目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第27話

満月まであと数時間。


朝日が昇る前の薄暗い時間帯に、青山は目を覚ました。体を包む温かさに驚き、ふと見下ろすと、「調和の鍵」が彼の胸の上で静かに脈打っていた。昨夜の誓いの場面から、まるで生き物のように彼に寄り添っているようだった。


「起きたか」


静かな声に振り向くと、佐久間が壁際に座り、遠い目をして何かを見つめていた。いつ眠ったのか、いつ起きたのか、この男はいつでも物静かに存在していた。


「佐久間さん…もう起きてたんですね」青山は「調和の鍵」を大切そうに握りしめながら立ち上がった。「他のみんなは?」


「村瀬と加納は外周の偵察に。白石と橘は朝食の準備。中村は…」佐久間は少し間を置いて、「まだ寝ている」と付け加えた。


青山は思わず笑みを浮かべた。どんな重大な局面でも、中村の存在が妙な安心感をもたらしていた。


「あの…佐久間さん」青山は恐る恐る聞いた。「祖父の日記、もう一度見せてもらえませんか?」


佐久間は無言で、懐から古びた日記を取り出した。


「ありがとうございます」青山はそれを受け取り、丁寧にページをめくった。古い紙の匂いと、かすかに残る墨の香りが、過去への扉を開くようだった。


「特に見たいページはあるか?」佐久間が珍しく会話を続けた。


「はい…千年前の封印の儀式について書かれた部分を」


佐久間は青山の横に腰を下ろし、日記の特定のページを指し示した。達筆な文字で、千年前の封印についての伝承が記されていた。


「これは…」青山は息を呑んだ。「佐久間家に伝わる秘密の記録?」


佐久間は静かに頷いた。「我が家は代々、『闇の守護者』の血を引いているらしい。表立っては言わなかったが、祖父は常に『火の封印』の真実を記録し続けていた」


青山は日記に目を走らせた。そこには、これまで耳にした伝承とは異なる、衝撃的な事実が記されていた。


「これによると…」青山は声をひそめた。「千年前の封印は、かがりを罰するためではなく、保護するためだったんですか?」


佐久間の目がわずかに細められた。「そう解釈することもできるな」


日記によれば、当時の村人たちはかがりの力を恐れ、彼女を排除しようとしていた。しかし、蒼と少数の理解者たちは、かがりを守るために「封印」という形を取ったというのだ。それは完全な封じ込めではなく、彼女の力を抑制しつつ、外部からの危害も防ぐ、一種の「保護」だった。


「でも、なぜそんな回りくどいことを…?」青山が疑問を口にした瞬間、広間の入口から声が響いた。


「おはよう、二人とも!」


橘が明るい声で入ってきた。彼女の手には、野草を使った即席のお茶らしきものが入った容器があった。


「温かいお茶よ。白石さんが工夫して作ってくれたの」


「ありがとう」青山はお茶を受け取りながら、頭の中は依然として日記の内容でいっぱいだった。


橘は二人の真剣な様子に気づき、首を傾げた。「何を話していたの?秘密?」


佐久間が黙ったままなのを見て、青山は少し迷った後、正直に答えることにした。「千年前の封印の真実について…」


「本当の真実?」橘の目が輝いた。「私も聞きたい!」


彼女の純粋な好奇心に抗うことは誰にもできない。青山は日記の内容を簡単に説明した。橘はその話に聞き入り、時折メモを取りながら頷いていた。


「なるほど…」彼女は思案顔で言った。「でも、それなら最初から正直に『保護』だと言えばよかったのに」


「権力者たちの面子もあっただろう」佐久間が静かに言った。「それに、完全な真実は時に危険だ。一般の人々が理解できる形に変えることも必要だった」


「それでも!」橘は熱く反論した。「真実を歪めることで、千年もの間、かがりさんは悪者にされ続けたのよ!」


その時、入口から別の声が割り込んできた。


「おや、朝からなんだか熱い議論だね」


白石が穏やかな笑顔で入ってきた。彼の後ろからは中村も姿を見せ、大きなあくびをしながら頭をかいていた。


「なんの話?」中村が目をこすりながら尋ねた。「俺を置いてけぼりにするなんて酷いじゃないか〜」


青山は日記の発見について、新たに加わった二人にも説明した。白石は静かに聞き入り、中村は「なんだか複雑すぎて頭が痛くなりそうだぜ」とぼやきながらも、真剣に耳を傾けていた。


