グレイとダレンはジャッキーの唐突な告白にしばらくの間動けないでいた。精巧に作られた人形のように整った顔に少女とは思えないほどに妖艶な笑みが浮かぶ。
「あら……ダレンもグレイもそんなに怖い顔なさってどうしたの?もうとっくに私の正体にお気づきになっていたのではなくって?」
ジャッキーはグレイの持っているシャベルの柄を指先で模様を描くようにしてなぞった。指はそのままグレイの首元に伸ばされ、空中でぴっ、と勢いよく横一直線に切り裂く。続いて胸から腹部へ縦一直線に同じ動きを繰り返す。すると……。
「グレイ?!」
ダレンは首と腹を押さえて地面に崩れ落ちたグレイに慌てて駆けよって助け起こす。ジャッキーが指先をあてた部分からおびただしい量の鮮血が流れ出していた。
ダレンはグレイの傷口から止まらない血に恐怖から手足の先が冷えだしたのを感じながら装備メニューを開き、日頃からストックしていた回復用の薬草を合成して作った高ランクの傷薬を取り出して瓶を開けグレイの傷に塗りこむ。
「ごめんグレイ……ちょっと痛いけど我慢して」
「……ぐ、う……」
薬を傷口からすりこまれたグレイが苦しげに呻いた。ダレンが塗った傷薬は少し経つと明るい緑色に発光してグレイの皮膚に染みこむ。緑色の光が収まると負った傷はきれいに消えていた。
「……へえ。便利ねえそれ。でも無駄よダレン。私はこの世界にとって
「どういう意味?」
ダレンの様子を近くで観察していたジャッキーこと切り裂きジャックがにやりと含みのある表情をする。
「こっちでどれだけ手当てしても無駄だってこと。早く現実の世界に戻らないと……本当にグレイが死んじゃうわよ」
ジャッキーの言葉に合わせるように閉じた傷口が再び開き、グレイが苦しそうに咳きこんで口から血を吐く。落ちた血が地面に放り出されたシャベルに降りかかった。ダレンはコートから拳銃を取り出し、一切の躊躇なくジャッキーの額に向けて引き金を引いた。
(う、撃てないだって⁉︎)
ジャッキーに向けたダレンの拳銃からは銃弾が発射されない。視界上には敵ではなく彼女は
「どうしたの、撃ちたいけど撃てない?」
ダレンが額にあてた銃口を掴み、ジャッキーがくすくすと笑う。
「だ、黙れっ……‼︎」
ダレンが後退した瞬間何かに足を取られて派手に転ぶ。とっさに受け身をとってからそちらを見るとグレイから流れた血だまりだった。シャベルが浸かって真っ赤に染まっている。
(あれ、なんだ……これ)
ダレンはグレイの血で濡れたシャベルの形が少しずつ変化しているのに気づく。まるで上塗りされた塗装がはがれるようにぼろぼろと崩れ、下にある暗い赤色が見えてくる。それは大きな鎌に見えた。
ダレンは愛用の拳銃をしまい、目の前にあるそれに手を伸ばす。両手で掴んで構えると柄の中に格納された鎌の刃が鋭い音を立てて展開する。
(これなら……いける!)
ダレンは限界まで強化したステータスを使い、わずか数歩でジャッキーとの間合いを詰めてその首に鎌を振るった。湿った音がしてジャッキーの首が地面に落ちる。中から溢れたのは血ではなく、無数のノイズだった。切られた部分の周囲だけ空間が大きく歪む。
「…………あらあら。私としたことが油断しちゃったみたい。そのシャベルって
首を落とされたはずのジャッキーからまだ声がする。ダレンが何も言わずに体の数箇所を鎌で切り裂くと、大量のグリッチノイズだけを残して跡形もなく消え去った。
「グレイ、グレイ大丈夫⁈」
ダレンは手にした
このゲームではダンジョン以外で致命傷を負うとユーザーの装着している手と足首の専用バンドから微弱な電流が流れる。仮死状態といっても普通なら数分かからずに意識を取り戻すはずだ。
(まさか、ジャッキーがさっきグレイに触れたせいで……?)
