無くした手足や内臓が一瞬で生えてくる医療がある、なんて事言ったら皆は信じるかな? 少なくともウチは信じないだろう。ゆっくりと再生ならまだ可能かもしれないけど、一瞬で再生となると、フィクションだとしても安っぽい。ファンタジーの領域とさえ思う。
しかし、信じざるを得ない状況にいる。だって、目撃しちゃったから。ていうかウチがそれを味わっちゃったから。
というのに、ウチは未だにその医療に対して半信半疑である。それを受けたにも関わらず、イマイチ腑に落ちないのだ。そして、そう思ってるのはウチだけではない様で───
「
さわやかな風が吹き抜ける3月の朝、ウチは年に一度の恒例行事に向かっていた。将来の夫と共に。……いや風爽やかだけど寒いわ。今ウチ風邪ひいてるねん。毎年この時期は大体風邪ひいてるけど。
「だから仕組みはウチも知らないって。栄治に見せるのは今年が初だけど、ウチは17歳の頃から今の24際に至るまでの7年、同じ治療を受けてるんだってば」
ウチの横に並びながら懐疑的な視線を向ける男性は
「付き合ってもう日がなげぇけど、こないだ初めて聞いたぞ? そんな治療」
「ウチ自身がイマイチこの治療が何なのかよくわかって無いから黙ってたんよ。手足や内臓が一瞬で生えてくるって意味解らんだろ?」
「ただ生えてくるだけならまだしも、一瞬ってのがな」
ウチと同じ疑問を持つ栄治。まぁ引っかかるのはそこだよな。
「だから "百聞は一見に如かず" って事で、今朝左手の小指をもぎ取ってみました」
「見せるな見せるな! 未だに血の気引くわ。本当に生えてくるんだろうな?」
「モチのロンよ。じゃなきゃこんな無謀な事やらんでしょ」
「確信があってもやらねぇよ指切り落とすとか……」
「フィクションか本当かは知らんが、よくヤクザさんなどが小指を落とすという話は聞くし。なんかまぁ、どうせ生えてくるんだし切っとけみたいな?」
「俺はお前と結婚して大丈夫なのか……?」
栄治は朝から萎えている。ちなみにウチも思いの外痛かったので結構萎えている。バカですね~今朝のウチ。
本日は休日だからから、本来なら学校が始まってる時間帯にもかかわらず小学生達が楽しく笑いながら横を過ぎていく。テンションの下がったウチら二人とは対照的だ。
ウチが毎年受けている高度再生医療というのは、人間の細胞を活性化させて失った組織を瞬時に生成するというものらしい。原理については製薬会社の特許だか企業秘密だかで教えてくれていない。
"高度"がついていない再生医療なら何度も聞いたことがある。iPS細胞を利用した人体の組織生成や移植に成功したという報告は皆聞いたことがあるだろう。ただあちらはまだ実践にはまだ遠いと聞く。国は再生医療の推進する取組みを実施しているが……"高度"再生医療ってのはなんじゃらほい。こんなに堂々と利用されているケースは知らないぞ。
「生えてくるのは解ったけどよ、いや解んねぇけど解るしかねぇんだわ。自分の指切り落とす狂人前にしたらよ」
「ウチへの罵倒は置いておいて、解ったけどの続きはなんぞ?」
「年に一回? だっけか、お前がこの治療受ける頻度」
「うい」
「何でだ?」
栄治の質問はもっともだ。というかウチは栄治に「高度再生医療を受けている」程度の事しか話してないので、当然こんな疑問も飛んでくるだろう。
「何か、医者が言うには、まだ医療技術自体の精度が高くないらしいんよ。再生しても1年くらいするとガタが来るんだって。だから毎年破損部位を内臓レベルまでスキャンして再生させてるって」
「お前が毎年、年明けくらいからよく風邪ひくのと関係あるのか?」
「たぶんね。免疫系等が弱ってるんだと思う。まぁ寒いってのもあるだろうけど」
栄治と知り合ったのは高校生の時から。付き合いだしたのは大学生になってから。つまり17から再生医療を受けているウチは冬に風邪ひくヤツというキャラが定着しているという事だ。
「何でそんな治療を受ける事になったんだ?」
「ウチが交通事故に合ったことをご存じない?」
「一度も聞いたことねぇ事情を存じてるわけねぇだろ! いつだよそれ!? あ? さっき言ってた17の時か?」
「ご名答! まぁあの頃はまだここまで親しく無かったし、他のクラスのだれかが事故に遭ったなんて知らんよな。じっさい、この高度再生医療のおかげで速攻退院してきたし」
「まじか……何で今まで話してくれなかったんだ? いや、事故か、そりゃ怖ぇよな」
「うんにゃ? 生えてくるからって自分の指切り落とす女ぞ?」
「言われてみりゃ確かに……じゃあ何でだよ」
「母さんが、その事故で……ね」
「あぁ……すまん」
「謝んなや。事故の話題振ったのはウチだよ」
我が家は元々3人家族。父さん、母さん、ウチ。あの日は今日みたいに良く晴れた、少し肌寒い日だった。家族3人で遊びに出かけたウチらに、車が……。
「ウチから話振っといて難だけど、父さんには事故の事触れないであげてくれるかな?」
「もちろんだ。そうか、お前は17の時か……」
「栄治は中学生の時だよね?」
