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第1話「砕けた虹」

「おー、またなー」


 JR大垣おおがき駅、その中に併設されている樽見鉄道のホームに降りた天宮あまみや光流ひかるはJR線に乗り換えるため走り出した友人に手を振り、改札に向かって歩き出した。


 新年度が始まって数日、桜はすでに散り、葉桜になりつつある。日は長くなったものの、放課後になっても校内で友人と駄弁っていたため大垣駅に着いた頃には辺りは少し薄暗くなりかけていた。


 光流の家は大垣駅に程近い林町はやしまち近郊。改札を出て左手に曲がれば大垣駅北口に出る。

 時間が早ければ近くのショッピングセンターで遊んでも良かったが、もう時間が遅いので素直にエスカレーターに乗って地上に降りることにする。


 ロータリーを抜け、いくつかの角を曲がると辺りは昭和テイスト漂う住宅街へと風景を変えていった。

 中には今にも崩れてしまいそうな古い家屋もある路地を歩きながら、光流ははぁ、とため息をつく。


 帰りが遅くなった理由を思い出し、ほんの少し憂鬱になる。


「彼女、かぁ……」


 教室で駄弁っていた友人、牧瀬まきせ智也ともやの自慢げな顔が光流の脳裏に蘇る。


——A科の合田あいださんと付き合うことになった!


 そう、ドヤ顔で報告してきた智也の顔は忘れられない。


 ただでさえ女子が少ない学校なのにちゃっかり彼女作るとは。羨ましいと同時に「俺も彼女が欲しい!」と思ってしまう。


「っても、出会いなんてなー……」


 届を出せばアルバイトも不可能ではない。アルバイトで出会いを探す方法もあったが忙しい学校生活をさらに忙しくする気は光流にはなかった。もちろん、「忙しくする気はない」というのがただの「やらない理由」であるのはよく分かっている。


 有り体に言ってしまえば、「そんな努力をすることなく手軽に彼女が欲しい」というのが本音だ。もちろん、そんな考えがあるからモテないのも理解していたが。


 彼女欲しいな、付き合うとしたらどんな子が——いや、今のままが俺には合ってるか、そんな思考が光流の脳裏をよぎった時——。


 突然、光流の目の前が真っ白になった。


「——!?」


 否、目の前が、ではない。光流の周囲が白い光に包まれている。


——集え、ルクスコードの申し子たち——。


 そんな声が聴覚に——脳内に届く。


「な、なんだ!?」


 辺りが見えないほどの光量なのに、なぜか眩しさは感じない。それに、熱ではなくひやりとした冷たさを覚える。

 何が起こっているのか全く理解できないうちに光は掻き消え、光流の前に——


「……転移完了」


 一人の少女が立っていた。


「え、な、何」


 思わず、光流は目の前の少女を凝視した。

 新雪を思わせる、仄かに燐光を放っているかのようにも見える白い髪。髪と同じ純白のワンピースの裾がゆらゆらと揺れている。


 少女がゆっくりと光流に視線を向ける。

 その、青みがかかった灰色の瞳が光流を捉えた。


「何を見ている」


 凛とした少女の声が辺りに響く。


「え、お、俺は別に——」


 少女に声をかけられ、光流は慌てて両手を振った。

 やましい気持ちはない。はっきり言ってない——はず。

 いや、確かに「綺麗な子だな」とは思った。声をかけられた瞬間、心臓が跳ねたのも認める。


 だが、それ以上のことは何も考えていない。考えるどころではない。

 ぼんやりと「彼女欲しいなあ」と思っていたところへ超絶美少女が現れたからといって彼女が恋人となることはありえない。それはもう一億パーセントくらい。


 光流がそう慌てていると、少女ははぁ、とため息をついた。


「わたしは見世物ではない」


 凛として、どこまでも冷たい声。

 雪を思わせる少女はその見た目通りの冷たさで光流を突き放した。


「お、おう……」


 すっかり少女に気圧され、光流がこくこくと頷く。

 そんな光流の耳に、


「おい空を見てみろ!」


 そんな声が聞こえてきた。

 その声に反応して、光流と少女が思わず空を見上げる。


「な——」


 その光景を見た瞬間の印象は「虹が砕けた」だった。

 まるで虹が砕けたかのように赤、青、緑——無数の色が流星群となって空から降り注いでいる。

 極彩色に染まった空は色で満ち溢れていたが、それを見た光流はなぜかぞっとするような悍ましさを覚えた。それはまるで、色彩が空だけではなく世界そのものを引き裂いてしまうような。


