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第2話 日常

碧見原あおみはら学園は広大な敷地内に幼稚園から大学院までが同一敷地内に収まっている超巨大教育機関だ。しかも、一般開放されている図書館に公園、カフェテリア、研究センター、学術ホールまで完備され、神岐市民の生活と結びついていたりもするから驚きだ。しかし、ほとんど高等部の棟から動かない出不精な俺は学園の全容を把握していない。さらに公立である。


それはまあ、どうでもいいか。

とにかく俺の日常はいつもと同じはずである。

その朝の2年C組の教室からは予想通りざわめきが響き渡っていた。


「おうっ!桜真ちゃん。昨日の試合見たか?火廻の魔球イグニスループ、超エグかった」

「杉浦は毎日違う魔法スポーツ観戦してるよな」


談笑するクラスメイト達よりも頭一つ分ぐらいは背の高い杉浦大和とは中等部からの付き合いだ。

ちなみに火廻の魔球は魔弾マギアブレッドと呼ばれる魔法式が組み込まれた球を相手ゴールに入れる魔法スポーツの選手の決め技である。

まあ、魔法がつくだけでサッカーとほぼ同じであったりはする。


「糸森君が来てくれて助かったよ。さっきからずっとこれだからさあ」


長い髪を後ろで束ねた男前こと藤里圭吾はうんざり顔で出迎えてくれる。


「ご愁傷様」


もはや、朝の通過儀礼のような会話を二人としつつ、俺は自分の席についた。

窓側の一番後ろからは教室がよく見渡せる。

女子たちの他愛無い声や本を読んでいる者。

マギスマホから目を離さない男子。

よく見る朝の光景だ。


そして、目に留まるのは彼だ。


天戸蓮…。

細身で中世的な雰囲気をした男子学生。

切りそろえられた髪は清潔感を漂わせ、表情は緩やか。

よくいる優等生タイプのクラスメイトに今日“も”いるのかと思う。


いや、…“は”…か?


とにかく背中がゾワゾワするのはなんなんだ?

最初は教科書を読んでいると思ったら、なぜか今はフランスパンを食べている。

さっきは食パンじゃなかったか?

と謎の感想を持っていると…。


「ミルクパン?」


今日はいつもより激しいな。

頭で思っている事と見ている世界の認識が文字通りズレている。

昔からたまにあるんだよな。

あるはずの物がなくて、ないはずの物がある感覚…。


こういうのデジャブっていうのかな?


でも、検査とかしてもとくに何も無いしな。

まあ、やり過ごすしかないない。


「ん?」


俺は自分を納得するように頭の中で会話していたのだが、彼がこっちを見ている事に気づいた。

さっきと同じく、ほんわかした表情を浮かべて…。

そして、その瞳は妙に印象的で、なんていうのかな。


――深い?


それこそなんだよ。

直感的に感じた天戸という青年への第一印象につっこみを入れたくなる。


「それ、焼き立て?」

「そうだよ。よくわかったね」

「なんとなく?」

「食べる」

「じゃあ…」


俺はふんわりとした感触のミルクパンを口に放り込んだ。

予想通り、モチっとしていて…。


「美味しい…。どこで買ったんだい?」

「つくった」

「おっ!」


見た目も味もコンビニとか、はたまたパン屋で作ったような見事な出来だよ。

素人とは思えない。


「それって冗談?」

「違うよ。今日のは、バター強め。牛乳も高いのを使った」


淡々と返されて、俺は言葉に詰まった。

嘘じゃないなら、本当にかなりの腕前だ。

正直、彼のライフワークに興味が湧いてくるが気楽に話せるほど彼と仲良くはないはず…、

むしろ、初対面の気分だ。

おかしいな。彼の席は昨日もそこにあったのに。

でも違う…。


「ねえ…。君って……いつからこのクラスにいたっけ?」


口に出した瞬間、教室の空気がぴたりと止まった。

いや、止まったように感じただけかも?