『私はこの世界にとって《とびっきりのバグ》なんだから』
『こっちでどれだけ手当てしても無駄だってこと。早く現実の世界に戻らないと……本当にグレイが死んじゃうわよ』
という彼女の言葉がダレンの脳裏に蘇る。だとしたら、本当に……。ダレンはゲームからすぐに離脱し、通学に使っているリュックの中から自分のスマートフォンを引っ掴んで取り出すと迷わずにカミラの番号にかけた。
*
「もしもし?何の用かしらダレン、母さん今仕事で忙しいんだけど」
『……か、母さん。今すぐにグレイさんの自宅に向かって!あと救急車も呼んで。早く‼︎』
ひどく取り乱した様子の息子の声にカミラは驚く。そもそもなぜ彼がグレイの名前を知っているのか。
「ちょっとダレン、落ち着いて。一体何があったか説明してくれないと救急車は呼べないわ。グレイがどうかしたの?」
カミラが冷静さをよそおって言うとダレンはたどたどしくも早口で今の状況を説明した。話の断片を繋ぎ合わせると捜査中のVRゲームの中でグレイと一緒に切り裂きジャックと遭遇。グレイはジャックに首と腹部を切られて瀕死の状態らしい。
「でもそれはゲームの中のことでしょう?現実には怪我なんて……」
『だからさあ!違うんだって母さん。本当に早くしないとグレイが死んじゃうんだって‼︎』
通話するダレンの声に焦りと苛立ちがまじる。
「……分かった。救急車を呼んだら午後は一旦家に帰るわ。2人でグレイさんのお宅に様子を見に行きましょう」
『……うん』
カミラがそう返すとダレンから通話を切った。引き続きカミラは緊急時に使う911に電話する。数コールもせずにオペレーターに繋がったのでダレンから聞いた情報を元に状況を説明し、グレイの自宅に救急車が向かうように伝えるが、相手側も今ひとつカミラの話を飲みこめていない様子だった。当然だろう。自分だって理解が追いついていないのだから。
「あの……おかしな事を言ってるかもしれませんが本当です、同僚が酷い怪我をして死にそうなんです……よろしくお願いします」
カミラはそこで通話を終了する。通話を終えると他の同僚に今から早退するとだけ伝えて職場を後にした。
「ちょ、ちょっと待ってくださいカミラさん。あの……課長に早退の理由はなんとお伝えすればいいんですか?」
「ごめんコナー。学校で……うちの息子が問題を起こして呼び出されたの、早く行かせて」
カミラは心の中でダレンを嘘の理由に使ったことを謝りつつ、後ろから後を追って廊下を走ってきたコナーにもう一度頭を下げる。コナーはオールバックにした金髪とシワだらけになったダークブルーのスーツを神経質そうに手でなでつける。
「ダレンくんが?嘘でしょう、本当はグレイさんに何かあったんじゃないですか。今日出勤してなかったですし」
「……気づいてたの」
カミラが驚くとコナーは「ええ」と言った。
「それくらい毎日一緒に働いてたら分かりますよ。では……お気をつけて」
「ありがとう」
ダレンとカミラが駆けこんだ時には自宅にグレイの姿はなかった。非常時に使うようにとだいぶ前にもらった合鍵で玄関ドアを開けて入ると、何かを焦がしたような鉄臭いような嫌な臭いが2人の鼻に届く。その臭いをかいだ時初めてカミラはダレンの話が嘘ではなかったことを確信した。
「グレイ……いないね」
「そうね。もしかして……近くの病院に搬送されたのかもしれないわ」
カミラはダレンにグレイの持っているスマートフォンの現在位置が探れるか尋ねる。ダレンは素早く自分の端末を操作して位置を割り出した。カミラに携帯の画面を見せてくる。そこ映っていたのはカミラも年に一度は訪れる市民病院の中だった。
(グレイ……今行くから、絶対に死なないでよ)
カミラはダレンを連れて玄関を飛び出すと先に車に戻るように言ってから、自宅の鍵をかけに戻る。施錠を確認すると自分も乗りこみ、グレイのいる市民病院に向けて発車した。
【了】