またこの夢だ、最近見る夢はこればっかりでうんざりする。原因はおそらく数週間前に近所のゲームセンターで引いたカプセルトイだ。都市伝説と不思議の国のアリスの組み合わせという自分の好みに見事にヒットしたその商品に、持っていた小銭を全部使い切ってしまった。
『次は活け造り〜…活け造り〜…デス。ご希望の方いらっしゃいませんカア』
ノイズまじりの車内アナウンスと共に奥の車両から亜里子のいる車両へ誰かがやって来る。ワイン色の帽子と制服と腕章を身につけた姿は車掌そのものだが、左右で長さの違うとがった猫のような耳とズボンから出た長い尻尾が彼が人間ではないことを証明していた。
『ん〜…やはりトランプ兵の首では物足りませんネエ。お仕事お疲れ様でシタ』
車掌のそばには蝶ネクタイをしたテーマパークか海外アニメのキャラクターのような子猿が2匹、それぞれに自分の身長を超える大きさの穴あきスプーンや長い刃の包丁など物騒なものを持ってあとをついてくる。背の高い車掌は座席に座る亜里子の前まで来るとふいに立ち止まり、目線を合わせるようにしてしゃがみこんだ。
『……活け造り、貴女でもいいんですけどネエ。あ〜でも今夜はいないようでスシ、小生欠片ほども貴女に興味はないので……見逃してやりましょうかネエ』
『ご主人様……公爵夫人をここへ連れて来てくだサイ。頼みましタヨ、アリス』
車掌は一方的にそう言うと立ち上がり、両肩に子猿たちを乗せて去っていこうとする。手をふる子猿たちに向かって亜里子は質問しようとするが金縛りか何かにあったようにまったく声が出ない。
待って、公爵夫人って誰?
「…………どこにいるの、教えて」
やっと声が出た。その瞬間、ちりちりと痛いほどの無数の視線が亜里子の皮膚を通りこして突き刺さる。電車の中なのは夢と同じだ。ただ、あの異様なピンク色の市松模様だらけの空間ではなかった。
ああ、しまった、これは現実だ。
思わず声…出ちゃったじゃん。
他の乗客からの視線が少しずつ外れていくのを感じながら、亜里子は心の中で舌打ちした。
*
その翌日は1日、亜里子はまったく授業についていけなかった。昨夜電車の中で見たあの夢のせいだ。一体いつから始まったのか覚えていないがここ数週間、いや数ヶ月くらいずっとあの夢が続いている。毎日夜になるとあの電車に乗っている。
夢は夜ごとに少しずつ鮮明になってきて、今ではほとんど現実と変わらないリアルさだ。それだけに朝起きると特に吐き気がひどい。鼻の奥にこびりついたように血の臭いが残っている。
『公爵夫人をここに連れて来てくだサイ。頼みましタヨ、アリス』
頭の中にあの子猿をつれた車掌の声が繰り返される。そういえばアタシはまだ名前を名乗ってもいなかったのに、どうして知ってたんだろう。放課後。帰宅のために電車に乗った亜里子は座席に座った途端、連日の睡眠不足のせいか眠りにおちた。
『……おや、これはこれは。まだそちらは夜じゃないですよネエ。来るのが早すぎやしませンカ。ああそれとも、ご主人様が見つかったんでスカ?』
眠った瞬間にあの電車にいた。見渡すかぎりのピンク色と市松模様がうずまく明らかな異空間。亜里子の目の前には車掌がすでにしゃがみこんでおり、期待をこめた眼差しで亜里子の顔を見上げていた。さらさらとした車掌の肩あたりまで伸ばされた真っ白な髪が風もないのにふわり、とゆれる。
『で、見つかったんでスカ』
「……ま、だ」
いつもは意識があっても声がまったく出せないのにこの日は違った。亜里子は喉から必死に声を絞りだすようにして車掌の質問に答える。
「見つ……かって、ない。それ、から、アンタ……誰?」
『なあんだ、それは残念。見つかってないんでスカ。うーん、どうしましょうかネエ、名前は教えてもいいんですケド』
「けど?」
亜里子が聞き返すと車掌が黒いマスクごしににんまりと口を三日月のようにつりあげて笑うのが見えた気がした。
『小生は……猿夢と申しマス。今後はどうぞお見知りおきをアリス。そういえばこの間は小生の気まぐれで見逃してあげましタガ、今回は……逃しませンヨ』
しゃがみこんだままの車掌……猿夢の声から一切の感情が抜け落ちた。猿夢の両肩に乗っていた子猿たちが亜里子の体に飛び移り、瞬く間に顔まで登ってくる。その小さな手には巨大な先割れスプーンがしっかりと握られていた。
*
悪い夢なら覚めてほしい。夢の中の電車で子猿たちに右目を抉られた亜里子は遅れてやってきた痛みに耐えかね、たまらずに絶叫する。猿夢は無言のままで亜里子が苦しむ様子を観察している。口元は黒のマスクで隠れているがきっとにんまりと笑っているに違いない。
