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第7話 情熱的なベーゼ?

「もし私が蒼真くんとキスしたいって言ったら、できる? 情熱的なベーゼを」


 葵が唇に指を当ててそう問うてくる姿がやけに煽情的に見えた。すっと頭が真っ白になる感覚が支配してくる。彼女は今何を言ってきた? ベーゼってのはよく分からんがキスって言ったよな、キスって。


「それってどういう――」


 俺が咄嗟に出したその一言の合間すら惜しむようにして葵が俺のところに迫ってくる。驚いて後ろに後ずさりをしても壁にぶつかって部屋の端に追い詰められるような形になる。


 葵が俺の服の胸の辺りを掴んで出来るだけ顔を近づけようとしてくる。


「蒼真くんは私とキスをしても良いと思うほど私のことを好きになってくれたのか、という話をしてる」

「急にそんなこと言われてもっ」


 葵は背が小さい。だから俺が壁に追い詰められたとしても身長差のせいで葵が無理矢理にキスすることはできない。でも決して俺が精神的に優位に立っているわけではないことも火を見るより明らかというやつだ。


 そのように押し問答をしていた瞬間、慌ただしい足音と共にドアが強く開く音がした。この家には誰もいないのに。足音が聞こえてからドアが開くまで一瞬で状況を誤魔化すことはできなかった。先ほど家を発ったはずのお姉さんがそこに居た。


「ごめん! 葵! 私スマホ忘れてて――」

「あ」

「あ」

「は?」


 俺も葵も、お姉さんすら一同共に声が漏れ出た。俺の脳内を占めるのは「これを見られたらまずい」という感情。


「お、お、お、お前ら!! 何やってんだ! おい葵!」


 お姉さんから見ると、ドアを開けたら妹がその彼氏の胸を掴んで迫っているという形だ。驚くのも無理はないが、それ以上にお姉さんの顔が一気に赤くなっていった。


 お姉さんは先ほども見たが長身でスレンダー美人という言葉が似合うスタイルだ。ほっそりとしていてさぞモテるんだろうと思う。そんな美人が顔を真っ赤にして震えていた。


「葵の彼氏! 名前を聞いてなかった、なんていうんだ」

「あ、古渡こわたりです。古渡蒼真って言います。お姉さんは――」

「お姉さんじゃない、私は琴乃! ほら、葵も一旦離れて!」

「はい! 琴乃さん!」

「お姉ちゃん、吝嗇家りんしょくか。羨ましいだけのくせに」


 そう話しながらも琴乃さんはこちらを見ながら素早く忘れ物を回収してさっさと出ていった。


「バイト遅れるから! もう行くけど!」


 最後まで琴乃さんは赤面していた。



 琴乃さんが部屋を出ていった後二人の間にはかなり微妙な空気が流れていた。葵も、もう一回同じことをしようとする気概はなさそうだった。


「ムードが壊れたね」

「なんていうか、そういうモノの問題でもなかった気がするけど」


 思い出すと葵が一方的に迫ってきて起こした話だった。俺は何もしていないから正直琴乃さんに責められる筋合いすらないといったところだが、それもまた「そういう問題ではない」のだろう。


「琴乃さんは、なんであんな反応を?」


 今日の問答の中でとても気になったことだ。


「お姉ちゃんは天才なんだよね」

「ほう」

「本当になんでもできる。勉強も、運動も、楽器も、知識だってたくさんある。私も色んなことを教わってきた。でも唯一不得意なことがある」


 なんとなく話が読めてきた。


「唯一の弱点が恋愛。一人で自分を高めているうちに拗らせた」

「ん? なんかそれって誰かに似ているような……」

「私は特別に頭がいいわけでもないけど。それでもお姉ちゃんから引き継いだものはたくさんある」

「恋愛の不得意さも引き継いだって?」

「多分」


 別に俺だって恋愛が得意ではないが、葵に不器用さがあること自体は認めるところだと思う。その影響はどうやら琴乃さん譲りらしい。だからあんなに赤くしていたのか。男慣れしていない上に他人のいちゃついているところなんてそうそう見ないから。


「その割には葵は顔が赤くなったりしないよね」


 耳が少し赤らんでいるところは見たことがあるが、さっきの琴乃さんみたいに顔が真っ赤になって照れている様子を見たことはない。俺は多分つい数分前に葵に迫られた時にはなっていたと思うが、その時すら葵はいつもの調子を崩していなかった。


「私は……」


 そこで言葉が詰まった。葵自身が自分のことを分かってないようにも見えた。押し黙っている姿を見て話を変える。


「そういえば漫画借りにきたんだった」

「ああ、そうだった。ラノベ版とコミカライズどっちもあるけど、どっちがいい?」

「漫画の方で」

「わかった」


 これで一応用事は済ませたのだが確認しないといけないことが一つだけある。


「さっきの話だけどさ、俺が葵とキスできるかっていう」

「え?」

「葵は可愛いし、そんな子にキスとかできないわけがないよ」

「本当?」


 気まずくて目を彼女から逸らしてしまう。けど視界の端に写った葵は心なしか照れているように見えた。今ここで視線を動かしたら貴重な葵の姿が見れるかもと思ったが、できなかった。俺の方こそ自分からこれをいうのに随分の勇気を要したからだ。


「でも、葵の方こそ無理してたでしょ」

「どういうこと」

「他人を好きになるなんて、自分を騙すみたいに無理矢理することでもないと思う」


 そういうと葵は同意し、頷いたのちにいつもの調子に戻った。そこからは時間も遅くなっていたので、早々に解散だ。


 蒼真が去った部屋の中で一人、葵は呟く。

「可愛いって言ってた……私のこと」

 彼女の人生において、初めて異性から言われた言葉だった。

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