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第2話 義理の彼女

『古渡くん、今日からよろしくね』


 家に帰った後にそう言えば櫻木さんと連絡先の交換をしていないな、と思っていたがどうやら向こうも同じことを考えていたらしい。大方クラスラインから友達追加したのだろうか、メッセージが来ていた。


『よろしくお願いします』

『返信早い』


 こうやってラインが来ると本人の声でメッセージを再生しようとするのだが、古渡さんの声は朝の数学の話のように本人がヒートアップしていたとしても淡々とした声色をしている。


 自身があのように普段口を閉ざしているのは、あの淡々とした雰囲気で捲し立てられたら怖がられると思っているからだろうか。


『古渡くんの家ってどこ?』

『学校から歩いて十分くらいのところ』

『住所で知りたい』


 なんでこんな事を、と思って住所を送るとすぐに返信がくる。


『分かった、私の家からも近いから明日は迎えにいく、一緒に行こう』

「え」


 思わず声が漏れ出てしまった。明日の朝、来る? ここに? まあでも確かにカップルだったらそう言うものなのか?


 意外だったのは一緒に登校しようという事を櫻木さんから言い出した事だった。今日の朝の口ぶりからして俺らはまだ仮の関係のはずだ。


 まだ本当の彼氏彼女になるわけではないのにそんな事をしてもいいのだろうか。


 正直に言う、櫻木さんはめちゃくちゃ可愛い。性格は確かによくわからないところもあるが、それでも俺に対して好意的に接してくれているのは分かっていた。


 名義だのなんだのめんどくさい話を抜きにして普通に「彼氏になってほしい」と話を切り出されていたら即答でオッケーと返していただろう。


「彼氏……? 俺が?」

 違う、まだだ。本物ではない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「おはよう、待っててくれたの?」

「いや、俺も今出てきたところ。さあ、行こう」


 俺は家の前で櫻木さんのことを待っていた。これは決してインターフォンを押されて家族に彼女ができたことを察せられたくないからではない、断じて。


 足早に俺の家の前から去る。少し大きい通りに出ると同じ高校へ登校中の人は既に何人かいた。いや、まだ朝早いのでいつもよりは少ないか。本当にいいのだろうか。


「本当に俺と登校してていいの?」

「本当にって、どう言うこと?」

「いや、だって、俺は名義彼氏なんでしょ」

「うん」


「だったら本当に彼氏でもないのに一緒に登校しているのは周囲からの誤解があるんじゃない?」

「私が彼氏を欲しいって言う理由で古渡くんを誘ったのに恋人っぽい行動をしないとはこれ如何に……それとも私との登校が嫌だった?」


 いいや、そんなことはない。むしろかなり役得というか。


「全く嫌じゃない」

「そう、なら良かった。私、いつも一人で登校してるから。他の人と歩くのって楽しいよね」


 そんな会話をしていると学校の正門が見えてくる。もうこの登校時間も終わりらしい。


「うん、じゃあ古渡くん」

「何?」

「今日もだよ」

「……ぁ」


 唐突に来るからびっくりして声もろくに出せなかった。そうだ、この約束があった。一日一回、彼女は俺に好きを伝える。正直なんのためにこんな条約が結ばれたのか、俺はいまいち分かっていないが多分これも櫻木さんの言うところの「恋人の体験」みたいなものなのだろう。


「俺も……」


 思わずそう口に出ていた。小声すぎて櫻木さんには聞こえなかったらしい。俺もその先の言葉を面と向かって吐き出せるほどまだ大人になれていなかった。


 今日の『好き』は二人きりの登校をしているときだった。




 教室にいる時の櫻木さんは寡黙な女子だ。むしろそれ以外の印象を抱いている人はほとんどいないと思う。櫻木さんが饒舌になるのは俺と二人きりの時だ。


 もしかしたら他の人と一緒に二人きりの時にも舌が回るようになるのかもしれないがそこは俺の存せぬ所なので分からない。


「櫻木さんって人形みたいだよな」

「確かに、表情変えないもんな」

「でもそこが可愛くね? ぬいぐるみって感じよりは……フランス人形?」


 と言うような男子同士の会話が耳に入る。やっぱり周りからの印象はそんな感じなんだな。


 そして皆がいる前では櫻木さんは俺に話しかけることは滅多にない。


 でもそれは逆に言うと自分だけが櫻木さんの本当の姿を知っているかのような優越感があって、それがなんとなく気持ち良い……のだと思う。


「……古渡くん」

「ん、え、はい」

「『前後の席でペアワーク』だって」


 皆がいるところで話しかけられるとは思っていなかったのでびっくりした。ただの授業のペアワークらしい。突然話しかけられて間抜けな声が出たのが少し恥ずかしくなった。


「――だから前の描写、というかここまでの文章の時点で親友のことを大切に思っているっていうのは分かって、でもそういう、主人公は親友に対して友情を感じていたのは五十八行目の文章の所までで」

「うん」

「不用意な発言をしてしまったことで主人公は親友を傷つけてしまったのではないかという負い目から罪悪感を感じるようになる」

「うん」

「だからこの問題の正解はこの五十八行目のすぐ後の情景描写を丸々抜いてくればそれがそのまま答えになって……」

「なるほど」


 この状況なんだか既視感があるな。捲し立てて話す方とひたすら相槌で答える方で一方的に進められる会話――。


「ははっ」


 思わず笑い声が口をついて出てきてしまった。櫻木さんに怪訝な目で見られていることに気づいてすぐに口を閉じる。変に思われたかもしれない。


「何がそんなにおかしいの」

「ごめん。いや、なんか、いつもと逆だなって思って」

「いつもって?」

「いつも櫻木さんが俺に色々話して俺はそれに相槌を打つって言う形なのに、さっきはそれが逆転してて笑っちゃった」


 俺だけ笑っていて櫻木さんには滑ってるみたいだ。櫻木さんが一瞬だけ眉をひそめていたように見えた。そこで教壇からペアワークの終わりの号令が聞こえてきた。


「勝手に笑っちゃってごめんね」

 不快な思いをしてたら申し訳ないので謝っておく。


「いや、全然大丈夫」

 やっぱり櫻木さんは感情が読めないから話す時に何を言えばいいのかわからない時があるな。

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