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第2話「作られた孤城」

 周囲はしんと静まり返っていた。

 人の姿も、見慣れた古い家屋もそこにはない。あるのは凍りついたような白い洞窟。


 見慣れた街並みが消え去り、巨大な氷の柱が乱立し、乱反射する光が辺りを照らす。まるで鍾乳洞のような様相を呈し、足元から冷気が這い上がるような錯覚を覚えるその中で、光流はやはり状況が飲み込めずにいた——というよりもこれから起こることを想像し、身震いした。


彩響者コンダクター、トラップの設置を」


 狼狽える光流の隣でスノウホワイトが落ち着き払った声で指示をする。


「トラップの設置?」


 指示が理解できずに光流が繰り返すと、スノウホワイトは苛立った様子で光流を睨み付けた。


「契約が成った際に全ての知識が埋め込まれるはず。知らないとは言わせない」

「いやだから契約なんてしてないし」

「しかし、現に契約は成っている。わたしにどうしろと」


 いくらスノウホワイトが「契約は成った」と言えども光流には契約を交わしたという自覚がない。しかし、スノウホワイトの言い分が正しいのなら本来ならきちんと契約を交わし、全ての知識を得た状態でこの戦いに参加するはずだったのかとだけは漠然と感じ取る。


 つまり——光流とスノウホワイトの契約は想定外イレギュラー

 光流の反論でスノウホワイトも同じことを考えたらしい。


「まさかの想定外……。そんなわけが——いやあり得るのか」


 想定外は常に付き物だ、と呟いたスノウホワイトはちら、と光流を見て、それから右手を軽く振る。

 そこに巨大なタッチパネルがあり、スワイプするかのような動きに無駄がなく、光流が見とれていると目の前に一枚のウィンドウが現れた。


「わあ」


 SFでは定番のホログラム映像のようなそのウィンドウに光流が思わず声を上げると、スノウホワイトが空中にさらに指を滑らせながら説明する。


「この洞窟はわたしたちが防衛するための概念空間。説明する時間はない、そのトラップ一覧から罠を選択し、配置してくれ」


 スノウホワイトの言葉に、光流は「でも」とは言わなかった。

 本当は言いたい。何が起こっているのか未だに分からないのにいきなり「トラップを設置しろ」と言われて分かりましたと言える訳がない。

 だが、それでも光流の心の奥——本能にも似た部分が叫んでいた。


——ええい、何を悩んでるんだ! やらなきゃやられる!


 ここまで来て今更嫌だと言うわけにもいかない。

 腹をくくれ、と光流は両手で自分の頬を叩いた。

 ぱしん、と乾いた音と共に光流の中で覚悟が決まっていく。


「設置は一覧から選ぶだけ?」

「……あ、ああ。一覧から選んで任意の場所を選べば設置できる」


 ほんの一瞬、スノウホワイトの言葉が戸惑ったように聞こえたが、光流はそれをスルーする。

 今はそれどころではない、その思いが光流の心を支配していた。


「分かった。要はトラップゲームってことか」


 先ほどまでとは打って変わり、驚くほど落ち着いた光流の声にスノウホワイトはただ頷くしかできなかった。

 それは光流も同じで、あれだけ心臓が爆発しそうになっていたのに今は落ち着いている自分に驚いている。


 スノウホワイトは明確に「敵」だと言った。ここが防衛のための空間だとも言った。それならスノウホワイトの言う通り罠を仕掛けなければ敵に攻め込まれて殺されるだけだ。

 ふう、と一つ息をつき、光流はトラップ一覧とその隣にあるマップを見た。


 自分が言った言葉の通り、この空間はトラップを仕掛けて侵入者を排除、もしくは侵入者を弱らせて仕留めるトラップゲームのルールが適用されているようだった。


「トラップゲーム、と言うことはキミはルールをもう理解しているのか」

「まあ、大体分かる。コストの範囲内でトラップを設置、敵を撃破すればいいってことだろ? あと、白い点と緑の点があるけどこれは俺たちと敵の位置ってことでいいかな?」

「そうだ。この色だと敵は『ウォーターグリーン』だな」


 じりじりと白い点に向かって動く緑の点に、スノウホワイトが答える。

 なるほど、と頷き、光流は目の前のウィンドウに指を走らせた。


「トラップゲームは得意だ。一時期ハマってたし。いかに効率よくトラップを配置し、敵を弱体化させるか——敵も気づいたトラップを破壊できるならダミーを置いて死角に本命を置く」