——嫌な空だ。


 とても鮮やかで幻想的な光景のはずなのに、それを美しいと思えない。

 注視し続けていると戻って来れなくなるような錯覚を覚え、光流は空から視線を外し、少女を見た。


「——」


 険しい顔で空を睨みつける少女。


「始まった」

「始まったって、何が」


 少女の呟きに、光流が思わず問いかける。


「色彩舞う、願いの戦争」


 その言葉を聞いた瞬間、光流の背筋を冷たいものが走った。

 意味も何も分からない。

 色彩、願い、そして戦争。その三つがどのように関わりあうのか皆目見当がつかない。


 いや、それでもなんとなく理解してしまった。


「この空が、関係してる……?」


 そんな呟きには耳を貸さず、少女は光流に背を向けた。


彩響者コンダクターを探さないと」


 歩き出す少女。光流はそれを止めない。止める理由もない。

 しかし、少女が数歩歩き出したところで光流は強い力で引かれ、つんのめった。


「わっ!?」


 無様に転ぶことはなかったが、少女の方へと一歩よろめく。

 何が起こった? と混乱する頭で体勢を立て直した光流の耳に、じゃら、という音が届いた。同時に、右の手首にずしりとした重みを感じる。


 光流が右手首に視線を投げると、そこには白く光る鎖に繋がれた、これまた同じく白く光る枷が嵌められていた。


「え——」


 光流の視線が鎖を辿る。

 長さ三メートルほどの光の鎖の先にも枷が付いていた——少女の左手首に。


「え?」「え」


 光流と少女が思わず顔を見合わせる。


「そんな、契約が——」


 呆然と声を上げる少女。

 今まで鋭く、冷たく佇んでいた少女が明らかに動揺している。

 動揺は光流も同じだった。


——どういうこと!?


 現状が全く理解できない。

 何が起こったのかを順を追って思い返そうとするが、混乱した頭には何も浮かばない。


「契約の儀を交わしていないのに契約が成立するとは聞いていない!」

「契約って何なんだよ!」


 憤り、鎖を引く少女。鎖を引きちぎりたいのだろうが少女の腕力ではそれは叶わず、もう片方の端で繋がれている光流がぐいぐいと引き寄せられる。


 たまらず光流も鎖を引き返し、枷を外そうとする。

 少女と鎖で繋がれました、はあまりにも状況が悪すぎる。少女を家に連れて帰るわけにはいかないが、枷が外れなければ連れて帰るしかない。早く帰らないと家族が心配するのに、これはどうすればいいのか。


 何度か鎖を振り、それが切れることはないと理解した少女は諦めたのかはぁ、とため息をついて光流を見た。


「キミ、名前は?」

「え? 俺?」


 突然名前を訊かれ、光流の声が裏返る。


「お、俺は——その……天宮光流」

「ヒカル、か、了解した」


 そう言い、少女は真っ直ぐに光流を見た。


「わたしは『スノウホワイト』。彩響者コンダクターの剣となり盾となる者。そしてわたしとキミは契約が成立してしまったらしい」

「ちょっと待って何が何だか全く分からん!」


 立て続けに少女——スノウホワイトの口からこぼれた単語の数々に、光流が音を上げるがスノウホワイトはそれには全く応じない。


「不本意だが、契約が成されたのなら仕方ない」

「だから何なの!?」


 勝手に決めないでと抗議する光流。素知らぬ顔で周囲を見回すスノウホワイト。


「早速だがヒカル、来るぞ」

「来るって、何が!? せめてもう少し状況を教えて!?」


 そう、声を上げる光流の隣で、スノウホワイトは落ち着き払った様子のまま日の落ちた通りの一角を睨みつけた。


「話している時間はない——敵だ」

「敵!?」


——え、何、敵ってどういうこと!?


 そんな光流の焦りも虚しく、スノウホワイトが言葉を紡ぐ。


「——彩界展開」


 その言葉がスノウホワイトの口から漏れた瞬間、世界が


「だから、何が起こってるの!?」


 光流の叫びを飲み込んで。

 やけにうるさく聞こえる自分の鼓動を聞きながら、光流はたった一つだけ理解した。


 ——自分がとてつもない何かに巻き込まれたということを。

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