でも、確かに周囲が一瞬ざわついた気がするんだよな。


「何言ってんだ?天戸はずっといるだろ?」

「そうだよなあ」


杉浦が笑いながら肩をたたいてきても、どこか納得できない。

後ろで、彼と話を始めた藤里がいてもだ。


――きゃああっ!

――素敵!


俺は違和感を消化できないまま、窓の外からは黄色い歓声が上がった。

3階の教室の下を覗き込めば、特徴的な紫のローブを身にまとった男女の集団が中庭を通過していく。


この光景もいつもと同じだ。


「魔法科は毎日賑やかだな」


同じく彼らを眺める杉浦は言った。


「そりゃあ、我が校のスターたちだからな」


藤里も同様だ。


彼らや彼女の周りを取り囲むのは学園内にいるファンだろう。


現代の日本では基本的に10歳になったら魔力測定が義務となる。

大体が魔力不可が出る。つまり魔力が検知されないのだ。俺や杉浦。後は藤里…というか一般科の生徒は全員そうだろう。そして、魔力値が1でも表示されればとりあえず未成年は魔法科に入れられる。


彼らはこの世界に当たり前のように存在する精霊を視て、彼らと契約を交わし魔法機無しで魔法を操る。その体に流れる魔力でのみ魔異禍に干渉できる。

その中でも特に封幻夢と渡り合える魔法師は高い魔力を要求されるらしい。

確か、魔力測定で100%のうちで最低でも60%の数値は必要だって聞いたような?


「昨日、現れた封幻夢を倒した魔法師の中に海埼かいさきさんがいたらしいぜ。凄いよな。俺達と同じ歳なのにもうプロとかさあ」


やっぱり、いたか。


ローブの先頭を歩く肩までの髪を後ろでポニーテールにしている少女に視線を移した。

記憶の中の彼女よりも凛々しく綺麗だな。


「おいおい。命をかけて戦ってくれてる魔法師と一般人を一緒にしたら方々から怒られるぞ」


藤里は杉浦の言葉に的確な言葉で否定したのであった。


そうとも…。


天賦の才たる魔法で力を持たない俺達を守ってくれている彼女と俺とではもはや別の星の住人だ。


――桜真くん。


一瞬、幼い頃の記憶が頭の隅をかすめた。

これこそ、あったかどうかもはや、定かでない。

まあ、ここで思い悩んだ所で彼女は俺をおそらく覚えてもいないし無意味だ。


とはいえ、海埼千世という少女の日常はきっと激しくて想像できないんだろうな。

幸い、俺の世界は晴れた海辺のように緩やかなんだと思う。


今だって、動画を撮影している女子に勉強を始める男子。

机をくっつけて、一緒にイラストを描いている子。

なんとなく黒板の前で雑談している3人のグループに一人が加わる光景。

そういう日常が広がる。

そのすべてに天戸という青年は自然に溶け込んでいる。


ずっとそうしていたように…。


やっぱり俺の感覚がおかしいのか?


確かに彼がいた記憶はずっとある。

二週間前にあった新学期特有の自己紹介の光景も体育の授業でペアを組んだという認識もはっきりとしている。


それこそ、さっきよりもずっと濃く…。


それでも、どうしても、昨日まで「天戸蓮」という存在が“いなかった”気”がしてならない。

彼がいない景色といる世界が同時に頭の中に共存しているみたいな感覚。


あえて、その証拠をあげるとするなら、あの目かな?

ただ静かに微笑んでいるくせに、こちらの“違和感”にはすべて気づいているような…。

音をちゃんと認識できないあの琥珀色だ。

まるで、“バレても構わない”って言ってるみたいなんだよな。

それこそなんだよって感じだけど…。


「授業始めるよ」


妙な感じに苛まれたとしても、先生はやってくるし授業は始まるのである。

つまりはいつもと同じだ。

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