 それもバレたらムダ撃ちだけど、と言いつつトラップを設置する光流の手の動きには迷いがなかった。横で見ているスノウホワイトには光流の作戦は理解できなかったが、それでも自分が何も知らない状態でここに侵入したら大打撃を受けるな、という自覚だけはあった。


——ゲームのルールとほぼ同じだからって、こんな状況でよくやるな、俺。


 そんな考えがちらりと光流の脳裏をよぎる。

 人間は極限状態になればその本性が出ると聞くが、まさか俺の本性って冷徹? とふと思ってしまう。


「お、地形もあるなら利用しないと」


 そう呟きながらトラップを設置する光流に、スノウホワイトは一瞬だけ寒気を覚えたような気がした。


「スノウホワイト」


 トラップを設置しながら、光流はスノウホワイトを呼ぶ。


「何だ?」

「コストを残すことにメリットはある?」


 それは単純なルール確認。

 光流の質問に、スノウホワイトがああ、と頷く。


「余剰コストは光彩ルクスコード——つまりわたしたちの攻撃力になる。トラップだけで敵を撃破できる自信があるなら使い切ればいいが、自信がないならある程度残しておいたほうがいい」

「それだけ聞ければ十分だよ」


 そう言った光流の口元に笑みが浮かぶ。


「まだよく分からないけど、今やってることは光彩ルクスコードの戦いって認識でいい?」


 その質問に、スノウホワイトは再びああ、と頷いた。


「今はその認識でいい。この戦いが終わったらきちんと説明する」

「了解。だったら生き残らないとな」


 移動する緑の光点が設置されたトラップに接触する。

 同時に遠くで氷の柱が軋むような音が響いた。マップの上を移動し続けていた緑の光点もほんの少し動きを止め、足止めされたのだと視覚的に理解する。


「! 効果あり!」


 光流には分からなかったがスノウホワイトはトラップの発動による敵のダメージを感知したのだろう。効果ありと声を上げたスノウホワイトは驚いたように光流を見た。


「落とし穴を回避した先のニードルが当たったようだ」

「うーわー、初歩的な罠に引っ掛かってんの……」


 光流としては軽くジャブのつもりで設置した複合トラップ。それが効果を発揮したと聞いて拍子抜けしたらしい。


「これならトラップだけで撃破もあり得るかな」

「いや、そうは甘くない」


 真剣な面持ちでマップを見ながらスノウホワイトが呟く。


「ここでダメージを受けたということはこの先はかなり警戒するはず——わたしたちも行くぞ」

「え、行くの!?」


 思わず声を上げたものの、光流も分かっていた。

 自分が仕掛けたトラップだけではとどめは刺せない。確実に倒すには自分たちが動くしかないということを。そのために攻撃力となるコストも残している。


「——分かった」


 すぐに気持ちを切り替え、光流は頷いた。


「行こう、スノウホワイト。こんなところで死んでたまるか!」

「それでこそわたしの彩響者コンダクターだ。行くぞ」


 そう言ったスノウホワイトの顔がほんの少し誇らしげで、光流はなんとなくだが親近感が湧いた。

 ただ沈着冷静なだけでなく、燃える時は燃えるんだと思うとスノウホワイトの彩響者コンダクターも悪くないかな、と思ってしまう。尤も、その彩響者コンダクターというものがどういうものかはよく分かっていなかったが。


 スノウホワイトと並び、氷の柱が煌めく洞窟を光流が走る。仕掛けたトラップは敵味方を識別するようで自分たちには牙を剥かない。


「いたぞ!」


 洞窟の一角を指差し、スノウホワイトが声を上げる。

 その方向に、光流も視線を投げた。


「——っ!」


 を見た瞬間、光流は思わず息を呑んだ。

 ごくり、と光流の喉が大きく動く。

 そこにいたのは二人の人影だった。

 一人はやや色褪せたような薄緑の髪をした、スノウホワイトによく似た少女。そして——。


「……人……だったの……」


 掠れた声で光流が呟く。

 もう一人は光流が仕掛けたトラップによって傷を負った男だった。出血している様子はないが、引き裂かれた衣類を見る限りはかなりの深手を負ったはず。


 そんな男の、忌々しそうな視線と薄緑の少女の冷たく鋭い視線が光流を射貫く。

 そんな、聞いてないという光流の声が氷柱に反射する。


「当たり前だろう、光彩ルクスコード彩響者コンダクターと対になって初めてその力を発揮する」


 スノウホワイトの冷たい声が、光流の耳を通り過ぎていった。

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