――春。
それは始まりの季節。
そして、とにかく体が重くなる時期。
3分…いや、1分でいいからベッドの中に潜り込んでいたいなと思いつつも起きないわけにもいかないので怠け心を諭しつつ足を地面につけた。
裸足だとやっぱりまだ冷たいか。
カーテンを開け放てば、見知った街が広がる。
「今日は晴れだな」
まあ、雨が降ったところで空全体に
《昨夜、|神岐《かみき》市郊外で
流れてくるTVのニュースは耳で聞き流しつつ、俺の今の最大の関心はと言えば、並べられた目玉焼きと卵焼き、後はお味噌汁を時間内に食べ終わるかという点だけだ。母さんが用意した料理に玉子料理が並び過ぎなのはこの際置いておくが、どうして、平日の朝はいつもこんなに慌ただしいのか?
せめて5分、早く起きれば済む話だと分かっていても高校二年の男子学生にとってはいかに長く眠るかの方が重要なわけで…。そう言い訳をしつつ、俺こと糸森
俺の住んでいる神岐市は西の方にある国内ではそこそこ知られている一応“魔法都市”である。
とか、それっぽい名前で語ってみたけれど、魔法文明が根付いている現代の日本においては、普通の地方都市に変わりはない。もちろん、海と山に囲まれた街の中心部は人で賑わっている。
100mぐらいの高さの神岐タワーは街のシンボルであるし、立派な展望台だってある。
だから、観光地としてもかなり魅力的だと地元民の俺は思っているが実情は調べていないので分からない。とはいえ、ちょっと路地に入るとすぐ住宅街だし、坂道も多くて、慣れていないとしんどい。
桜はきれいだけどね。要はどこにでもある都会で田舎…それが神岐市なのである。
ただ、この街にだってやっぱり、どこの国、地域と同じで魔法由来の災害…魔異禍の脅威に晒されているわけで…。
災害と称しているけれど、内容は魔法が絡んでいれば、なんでもありだ。悪意のある魔法による破壊行為だったり、
《昨日の映像が届きました。どうぞ》
アナウンサーの声に促されて、今日初めて顔をあげると画質の悪い夜の町が映っていた。しかし、神岐タワーよりもさらに上空を生身で飛び回る複数の人影は確認できる。それぞれが黒だったり赤だったり違う色のローブを纏い、杖や剣を振り回している。
所々、青白い光が点滅しているのはおそらく彼らと契約を交わした精霊の魔法による物だろう。
結構昔だったらCGだとか合成だとか言われて騒がれたんだろうが、今生きてる俺は現実だと理解できる。
「最近、封幻魔、増えてんのかな。先週も出たばっかりなのに」
俺はぼんやりとTVを眺めつつ、玉子焼きを頬張った。
魔異禍の中で特に恐ろしいとされている封幻魔が自然災害認定されてから50年ぐらいか。
空気中に漂う
とにかく、平穏を脅かす彼らを始末するのも今まさにニュースで取り上げられている魔法師達なのである。彼らが日々、封幻魔と戦ってくれているおかげで街は比較的平和なんだよな。
そういや、うちの魔法科の学生の中にもすでに実践に出ている生徒もいた。
もしかしたらこの中にいるかも。
「桜真、TVにくぎ付けになってていいの?」
台所から母さんの声が飛んできて、最後の卵焼きを口に運んだのであった。
「ヒーローさん達の活躍はちゃんと拝んどかなきゃ…」
「何ふざけてんのよ」
「その発言は問題だ。魔法師さん達はこの世界の英雄なんだから」
「はいはい。だけど、あんたは魔法師じゃないんだから勉強しなさいよ」
「魔法師さんの話からどうして、小言に発展するかな」
「母親ですから」
「おっと、言いますな。まあ、学校に封幻魔が出たら勉強どころじゃなくなるけどな」
「もしそうなったら、ちゃんと逃げなさいよ。変な正義感だして、ヒーローごっことか無しだから」
慌ただしい朝に真面目な母親のトーンは結構胸に来るからやめて欲しいよ。
「するわけないだろ。俺は魔力を持たない人間なんだから」
この世界には二種類の人間がいる。魔力を持ち魔法を扱える人間。
彼らは唯一封魔夢を倒せる精霊と契約を結べる。
そして、魔法の才がなく、精霊と縁のない一般人。
俺は後者だ。
でもだからって、卑屈になったり、人生を諦めたりはしないんだよな。
だって、ほとんどの人間は魔力を持たないから。
魔法師が選ばれた人間なら、俺はその他大勢って事。
でも彼らも俺だってボタン一つで組み込まれた魔法式が発動する魔法端末は難なく使いこなせるし、
要は何にも困ってないわけ。
だから、俺は今日も選ばれた人達が守ってくれる神岐市で普通の学生をやるのである。
「じゃ、行ってくるよ」
玄関の扉を開けて、冷たい朝の空気を勢いよく吸い込んだ。
ほんの一瞬、胸の奥にざらりとした何かがひっかかる。
それはたぶん、違和感?
何かが…。
どこかが…。
ズレている?
でも、その何かが分からない。
「参ったな」
全身を駆け巡る得体のしれない感覚とは裏腹に俺は結構、冷静だったりする。
だって慌てたって仕方がないもんな。
いつもの事だ。だから、気づかないフリをする。
それでも、ひっかかりがさらの大きくなったのは教室に足を踏み入れた時だった。
あれ?
なんとなく、ふと思い出した名前。
知っているはずなのに、どこか馴染みがない。
知らないはずなのに、なぜか親しみを感じる。
矛盾する感想が交錯するけれど…。
彼はいつもの通りそこに座っている。
教室の窓際から見て二列目の3番目の席に…。
――
緩やかな笑みで食パンかじる謎めいた青年。
今日も彼は、何食わぬ顔でそこにいた。
でも確かに…。
昨日まで俺は彼の存在を知らなかったはずなのにな。