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第4話 パン

一瞬、空気がさらに研ぎ澄まされる。

二人しかいない教室で、天戸の驚いた瞳が俺を射抜いていた。

音が戻ったのは外から大きな爆発音が響いてからだ。

おそらく、魔法師と封魔夢との戦いが激化しているのだろう。

そして、目の前の謎のクラスメイトはゆったりと口を動かした。


「一番、聞きたいのがそれなのかい?」

「だって、気になるだろ。パンを作るのって凄く時間かかるだろ?もしかして、魔法パン焼き機を持ってるとか?」


だったら、まあ、朝の手作りもマシか?

でも、魔法が発達したとはいっても、料理器具周りに関しては出遅れてるんだよな。

さらに市販で売り出されている魔法パン焼き機は超高価。

安くても40万円台だって言う話だし、後は作れるパンの数はせいぜい3種類。


我ながら、調理器具情報に強いのはなぜなのか?


大体が母さんの独り言を覚えているのが原因である。

パンに関しては神岐市育ちだからだ。

なにせ、この街はパンが有名で美味しいパン屋の激戦区なのだ。要するに身近ってわけ。


後、魔法パン屋機器で焼いたパンは独特なお味なのだ。


もちろん、美味しいんだけれど…。

手作りのそれとは違う。


まあ、これは好き嫌いがあるって話しなだけだけどな。


「それで、どうなんだい?」


そんな風に聞き返せば失礼な事に天戸は腹を抱えて笑い出す。


なんだよ。質問しただけだろ?


「ごめんごめん。予想外の返しだったから驚いたんだ」


不満そうな顔を向ければ、彼は謝罪もほどほどに興味深さげに笑う。


「魔法パン焼き機は持ってないよ」

「なら…」

「全部手作り。大体朝の3時くらいに起きてるかな」

「ええっ!じゃあ、何時に寝てるんだよ?」

「う~ん。時間は特に決まってない。でも、僕はあまり眠らなくてもいいタイプみたいだから」

「そりゃあ、羨ましい限りだな」


俺はいくら寝ても寝足りないぐらいなのに。

母さんいわく、思春期は仕方がないといっていたが個人差はあるようだな。


「ミルクパンとか食パンとかどっちも作ってるのかい?」

「ああ、他にもクロワッサンとかフランスパンも?」

「はああっ!それってもうパン屋じゃん」

「家はパン屋だしね」


なるほど。


「もう、継ぐ気満々なんだ」

「いいや。それは決めてない」

「よく言うよ。もう、極めてるじゃん」

「パン作りはいわばライフワークみたいなものだからね。それに小麦粉とバター、後、発酵の気配は整わせるのにちょうどいいから」


また、整うか。


「ふ~ん。そんなものなのか」


妙に納得して見せると天戸の瞳はさらに強くなる。


「何?」

「いや、君みたいな人だからそうなのかなって思って…」


だから、何が?


「気になるのはパンだけかい?」

「まさか。そういや、パンの気配は整わせるって言った?」

「やっぱりパンがらみになるのか?」

「これはたまたまでして…」

「そうだよ。パンは僕にとって修復のアイテムって所かな?」

「修復?さっき使った魔法と関係ある?」

「魔法とどう違うんだ?」

「気になる?」

「まあ…」

「なら…」


天戸が言葉を紡ぐ前に教室の扉が勢いよく開いた。


「おーい、桜真ちゃん。魔法科の実践超迫力あったぜ。封魔夢とか瞬殺」

「はいはい。わかったから」


杉浦と藤里が興奮気味に戻ってきた。

そのすぐ後ろからは他の生徒たちもぞろぞろと教室に戻ってくる。

気づけば、教室は活気づいていた。どこを見渡しても魔法師の話ばかり。

天戸は何も言わず、自分の席に戻っていた。

パンの話も、彼が歪理と呼んだ現象も何もかも、なかったかのように…。


「げっ!二限目まで後1分もねえじゃん」


杉浦の嘆きにスルーしつつ、俺は自分の日常に再び引き戻された事を実感したのであった。


その後は二限目、三限目、四限目となんの変哲もない時間が過ぎていく。

俺はいつも通りに飲まれて、朝、見た不思議な光景を少しずつ棚にしまっていった。


だけど、放課後になると、なぜだかまた違和感を覚える。

いや、違和感というほど大きなものじゃない。

ただ、ふとした拍子に、耳に届くチャイムが聞こえずらかった気がしただけ。

毎日のように鳴る放課後の予鈴。

なぜか今日は聞かなかったなという感想を持っただけ。


「なあ、チャイム鳴ったっけ?」

「いつも鳴ってないだろ?」


藤里に何気なく質問したが、首をかしげられるだけだ。


「うん?そうだったかな?」


自分の感覚に自信が持てず、それでもなんだかモヤモヤする。

しかし、鳴らないという事実は正直…俺の日常にあまり影響も出ない。

だから、帰ろうとしていた俺に、天戸が声をかけてくる。


「糸森君。ちょっと、付き合ってくれないかい?」

「どこへ?」


彼は笑みを浮かべたまま、人差し指を天井に向けた。


「屋上?」

「違うよ。四階」

「この棟は三階までしかないだろ?」

「あるよ」


まさか!

そんな思いを持ちつつも彼の後についていく。


「おかしいな?」


思わず首を傾げてしまう。

俺達がたっているのは三階でいつもなら、屋上へ続く扉は閉じられている。

だが、目の前に映るのは紛れもなく20段ほどある階段。


「君にはここが最上階だっていう記憶があるのかい?」

「そうだな」

「なるほどね」


自分でも不思議な回答をしているという認識があるのに、隣に立つ天戸は特に表情一つ変えずに俺の言葉を受け入れた。


「じゃあ、行こうか」

「上がるのかい?」

「そりゃあ、放送室に用があるからね」


それこそ不自然だ。


「放送室は隣の棟…」


そこまで言って、俺は言葉を紡ぐのを辞めた。


「天戸君。君についていったら、俺の頭で起きている事が分かるのかな?」

「すべてではないけれど、おそらく…。大丈夫。君ならね」


天戸はやはり自然に口元を緩める。

“いつも”の彼だ。


それだけで、なぜか空気が和らいだ気がする。

やれやれ、妙な一日だ。

こうなったら、もう少し付き合っても罰は当たらないかもな。

さて、四階に行こうじゃないか。

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