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EXTRA 現実と虚構の狭間で

ナインピークス総合記念病院は日曜日だからか人が極端に少なかった。カミラはダレンと一緒に入り口を入ってすぐのナースステーションに向かい、グレイが入院しているかを尋ねる。


「ええと……グレイ・シャンさんですね。3階の1番奥の病室にいらっしゃいます。お見舞いかご家族の方ですか?」


穏やかそうな顔をした若い看護師がカミラとダレンを見ながら尋ね返してくる。カミラは「ええ」と曖昧な返事をして会釈をすると廊下の奥のエレベーターホールに行き、エレベーターが3階に着くと先ほど教えられた1番奥の病室に向かった。


その病室は大部屋で、他は空でグレイは窓際のベッドに寝かされていた。目視できる首と手首に包帯が幾重にも巻かれている。ダレンが小走りに近づき「グレイ、大丈夫?」と小さな声で語りかけるが反応がない。目を閉じているので眠っているのだろうか。


「……おや、これはこれは。彼のお見舞いの方ですか。残念ですが呼びかけてもダメですよ。搬送されてからずっと昏睡状態なんです」


柔らかい声がした。カミラとダレンが声がしたほうを振り向くとぼさぼさで赤みがかった髪をした男性医師が病室の入り口のドア付近に立たずんでいた。


「失礼ですがあなたは?」

「ああ、すみません。僕は担当医師のヴィクター・シュタイナーです」


ヴィクターはぺこりとお辞儀をしてからカミラに向き直るとベッド近くの丸椅子に座ってグレイが運びこまれた状況を簡単に話してくれた。


救急車が自宅に向かった時にはグレイはすでに気絶した状態だったらしい。首や腹部からは大量の出血、手足首には火傷のような跡が残っていたそうだ。


「首と腹部は速やかに応急処置しましたし、それ以外に特に目立った外傷や脳に異常はないのでそのうち目を覚ます……とは思うんですけどね」


ヴィクターはグレイの伸び放題の暗い灰色の髪と無精髭の生えた横顔を見つめる。カミラの横に座ったダレンはどこか落ち着かない様子だった。



グレイ。


グレイ……起きて。


グレイは誰かに名前を呼ばれた気がして目を開ける。灰色の霧と瓦斯ガスと夜に覆われたあの「ロンドン・ナイト1888」の中の路地裏に立っていた。隣にいたはずのダレンのアバターは姿を消し、代わりに両手に血が染みこんだような暗い色の大鎌が握られている。


『……ほら見て、あなたにお客様よ』


グレイの目の前に立つセピア色の舞踏会用ドレスを着た少女の姿をした切り裂きジャックが金髪を揺らしながら囁き、グレイの隣を指さす。左と右にいつの間にかカミラとダレンが立っていたがまるでマネキン人形かなにかのように表情がない。


『どうしたの?こっちでも2人に会えて嬉しいでしょう?』

「俺は……今、どうなっているんだ」

『現実の世界のこと?あなたは今、昏睡状態で病院のベッドの上よ。私が意識を返さない限りはそう……永遠に』

「ふざけるな、今すぐ返せ!」


グレイが手にした大鎌を大きく振るとジャックは後方に素早く宙返りをして避け、くすりと笑う。そして……突然姿を変えた。舞踏会ドレスがセピア色のロングコートになり、長く編まれた金髪が肩の上で揺れる。暗いピンクと緑色のオッドアイが不機嫌そうに細められる。


『おっと。危ないなあ。その鎌で体を切られるのはもう御免だよ。ダレンの時は完全に油断してたからね』


グレイはジャックの癇に障るにんまり顔に向かって鎌を振り下ろすが、簡単にかわされてしまう。


『ほらほら、あんまり激しく動くとせっかく縫合してもらった傷が開くよ』

「うるさい!」


グレイはジャックの忠告を無視して間合いを詰める。鎌を再度振りかぶった時、腹のあたりに体が引きちぎれそうな痛みを感じて地面に膝をつく。


『ほらあ。言ったでしょ俺。無理しちゃダメだって。あと現実にも影響あるしね』

「……何が、目的だ」

『へ?何のこと』

「とぼけるな、俺をここに閉じこめた理由だ!」


グレイが吠えるようにして叫ぶとジャックは大げさに驚いてみせ『理由なんてないよ。誰でもよかったんだし』と言う。


『別に君じゃなくてダレンでもよかったんだけどな。たまたまグレイが俺の目の前にいたからさあ……ついいつもの癖で切っちゃった』


特に悪びれる様子もないジャックの発言にグレイは開いた口が塞がらない。自分は今までこんな奴のことを追っていたのか?


『ああ、そうだ。そんなに嫌ならさあ今からダレンをこっちに呼ぼうか。グレイはあっちの世界に帰っていいよ……ただし』

「なんだ。まだ何かあるのか」

『ただし、俺を倒さないかぎり…………気まぐれでまたこっちに来ることになるかもねえ』


ジャックはそう言うとグレイのほうに歩み寄りとんっ、と額を指で強く突く。途端にグレイは気を失い、次に目が覚めた時には病室の中に立っていた。隣にはカミラがいてベッドには首と手首に包帯を厚く巻かれたダレンが寝かされている。見たことはない光景のはずなのにデジャヴでも起こしたかのように奇妙な感覚がグレイを支配する。


「ねえグレイ、大丈夫?顔色が悪そうだけど」

「……ああ。カミラ、ダレンの様子は」


グレイが尋ねるとカミラは沈んだ表情で首を横に振った。


「……搬送されてからずっと昏睡状態なんですって。他に外傷も脳に異常もないとは担当の先生に言われたけど……いつ目が覚めるかわからないって……」

「……そんな」


グレイは泣き崩れるカミラにそっと肩を貸しながらジャックの気まぐれで現実に戻されたことに内側から燃えるような激しい怒りを感じた。


「ちょっとグレイ、どこに行くの……?!」


カミラが急に立ち上がって病室を出ていこうとするグレイをあわてて呼び止める。グレイは「ダレンの待ってるところだ」と言うとカミラが「私も一緒に連れてって」と懇願する。


「行ったら……もしかすると場合によっては二度とこちら側に帰って来れないかもしれない。それでも行くかい」

「ええ」


カミラはまだ涙の滲む目でグレイを見上げた。グレイは大きく頷くとカミラとともにダレンの病室から廊下に出る。外は午後にはいったばかりでまだ明るく、よく晴れた青空が窓ガラスに眩しかった。


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