早春の夕暮れ、西日が街を優しく染める頃。高校生の男女が、放課後の帰りにいつも通る近道の裏路地を抜けようとしている。その様子を1匹の黒猫が塀の上に座ったまま尻尾をゆらゆらと揺らしつつじっと見ていた。
「茜、明日の数学のテスト、ちゃんと準備できたか?」
「優斗こそ、またギリギリになって慌ててるんじゃないの?」
優斗と呼ばれた青年は明るい笑顔で後頭部を掻きながら、返ってきた茜の言葉に苦笑いした。彼らは幼い頃からの幼馴染で、この通学路も毎日一緒だった事を黒猫は知っている。優斗の明るく好奇心旺盛な性格と、茜の冷静で分析的な思考は、いつも互いを補い合っていた。
「テストの話を振ってくるって事は、また分からないところが出てきたの?教えてほしいの?優斗?」
「その通りでございます。茜さま」
「いつもそんな調子じゃ、いつか間に合わなくなる時が出てくるよ。まったく、毎回今度だけとか言いながら調子のいい言い訳して。まあ付き合ってあげてる私も私だけどさぁ……」
いつもの茜のお説教を聞きつつも、どこか違和感を感じつつ優斗は周りを見渡した。
「ちょっと、聞いてるの?」
「なんか今日、この路地変な感じしないか?」
優斗が立ち止まり、前方を指さした。その時、不意に黒猫が「にゃー」と鳴いた。
「あ、いつもの猫ちゃんだ!」
茜が指差し、歩み寄って行き、黒猫は茜にじゃれついていく。黒猫の興味を引けるものが無いか、茜はカバンの中身をあさり始めた。一方、優斗は普段なら何もない空き地を何気なく見やると、そこに小さなバンが停まっている様子が視界に入ってきた。不思議なことに、その周りには薄い青白い光が漂っているのが確認できた。
「……何だあれ」
優斗が眉をひそめた。黒猫が立ちあがり、再び「にゃー」と鳴いた。しかしその声を無視するように、優斗の声を聞いた茜は黒猫を気にしつつも空き地に目を向けた。二人は慎重に空き地に近づいて行った。すると、バンの周りで何かが起きていることが明らかになってきた。
なんと、荷物らしき箱が、宙に浮いていた。
「え?え?え?」
声を上げた茜の視線の先には信じられない光景が展開されており、二人は思わず足を止めた。浮いている箱を必死に押さえつけようとしている二人の大人の姿が見えた。一人は明るい茶色の髪をポニーテールにした女性、もう一人は不機嫌そうな表情の男性だった。
「もう、ちょっと大人しくして!」
女性が箱に向かって話しかけている。
「拓人さん、そっちしっかり押さえて!」
「やってるよ!こっちだって必死だよ!ちくしょう!」
拓人と呼ばれた男性が苛立った声で返す。その時、女性が何気なく振り返り、路地の入り口に立ち尽くす優斗と茜に気づいた。
「あ……」
一瞬、時間が止まったかのような沈黙。次の瞬間、女性は慌てふためき思わず叫んだ。
「ほら、見つかっちゃったじゃん!」
箱が再び激しく動き、拓人の手を振り切って空高く舞い上がった。
「ほらじゃないよ。お前のせいだろうがこのバカ千秋!とりあえず先にこっちを何とかしろ!」
拓人が女性に叫ぶ。
「もう、わかってるってば!」
千秋と呼ばれた女性は急いで両手を前に伸ばし、何かを唱えるような仕草をした。すると、彼女の指先から淡い光が放たれ、空中の箱を包み込む。箱はゆっくりと地面に降りてきて、おとなしくなった。
優斗の目が興奮で輝いた。
「今の……魔法?」
「あなた達……見ちゃったのね」
千秋が申し訳なさそうに笑った。
「というか、見られてるの分かってるのに魔法使ったのはお前だろ?」
拓人が深いため息をついた。
「しかし、緊急事態だったとはいえ大変なことになったな……」
「店長にどうやって報告する?」
「どうもこうも……。そのまま報告するしかないだろう?」
悟りきったような眼をして拓人は遠くを見つめた。
「ごまかしきれないかな?……いや、ごめん。言ってみただけ」
拓人から厳しい視線を向けられて千秋は思わず謝った。
「ごまかそうもんなら、どんな事になるやら……。店長の情報収集能力を甘く見ない方が良いことは分かってるだろ?」
「そうだけど、こう、希望的観測というか、こうだったら良いなって……」
最後は消え入りそうな声で千秋が言い訳をする。
「しゃーない。とりあえず事務所に戻るしかないか……」
そんな四人の様子を確認すると、黒猫は不機嫌そうにバタバタと尻尾を振ると、足音も立てずに塀の陰に消えていった。