光流が遮る。
「俺はスノウホワイトに母ちゃんの弁当を食ってもらいたいと思った、それだけ」
「——そうか」
そういうものなのか、と呟きつつスノウホワイトが弁当を食べる。
最後の一口を食べ終え、スノウホワイトが弁当箱を包み直したその時。
「——ッ!」
何かに気づいたか、スノウホワイトが弾かれたように立ち上がった。
同時に光流もぞわりとした寒気を感じ、立ち上がる。
「これは——」
緊張したようなスノウホワイトの声。
「近くにいる」
「そうだな」
光流も確かに感じ取っていた。
近くにいる——
部外者が校内に侵入することはできないはずなので、そう考えると
そう、警戒する光流の前に、一人の生徒がふらりと現れた。
「よお、天宮」
「青木——」
現れたのは朔夜だった。その斜め後ろに夜の闇を思わせるような昏い青色の少女が付き従っている。
「ミッドナイトブルー……」
光流の隣でスノウホワイトが低く呟く。
「俺が気づかないと思ったか? 昨日見たって言ってんだろが」
そう話す朔夜の言葉の端々に嘲るような響きが含まれていることに気づき、光流が奥歯を噛み締める。
「
「それ以上言うな!」
光流が叫ぶ。これ以上スノウホワイトを愚弄することは許さない。
「スノウホワイトにも願いはある! 俺はその願いを叶えるために戦う!」
「はん、やってみろよ! 俺はもう三人狩ってるぞ」
少なくとも俺はお前より有利な立場にいるという朔夜の自信。
だからと言って光流も引くわけにはいかない。
「スノウホワイト!」
光流がスノウホワイトを呼ぶ。
分かった、とスノウホワイトも頷く。
「彩界展開!」
「そうか、自分が弱いから防衛に回るってか!」
構築された氷のダンジョンに、朔夜の嘲るような笑いが反響して消えていった。