ここは夢の中だというのにものすごく痛かった。右目を襲う激痛と血の臭いに声すらあげられない。もしかして目を醒ませば、この痛みから解放されるだろうか。
『いや〜……実に綺麗な色の瞳ですネエ。このサファイアかラピスラズリと見まがうほどの
戻ってきた子猿たちから抉った亜里子の眼球を手渡され、虹彩の色を見た猿夢がひゅう、と大げさに口笛を鳴らす。
『ああ。ちなみに夢から醒めれば解放されると思っているなら無駄でスヨ。貴女のその右目はもう使えまセン。なにせ小生の夢は現実すらも侵食しますからネエ。逃れられるすべはありませンヨ』
猿夢が亜里子の頭の中の考えを見透かしたかのように告げる。猿夢に同意するかのように肩にのった子猿たちがきぃ、と一声鳴いた。
『ああいや……たったひとつだけありまシタ。貴女がご主人様をここへ連れてきてくれたらすぐに解放しましょう。どうです、今度こそ約束できまスカ?』
「じゃあさ……一緒に探すの手伝ってよ。アタシだけじゃとっても手が足りないし」
『は?え、アリスそれ……本気で言ってマス?小生はこちらの仕事がありますのでぜひお断りしたく―――』
亜里子ががっ、と猿夢のネクタイを手で掴んだ。そのまま強めに引いて自分のほうに寄せてから睨みつける。右目からまだ血が出ていて痛いのがさらに亜里子の気分を苛立たせた。
「うるさい。ごちゃごちゃ言ってねえで、アタシに協力しろ」
『あ…………ハイ』
凄んだ亜里子に負けた猿夢が観念したように頷く。両肩の子猿たちが主人を心配そうに見上げ「頑張れ」と励ますように肩をたたいた。
*
それから数日。亜里子は学校が終わって帰宅する前に猿夢たちと合流して例のカプセルトイを探し歩いた。どういうわけなのか彼らは夢の中以外でも実体化できるようなので二手に分かれて町のあちこちのコンビニやゲームセンター、スーパーマーケットなどをはしごする。
『ありましタヨ、今からこっちに来れまスカ』
「うん。どこにいるの」
亜里子のスマートフォンに猿夢から電話が来た。どうやらすぐ近くのゲームセンターにいるらしい。亜里子は「行くから待ってて」とだけ伝えると携帯を閉じた。
「おまたせ」
『今日は早かったですネエ。はいこれ、ちなみに全部はずれデス』
猿夢がそう言ってカラフルな丸いカプセルがぎっしり入った水玉模様の青色のエコバッグを亜里子に手渡してきた。服装はいつものワイン色の車掌の衣装ではなくうっすら市松模様の柄のはいった革のジャケットと同色のスラックスに短めのブーツでまとめていた。黒いマスクと真っ白な髪をのぞけばどこにでもいそうなただのおじさんにしか見えない。
「ええ、これが全部?公爵夫人ってそんなに出ないの?まさかシークレット枠とかじゃないよね」
『違いますよ、ほらここ。ちゃんとラインナップに入ってマス。よっぽど外に出てきたくないのか……もう小生に引かれたくないとしか思えまセン』
猿夢がカプセルトイの機械のカラー印刷されたカバー写真を指さして信じられないというように首をすくめる。亜里子が猿夢に代わって数回引いてみたが結果は同じだった。日が暮れてきたのでその日は切り上げ、自宅に戻ると両親との夕食を済ませてから「勉強するから入ってこないで」と言って自分の部屋に直行する。
部屋に入ってドアに鍵をかけると勉強机に向かう。そこにはここ数日の間で増えたあのカプセルトイ「都市伝説のアリス」のフィギュアたちが棚にずらりと並んでいる。中には重なったものも多く、なかなか全種類のコンプリートは難しそうだ。すでにいくつかはインターネットのフリーマーケットサイトで売ろうかと思っていた。
『今……小生のこと売っちゃおうかな~……とか思ってまシタ?』
「うわ⁉ちょっと、いきなり出てこないでよ猿夢。心臓に悪いんですけど」
亜里子はいつの間にか部屋に出現していた猿夢に背後から低い声で囁かれて驚く。おまけに頭の中の
「4個もあるんだから1つくらいいなくなってもいいでしょ。ダメなの?」
『……小生としては嫌ですが、アリスがもし邪魔だと思うならどうぞご自由ニ』
猿夢が亜里子の手にした自身のフィギュアを見て非常に悲しそうな表情をしたので思いとどまった。そういえば亜里子が最初に引き当てたのは彼だった。最初の数日間は業界でも有名な造形師が担当したという高クオリティの電車内や猿夢の造形を毎日眺めて過ごしていたが、やがて他の都市伝説のほうが気になり猿夢は棚の奥のほうに追いやられた。
