とある新宗教が、とんでもない儀式を敢行しようとしていた。
『
ドイツの古城街道。教団が買い取って本部とした、山林に放置され廃墟となった中世由来のとあるゴシック建築城の広間。
夜中に巨大な魔法円を描き、その内周にそって十数人程度の信者を整列させ、真ん中に指導者が直立していた。彼は高位聖職者のような身なりの老人で、信徒たちは神父やシスターのような衣装に身を包んでいる。
あちこちに灯された蝋燭やランプによる古臭い照明の中。儀式は終えていたが、雰囲気だけのいい加減なものだった。ただ瓶の蓋を開けさえすれば、イフリートは飛び出てくるのだから。
インチキがばれ信徒が減りつつある中、どうにか繋ぎとめようという算段だった。
教祖が全くの無能なわけではないが、せいぜい霊的力を感じたり、手元にある魔法の封印がされた瓶から鉛の蓋をはずすのが限界だった。
かくして、開封された瓶からそいつは出現する。
熱気の煙で成される、吹き抜け二階の天井にも届く鬼のような巨人として。
「おのれ人間ども、もう騙されはせんぞ!」
巨人はそこにあったシャンデリアを腕の一振りで墜落させ、魔法円の外で開口一番怒り狂った。
無理もなかった。
『千夜一夜物語』によれば、かの魔神はソロモン王に戦いを挑んで封印され海底に沈められたあと、長い時の流れの果てに漁師に偶然引き上げられた。
この時点で彼は自分への仕打ちに怒り、封印を解く人間がいたら殺そうとしていたが、漁師は機転を利かせ、「本当に小瓶なんかに入ってたのか?」と挑発。力量を侮られたと憤慨した鬼神が自ら縮んでそこに入って証明するや、また蓋をして海に沈めたのである。その後紆余曲折あって改心したイフリートだが、どういうわけか結局また人の手で閉じ込められていた。
当然、三度解放されたイフリートは前回前々回の分を上乗せして激怒する。
「ど、どうです!」なのに、半端な知識しかない教祖は信者たちへと得意げだ。「教団は正しかったでしょう、本物の魔神さえ呼び出せるのですからね! さあ、この事実を伝えもっと同志を増やすのです!!」
信徒たちは歓声を上げた。
ところが。
「なにをふざけてやがる、人間め!」
イフリートは吼えながら、やすやすと魔法円の内部に踏み入ったのだった。
教団の人員たちはすべからく目が点である。円は、結界の役割があるはずなのに。
阿鼻叫喚で動けもしない信徒たち。教祖はいざという時は漁師の真似をして対処しようと決めていたのも忘れ、腰を抜かして山のような魔神を見上げるばかりだった。その手に握られた小瓶を見出したイフリートは、最初の狙いを決めた。
覆い被さるように襲い掛かったとき。
不可視の障壁が、教祖を護った。
無論、奇跡ではない。彼のすぐ前にいつの間にか出現した、魔女染みた三角帽子とローブで全身を隠す十代半ばの子供の仕業だった。
「おいたはほどほどにしとくんだね」
魔神に対峙しつつ、少女は老婆のような口調で警鐘を鳴らす。なのに、声色はうら若き乙女なのだ。
「き、君は?」
問う教祖。なにしろ、教団の人員ではない。
なのに振り返りもせず、魔女少女は命じる。
「いいから手伝いな、こいつを図形に加えるんだ」
と、後ろ手に羊皮紙を差し出した。そこには、現在ある魔法円にいろいろとプラスされた設計図が描かれている。
「貴様、何者だ!?」
鬼神が彼女とを隔てる空間に拳を叩きつけ、半透明の障壁が一瞬具現化。ひびが入った。
「魔法律執行者、魔法少女アラディア」少女は名乗って断罪する。「あんたは魔刑法第一三〇条、結界侵入罪の現行犯だよ」
「そうかい、法の犬めが!」
対峙する巨大な腕の圧力が強まり、アラディアと称した少女は急かす。
「インチキ教祖、さっさとしな! イフリートはジンの階級の上から二番目、場合によっちゃ悪魔の首領イブリースより強大とされる。〝
そう、アラビアの
それら全てを纏めるのは本来キリスト教などの魔王サタンと似た立場を担うイブリースとされるが、彼はシャイターンであるともされる。すると、イフリートは魔王すら超越しうるのだ。
慌てて、教祖を含む信者たちは用意していたチョークを用いて羊皮紙の通りに魔法円の装飾を強化しだす。
「な、なんなんだよ」作業をしながらも、彼らは愚痴った。「魔法円って、バリアみたいなもんじゃないのか?!」
「そんな不可思議能力じゃないよ」
少女は鼻で笑った。
「こんな単純な魔法円は、〝立ち入り禁止の看板〟や〝木とロープの柵〟みたいなもんだ。ならず者には無視されて当然さ。そいつを、〝電気柵〟と〝逮捕状〟に強化してるってとこだよ」
「さっきからなんなんですか、人間の世界の法律みたいに!」
「あんたらでも〝魔術師が悪魔と契約してその力を借りる〟とかいうお伽話くらい耳にしたことはあろう。なんで、そんな無駄な真似をする必要があるんだい?」
呆れた口調で、アラディアは諭す。
「悪魔がひたすら悪行の限りを尽くす無秩序の塊みたいな連中なら、契約なんて無為な手順は踏まずに好き放題悪事を働けばいいじゃないか」
「そ、そういえば、なんでですかね?」
「答えは簡単だ。人に例えるなら、悪魔は法律を気にせず暴れる狂人とは違う。法網を掻い潜るマフィアやヤクザみたいなもんさ。神々が定めた法である神定法の隙を突いて、犯罪を行う輩なんだよ」
そして、幼げな魔法使いは断言したのだった。
「法律の〝法〟は、魔法の〝法〟なのさ」