「つまり…」白石が整理するように言った。「かがりさんは本当は悪くなかった。そして、最初の封印は彼女を守るためでもあった…」


「けど、時代が下るにつれて誤解が広がり、最終的には『悪霊の封印』という形で伝わった」橘が続けた。


中村が頭を抱えた。「めちゃくちゃややこしいな!でも、要するに今日やるべきことは変わらないよね?『調和の鍵』で新しい道を作るってことで」


「根本的にはそうだが…」佐久間が言いかけたとき、外から急いだ足音が聞こえた。


村瀬と加納が息を切らせて広間に駆け込んできた。二人の表情には緊張が走っていた。


「なんてこった…見つけたぞ」加納が珍しく興奮した声で言った。


「何を?」青山が立ち上がった。


村瀬が深呼吸をして言った。「『六番目の火』だ」


「六番目の…?」全員が驚きの声を上げた。伝承では、封印に使われたのは「五つの火」だったはずだ。


「ダンジョンの最深部、まだ僕たちが探検していなかった区画で見つけた」村瀬が説明した。「古い祭壇と、そこに眠る謎の結晶…」


加納が続けた。「通常の『五つの火』の配置とは全く異なる場所にある。しかも、結晶の形状や刻まれた文様も他の五つとは明らかに違う」


「これは…」青山は「調和の鍵」を強く握りしめた。「見に行くべきですね」


全員が同意し、急いで準備を整えた。中村は文句を言いながらも、半分食べかけの朝食を置いて皆に続いた。


***


村瀬と加納に導かれ、七人はダンジョンの未知の区画へと足を踏み入れた。通路はこれまでのものより狭く、天井は低い。壁に刻まれた模様も、どこか異質だった。


「なんだか雰囲気が違うね」橘が周囲を見回した。「まるで…別の時代に作られたみたい」


加納が頷いた。「私もそう思った。おそらく、『五つの火』の封印とは別の時期に作られたのだろう」


佐久間が突然足を止め、壁の刻印を凝視した。「これは…かがりより古い文字だ」


かがりさんより古い?」白石が驚いて壁に近づいた。「じゃあ、一体誰が…?」


「少なくとも千年以上前、という意味だな」佐久間が静かに言った。「かがりが火の巫女になる前から、この場所は存在していたのだろう」


七人は静まり返った。彼らが探っていた謎は、思っていたよりもさらに深いものだったのかもしれない。


通路を進むと、やがて小さな円形の部屋に到達した。中央には石の祭壇があり、そこに黒い結晶が置かれていた。結晶からは微かに紫色の光が漏れ出ていた。


「これが『六番目の火』…?」青山は恐る恐る祭壇に近づいた。


「気をつけろ」村瀬が警戒心を露わにした。「何が起こるか分からない」


青山が祭壇の前で立ち止まったとき、彼の手にある「調和の鍵」が強く反応した。七色の光を放ち、黒い結晶に呼応するかのように脈打ち始めたのだ。


「これは…」


青山が「調和の鍵」を黒い結晶に近づけると、突如として部屋全体が光に包まれた。七人の周りの空間が歪み、まるで別の次元に飛び込んだかのような感覚に襲われる。


光が収まると、彼らは見知らぬ場所に立っていた。磐梯山の山頂らしき場所だが、周囲の景色は明らかに現代ではない。古代の集落が見え、人々が簡素な暮らしを営んでいる。


「これは…幻影?」中村が周囲を見回した。「それとも、タイムスリップ?」


「おそらく過去の記録だろう」加納が冷静に分析した。「黒い結晶に封じられていた記憶が、私たちに見せられている」


彼らが観察していると、山頂に一人の女性が現れた。赤い装束を身にまとったその姿は、一見かがりに似ていたが、明らかに別人だった。


「あれは…かがりの先代?」白石が驚いて声をあげた。


女性の周りには五人の人物が円を描くように立ち、何かの儀式を行っている。中央に据えられた祭壇には、赤い結晶――「火の鍵」の原型と思われるもの――が置かれていた。


「先代の火の巫女と、最初の守護者たちか…」村瀬がつぶやいた。


儀式の途中、突然空が暗くなり、山が揺れ始めた。噴火の前兆だ。人々は恐怖に叫び、逃げ惑う。しかし、火の巫女と五人の守護者たちは動かなかった。


巫女が両手を広げ、赤い結晶に触れると、不思議なことが起きた。山の内部から湧き上がる炎のエネルギーが、彼女を通して大地に流れ込んでいくのだ。それは噴火を防ぎ、エネルギーを安全に解放する方法だった。