「ごめん猿夢……。売らないよ。早く公爵夫人を探そう」
『分かっていただけて嬉しいでスヨ。明日からは週末ですし、少し遠くのほうまで足をのばしてみましょウカ』
「うん。どこに行く?」
*
週末。親には友だちと一緒に遊びに行く約束があると嘘をつき、亜里子は4体の猿夢のフィギュアをリュックに忍ばせて隣町にあるショッピングモールに向かった。施設のフロアマップを片手に実体化した猿夢とともにカプセルトイのコーナーを探す。
『う~ん……あ、ここ。5階の隅のほうにありそうでスネ』
猿夢が亜里子のマップを眺めて5階のゲームセンターの奥を手袋をはめた手で指さした。早速エスカレーターを乗りついで5階のゲームセンタ―に行くとカプセルトイのマシンが並んでいた。しかし隅から隅まで探しても「都市伝説のアリス」は見あたらなかった。
『そんなに落ちこまないでくださいよアリス。ほら、うちの子猿たちも頑張ってって言ってまスヨ』
「だって……せっかくここまで来たのに。手ぶらで帰りたくないし」
人のまばらな休憩スペースで丸いテーブルを挟んで向かい合わせに座った猿夢の膝に子猿たちがちょこんと乗って亜里子を気遣うように見上げていた。一体いつ出てきたのだろうか。片方が亜里子のほうに寄ってきたのでまた何かされるのかと反射的に眼帯をしていない目を閉じると小さな手で優しく頭をなでられただけだった。
「……ありがとう。ごめんね、見つからなくて」
『そろそろ帰りましょうか。ああ、帰り際に近所のゲームセンターだけ寄りまショウ』
*
亜里子は猿夢と帰宅前に彼らと一番最初に出会ったゲームセンターに立ち寄った。お目当てのマシンを見つけると早速硬貨を入れて数度回してみる。
「…………あ、これ」
亜里子は振り返り、猿夢にたった今引いたばかりのカプセルを手渡す。カプセルの中身を見た猿夢の表情が変わった。何も言わずに蓋を開けて個包装された中身を乗せる手がわずかに震えている。
『お会いしたかったです……ご主人様』
猿夢はつぶやくとジャケットの裾ポケットにカプセルをそっとしまった。亜里子は帰宅して先に夕食を済ませた。その足で自室に入ると車掌の姿に戻った猿夢が赤いコートを着た幼い少女を両腕に抱いて勉強机の前に立っていた。おかっぱ頭の茶髪に気だるげな顔の少女は猿夢と同じく黒いマスクをしていたがコートと一緒でサイズが大きくて合っていない。
「はじめまして。えっと……公爵夫人、ですよね?」
亜里子が挨拶すると、少女がため息をついた後に口を開いてこう言った。
「どうしてアタシを引いちまったんだい。今コイツに聞いたらアンタとずっと探しまわってたって言うじゃないか。ったく何やってんだいアンタは」
少女――公爵夫人は猿夢の腹に思いっきり肘鉄を食らわせた。猿夢は何か言いたそうだったがその都度遮られていた。亜里子が止めようとすると、猿夢は「大丈夫」というふうに首を横にふる。
「そういえば……お2人って何の都市伝説なんですか。猿夢は分かるんですけど」
「アタシは口裂け女×公爵夫人、コイツは猿夢×チェシャ猫だよ。分かりづらいったらありゃしないけどね」
ふん、と公爵夫人は鼻を鳴らすと猿夢の腕の中で腕を組んでふんぞり返る。猿夢は主人のなすがままにされている。亜里子には抵抗したいけれど、あえてじっとこらえているようにも見えた。
「じゃあアリス、今夜からお世話になるよ」
「え」
「何言ってるんだい。完全コンプリート目指すんだろう?」
亜里子が一瞬かたまると公爵夫人は「だったら人手が多いほうがいいじゃないか」と胸をはる。猿夢が呆れた顔ではあ、と深いため息をついた。
『ご主人様が勝手を言って申し訳ありません……。どうかこちらに置いていただけませンカ。ご両親には絶対に見つからないようにしますカラ』
猿夢が片手で公爵夫人を支え、空いたほうの手を顔の前に持っていき謝罪のジェスチャーをする。亜里子はしばし考えたのち頷くとぱっと猿夢の顔が明るくなった。
「……いいよ。それじゃ明日からよろしくね」
『はい、よろしくお願いしマス。ほら、ご主人様も』
猿夢が促すと公爵夫人は腕から床に飛び降りて、着地すると亜里子を見上げる。その両目がいたずらっぽくにっ、と笑うと体が急激に成長し始め猿夢より頭1つ分あたり下で止まった。ぶかぶかだったコートやマスクがぴったりと体によくフィットしている。
「じゃ、よろしくアリス」
「は……はい。よろしくお願いします」
亜里子は元の姿になった公爵夫人を二度見しながら握手をし「とんでもないものを引いてしまったな」と思った。