(エレン……大丈夫?)
不安を滲ませたエレナの声が、意識の奥で響いた。
私は静かに、短く返す。
(……私を誰だと思っている)
前方には、腕を切断されたグール。
血を滴らせながら、なおも唸り声を上げてこちらを睨んでいる。
「……狩りの時間だ」
私は、わずかにフードを押さえた。
そのまま、跳躍。
石畳を蹴った身体が空を裂き、殺気を伴って滑り出す。
先頭の一体へ――踏み込み、剣を袈裟に斬り上げる。
ズバァッ。
胴が裂ける。血が横薙ぎに吹き出し、内臓が石床に散った。
勢いを殺さず、剣を右へ反転。
ザシュッ。
右の個体の首が宙を舞う。
刃の軌道は止まらず、体のひねりと共に左へ。
シュバッ――
左のグールも、同じように斬首。
血煙が三日月を描き、赤く輝く瞳がその中に沈んだ。
動きが――止まる。
残る2体は戦意を喪失し、息を荒げながら後退した。
逃げる。
だが、私は静かに言葉を落とす。
「……悪いな。被害者を出すわけにはいかない。
ここで、まとめて始末する」
逃げ出した1体の背中に向けて、私は剣を投げ放った。
ビュン――ザクッ!
鋼が肉を断ち、背中を深く貫通する。
「グエェ!!」
叫びと共に体勢を崩したグールに、私は駆ける。
駆けながら剣を引き抜き、反転――左の個体を正面から蹴り上げた。
ドガッ!!
重たい音と共に、グールは壁に叩きつけられ、崩れ落ちる。
私の足元には二体の魔物。
ためらいなく、その首を斬り落とす。
沈黙。
「……ふぅ」
刃についた血を一瞥し、私は指先で跳ねを払った。
(……よし。エレナの体は、汚れていないな)
その時だった。
「うわぁ……!」
後ろから走り寄る足音。
助けた少女――いや、彼女は何かが違った。
「あなた……エレン様ですよね!? “夜だけ現れる教会騎士”の……!」
(……嫌な予感がする)
「おい、落ち着け……」
(有名になってきたね、エレン……ふふっ)
心の奥で、エレナの苦笑が響く。
少女は、目を輝かせて詰め寄ってきた。
「夜に現れる謎の剣士! S級冒険者! 教会所属!
教会騎士エレン様ですよねっ!?」
興奮しきった表情で手を握ってくる彼女に、私はわずかに後退した。
(エレナ……代わってもらえないか)
(バレたら大問題になるでしょ!!)
私はこういうタイプの相手が、非常に苦手である。
「……と、とにかく落ち着け」
「失礼しました! 私、魔法研究所の見習い研究員、ミストと申します!」
そう言って彼女は、ふかぶかと頭を下げた。
(……魔法研究所)
私は魔法が使えない。
だから縁のない場所だが、この世界には確かに“魔法”が存在する。
八つの属性――炎、風、雷、水、土、鉄、聖、闇。
私は詳しくはないが、最低限の知識はある。
「エレン様は魔法を一切使わず、剣だけで戦っているとか……。
本当に、興味深いです!」
「……そうだが」
瞳をきらきらさせながら、私をまじまじと観察してくる。
まるで珍しい実験素材でも見つけたかのようだ。
そのときだった。
グォォォォォ!!!!!!
下水道の奥から、けたたましい咆哮。
空気が震える。
音の厚み――質量。
間違いない。“本命”だ。
(……来たな)
ミストの表情が一気に青ざめる。
「ひっ……!」
声にならない声を漏らし、肩を震わせた。
私は構えたまま、言葉を発する。
「……目標のグールだ。お前は上に戻れ」
「は、はいっ! す、すみません……! 本当は手伝いたいのですが……グールだけは本当に苦手で……!
ご無事をお祈りしています!!」
そう言って、彼女は慌てて駆けていった。
(……これで厄介な観客から離れられるな)
⸻
目の前に、それはいた。
白く、分厚く、異様な肉体。
全身をむき出しにした異形。
その両目は、左右非対称に歪み、白目が剥き出しだった。
(あれが、今回の異常個体だね……大丈夫?)
(……全く、君は本当に心配性だな)
(当たり前でしょ!?)
心の中で小さく笑いながら、私は静かに剣を構える。
獣が、私に気づいた。
咆哮。
その声と共に、全力でこちらへ駆けてくる。
(……あれの一撃は、エレナの肉体では耐えきれん)
私は踏み込み、同時にスライディングの姿勢で滑り込む。
奴の下を潜り抜け、通りすがりに脚を一閃――
ザシュッ――
しかし、手応えが薄い。
切り裂いたはずの脚からは、かすかに血がにじむのみ。
(……肉が、固い)
グールが怒りの咆哮を上げる。
グォォォォ!!!!!
私は腰の短剣へと手を伸ばした。
「なるほど。これは、手強いな……」