「これがオリジナルの役割だったんだ…」青山は理解し始めていた。「火の巫女は山と人々を繋ぐ存在。火山のエネルギーを制御し、大地に均等に流す役目を持っていた」


幻影はさらに続き、時代が下っていく。巫女の世代交代、幾度かの試練、そして…突然の変化。守護者たちの中に不和が生じ、一人が離反する様子が映し出された。


「あれは…」佐久間が目を細めた。「闇の守護者だ」


離反した守護者は黒い結晶――今、祭壇の上にあるものと同じ――を手にし、独自の力を追求し始めた。それは調和ではなく、力の独占を目指すものだった。


やがて守護者たちの間で争いが起き、黒い結晶の力を追い求めた闇の守護者は封印されてしまう。そして、彼の結晶も一緒に隠されたのだ。


幻影はそこで終わり、七人は再び小さな部屋に戻っていた。


「信じられない…」橘は動揺を隠せなかった。「これは私たちの本当の歴史…」


「そうか…」村瀬が静かに言った。「かがりが火の巫女になる前から、このシステムは存在していた。そして、かつて守護者の一人が離反した」


「離反した闇の守護者…」佐久間の表情が暗くなった。「私の先祖に当たる者かもしれない」


「そうとは限らないさ」中村が彼の肩を叩いた。「今の佐久間は立派な『闇の守護者』だしな!」


「でも、この黒い結晶は一体…」白石が不安そうに祭壇を見つめた。


青山は「調和の鍵」を見つめながら考え込んでいた。突然、彼の頭に閃きが走った。


「分かった!」彼は興奮した様子で言った。「これは『調和の鍵』の最後のピースなんだ!」


「どういうこと?」村瀬が食い入るように尋ねた。


「『調和の鍵』は『火の鍵』と『氷の鍵』が合わさったものです」青山は説明した。「でも、本来は『六つの火』があった。最後の一つ、『闇の火』が欠けていたんです」


「なるほど…」加納が理解を示した。「だから完全な調和が実現できなかった…」


「昔の守護者たちの争いによって、システムの一部が失われていたというわけか」村瀬がつぶやいた。


青山は恐る恐る「調和の鍵」を黒い結晶に近づけた。二つが触れ合った瞬間、驚くべきことが起きた。黒い結晶が光に包まれ、「調和の鍵」に吸収されていったのだ。紫色の結晶は徐々に変化し、七色の光彩がさらに鮮やかになった。


「完全な『調和の鍵』…」青山は息を呑んだ。


新たな「調和の鍵」から、部屋全体に光が広がった。壁に刻まれた古代の文字が一斉に輝き始め、床に巨大な地図が浮かび上がった。それは以前見たものより遥かに詳細な、磐梯山とその周辺のエネルギー経路の地図だった。


「こんな複雑なシステムだったのか…」加納は地図を食い入るように見つめた。


「守護者たちと火の巫女によって千年以上維持されてきた伝統…」橘が感嘆の声を上げた。


「そして、それが途切れたことで、磐梯山のエネルギーバランスが崩れ始めた」白石が静かに付け加えた。


地図の一部が赤く点滅し始めた。山の内部だ。


「あれは…」村瀬が指さした。「マグマだまりの圧力が高まっている場所だ」


「時間がないな」佐久間が重い口調で言った。「このままでは大噴火が起きる」


青山は新たな「調和の鍵」を握りしめ、決意を固めた。「私たち七人が、千年の間違いを正す時が来ました」


「どういうことをすればいいんだい?」中村が聞いた。


青山は地図を指しながら説明した。「『六つの火』を正しい位置に配置し、エネルギーの経路を復活させる。そして、私たち七人の力で、新たなバランスを作り出すんです」


「それが本来の火の巫女と守護者たちの役目…」村瀬が理解した。


「つまり、かがりを単に解放するだけでは不十分だった」加納も気づいた。「システム全体を復活させなければならない」


「みんな」青山は全員を見回した。「これが私たちの本当の使命です。千年前から続く争いを終わらせ、本来あるべき調和を取り戻すこと」


七人の顔に、新たな決意の色が浮かび上がった。彼らはようやく、自分たちが背負うべき真の責任を理解したのだ。


「さて、満月までもう少しだ」村瀬が言った。「準備を始めよう」


七人は部屋を後にしようとしたとき、最後の驚きが彼らを待っていた。通路の壁に、突如として新たな文字が浮かび上がったのだ。古代の言葉と現代の日本語が混ざった不思議な文章。


『七つの心が一つになるとき、千年の闇も光に変わる。だが、真の敵は過去の亡霊。自らの闇に打ち勝て』


「これは…警告?」白石が不安そうに尋ねた。


「あるいは予言か」佐久間が静かに言った。


「真の敵は過去の亡霊…」青山は言葉を反芻した。「離反した守護者の魂が、何らかの形で今も存在している可能性がある」


「まさか、今夜の儀式を妨害しようとするのか?」村瀬の表情が引き締まった。


「それもあり得る」加納が厳しい口調で言った。「いずれにせよ、万全の備えが必要だ」


「良いことに」中村が明るく言った。「俺たちには最強の七人がいるじゃないか!」


全員が苦笑しながらも、どこか安心感を覚えた。確かに彼らは「選ばれし者たち」だ。千年の時を超えて、この時代に集まった七人の守護者。


「さあ、行こう」青山は「調和の鍵」を高く掲げた。「私たちの最後の戦いに」


彼らはダンジョンの出口へと向かった。満月の夜に行われる儀式、そして待ち受ける「真の敵」との対決。全ての謎が解けるまで、あと数時間。


青山は「調和の鍵」を胸に抱きながら、かがりの声が聞こえてくるような気がした。


『選ばれし者たちよ…千年の時を超えて、ついに真実に辿り着いた。さあ、新たな歴史を紡ぎ出そう…』


七人の周りに、七色の光が静かに揺らめいていた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?