最愛の友人――
私は彼女の美貌を好いていた。パーツの一つひとつが誇張されすぎることなく洗練されていて、きちんとあるべき場所に収められているような顔立ちが好きだった。それから陶器のように滑らかな肌も、しなやかな体のラインも、控えめに膨らんだ胸も、整った爪の形も、背筋の伸びた綺麗な姿勢も、誰にでも優しく朗らかな性格も、全部ぜんぶ好きだった。
でも、今の彼女は駄目だ。全然美しくない。私の理想じゃない。この期に及んで、なんで彼女は生きているんだろう?
三年前に流行した感染症に罹り、国営の隔離施設に閉じ込められた可哀想なお姫様は、今私の目の前にいる。ただし分厚いガラス越しという条件つきで。
彼女が罹っている病とは、その正式名称をコンステレーションウイルス感染症という。まずそれは、体の末端から始まる。指先に黒子のような濃紺色の点々が浮きあがり繁殖し、やがて体全体にまで広がる。死期が近づくにつれて、点と点が結ばれ、皮膚をキャンバスのようにして幾何学的な模様が描かれる様を星座になぞらえたことから、この名前がつけられたらしい。腕や足の感染部位を切り落とすことで、感染の広がりを遅らせるケースも珍しくないという。
感染経路は主に粘膜の接触で、罹患者の治療法が未だ確立されていない現在、患者たちはこの城みたいな病棟に隔離され続けているのだ。接触は断固として禁じられているため、たとえ身内でもあろうとも、面会はガラス越しにしか許されない。
だから私は、彼女の弱りきった体に触れることはおろか、その脆弱な息遣いを感じ取ることすら叶わなくて、それが何だか少しだけ切ない。
ベッドに力なく横たわっていた美命が、覚束ない足取りでこちらに近寄ってくる。何をするかと思えば、次にはガラスに右拳をどんどん打ちつけながら叫んだ。
「またあたしをおちょくりにきたのか? ふざけんな! 死ね! あたしは見せ物じゃねえんだぞ!」
馬鹿だなあ。そこからどんなに声を張りあげようが、くぐもった声音にしか聞こえないのに。呼吸器官が弱っているのにもかかわらず無理に喉を酷使したせいで、彼女はみっともなくゴホゴホと咳き込んでいる。
私は何とか否定の意志を伝えようとするけれど、彼女はこちらの気持ちなんてどうでもいいみたいだった。ただ、私を悪者にして、気持ちを収めたいだけのように見える。
「くだらない同情とかいらねえんだよ! そんなにあたしが可哀想なら、あたしと一緒に死ね!」
苦しそうに肩で呼吸をする彼女をぼうっと見つめながら、私はああそれ名案だな、と思う。このまま生きていたっていいことなんか一つもないし、と。
でもすぐにそれが不可能な願いであることを思いだして、泣きたくなる。いっそ泣けたらいいんだろうけれど、自身の感情を抑えつける悪癖をもつ私は、きっと二度と泣けないんだろう。
美命は、今も尚ガラス越しに私の顔を殴りつけていた。彼女はこんなに粗暴な人間ではなかった。いつも綺麗な笑顔を浮かべていて、心優しくて、周囲にいるみんなの心を自然と温めてくれるような、崇高な人間だった。
しかし三年前に突然降りかかった不治の病が、彼女の優良な人間性を損なってしまった。それが悪いことだとは思えない。でも、こんなになってまで生きていてほしくはない。早く死んでくれたらいいのに。そうだよ。君こそ早く死ねよ。
私がその内に秘めた暴力的な想いを露見させる前に、施設に従事する看護師がやってきた。助かった、と安堵する。美命の騒ぎを察知して駆けつけたのだろう。看護師の女性は申し訳なさそうに、私に面会の終わりを告げた。
「おい! 逃げんのか! エル、待ちやがれ!」
美命から背を向けると、またもや彼女のくぐもった怒鳴り声がした。おちょくりにくるな、と言いながら、帰ろうとすればそれはそれで怒りをぶつけてくるなんて、一体私にどうしてほしいんだろう?
薄暗い病棟の通路を、看護師の後に従って進む。私は毎日のように美命の面会に来ているので、この女性看護師とは面識があった。
頭を空っぽにしながら歩を進めていると、視界にぷらぷらと揺れるカードケースがちらついた。白衣のポケットから僅かに覗いている。恐らくこの施設に入館するためのカードキーだろう。
瞬間、私の脳裏にある考えが浮かぶ。そうして私は衝動のままに、目の前の背中に体当たりしていた。普段はこれでもかというくらい石橋を叩いて渡るタイプなのに、時折自分でも制御できない衝動に駆られて行動してしまうのも、私の悪癖の一つだった。
「あ、すみません」と私は故意でないことを装いながら、どさくさに紛れて彼女のポケットからはみ出たカードキーを抜き取る。
「大丈夫ですか?」
突然後ろから突き飛ばされたのにもかかわらず、彼女は嫌な顔を一つせず、私に手を差し伸ばしてくれた。
「ごめんない、最近立ちくらみがするんですよね……」
私は言い訳を述べながら、そのいやに清潔な手を借りて立ちあがる。良かった。勘づかれていない。すでに私が着用しているパーカーの内ポケットに、盗んだカードキーを忍ばせてある。
「こんな世の中ですからね、体調管理にはお気をつけください」
本当に心配してくれているのだろう。看護師の優しい眼差しに引け目を感じ、まともにその目を見られない。
エレベーターで階下に降り、エントランスまで見送ってもらう。いつも通り帰ろうとしたその時だった。「ええと、あの……」と何だか躊躇いがちに、呼び止められた。心臓が跳ねる。
「大切なお友達なんですよね……。凩さん、思ったより症状の進行が早いみたいで、最近気が荒くなっているんです。どうか悪く思わないでくださいね」
なんだそんなことか、と私は安堵した。盗んだカードキーのことを気づかれたのかとヒヤヒヤしてしまった。
「分かってます。私が本当の意味で美命の気持ちを理解することは不可能なんだってことも、ちゃんと分かってます」
私の言葉に、彼女は一瞬不思議そうな顔をしたけれど、すぐにいつもの柔らかな笑みに戻った。
「もしよかったら、これからも来てあげてくださいね。自分のことを気にかけてくれている存在がいると分かるだけでも、心の安寧に繋がるものだと思いますから」
「はい。そうします」
そうして、私は出入口から施設を後にした。
けれど今夜、またしても私はこの病棟を訪れることになる。孤独で可哀想な、最愛の友人を誘拐するために。