ウチと栄治は互いに片親同士。栄治は父親が、ウチは母親がいない。事故の後、ずっと喪に付していたウチと栄治が知り合い、仲良くなっていったのは必然だろう。お互い、無くした存在を埋めるかの如く相手を欲した。埋められるはずなんて無いのにな……。母の形の穴は母でしか埋まらない。それは栄治だって同じだ。
ただ、それでもウチはかなり明るくなれた。側に誰かがいてくれるという事実は人に活力を与えてくれる。もちろん、また失う事が怖くもあるけど。
「俺らは互いに、親が死んだ事は話しててもその詳しいシチュエーションは語って無かったしな」
「思い出したい思い出と、思い出したくない思い出ってのはあるよね。まぁそれらをさ、話せる様になったら、ゆっくりと話して行こうよ。家族になるんだし」
「そうだな……。あ~挙式のための資金集めしねぇと」
「今時なら式上げないって手もあるけど?」
「俺らはそれでいいかもしれねぇけど、見せてやりてぇじゃねぇかよ、親に」
そう言いながら栄治は天を仰ぐ。「母に」ではなく「親に」と言う栄治の心境は、とてもよく理解出来る。
「そうだね」
だからウチも天を仰ぐ。うわぁ仕事がんばらねぇと。
何かとても現実的で嫌な思考───具体的には仕事のタスクが浮かんできたので一旦それは忘れよう。うん。今日は休日だし、病院行った帰りには栄治と映画も見に行くし。
高度再生医療───この奇妙な医療は驚くほど素早く無くした組織を再生させる。ウチと母が───いや、ウチが事故にあった際、ウチの右半身は押し潰れて殆ど無くなっていた。
潰れるのが左右逆だったら死んでいたらしい。心臓は体の中心よりも少し左側にある。とはいえ、ウチは即死しなかっただけで死が秒読み状態ではあった。そんな絶望的状況、血の海の前で呆然と立ちすくむ父の前に現れた救急隊員の放った提案により、ウチはこの世に縫い止められた。
『───高度再生医療、を受けさせてみませんか?』
その後の記憶は全く無いので何も解らん。というか毎年治療に行く度全身麻酔を打たれるので何が起きてるのかさっぱり解らん。
ともかく、ウチはそのトンデモ医療で蘇生したのだ。……母は、即死だったので助からなかった。やめよ暗くなる。謎治療の事だけ考えよう。
(……全身麻酔打つのに昼頃にはケロッとしてるってのも謎だよな)
今日の予定では10時頃に施術され、12時頃にはもう病院をあとにしている。というか例年そんな感じだ。全麻って確か丸一日動けなくなるはずじゃ? それも含めて再生しているというのだろうか。
「話を戻すが、その高度再生医療? だっけか。何でそんなとんでもねぇ技術が世の中に知れ渡って無いんだ?」
「それはウチも常々疑問なんだよ。この技術があればもっと色んな人を助けられるはずなんだけどな」
「若くして病死する芸能人とかな」
「それそれ。しかもこの治療保険適用されるんだぞ? つまり国が認めてるんだわ。治療費も保健のおかげでくっそ安いし」
「1年でガタが来るって言うし、治療できない体質の人間もいるってことか?」
「解らん。先生には何聞いても『守秘義務』の一点張りだし」
実際マジで何も解らない。ネットで検索してみても出てくる記事無いし。SNSでのつぶやきは少数目撃するものの、誰も真剣に取り合っていない。
でも治療は確かに存在する。ウチがその証明だし、他にも───
「着いたぞ」
栄治と駄話をしながら歩く事30分、ウチらは目的の病院に到着した。家から徒歩で行ける距離に件の病院があるのは大変助かる。帰りに遊んでいけるしね。
「こんにちはー」
「あ、どうも」
ふいに後ろから声を掛けられ返答する。毎年この病院でお目にかかる───ウチと同じ高度再生医療の患者だ。
「詩絵美の他にもいるんだな」
「3月の治療では毎年ウチ含めて4人かな。なんか月一でやってるっぽい」
先生が何にも教えてくれないので数年前こっそり毎日通って観察してみたのだ。その結果どうもこの高度再生医療は月に1度、ある程度の患者をまとめて行っているらしい。
「細胞の再生? をやるってだけで想像するに大掛かりな治療だろうに、まとめてやるのか」
「謎が謎を呼ぶ訳ですよ。この病院以外でやってるのかどうかも解らんし、日本以外の国がこの治療をどうしてるのかも謎」
「うわぁ気になるなぁ!」
「同じくぅ!!」
ウチと栄治は元々好奇心旺盛なタイプで、知らないことを知りたがる、調べたがるタチだ。だもんだから、得体の知れないこの治療の事は今まで黙っておいた。一緒に調べてみたいとは思ったけども、なんかこう、何だろうな……深入りするのは危ない気がして。知らんけど。
(あとどんだけ探っても尻尾がつかめなそうな感じもするし)
医者の『守秘義務』連呼やネット上での異様なまでのヒットのしなさ等々、考えても徒労に終わる気がしてならない。
(でもやっぱ気になるし! せっかく栄治と結婚するなら一蓮托生って事でウチと同じ事に興味もってもらいたいし!)
そのためにワザワザ指まで切ってみた訳だ。痛い。
ちなみによく漫画とかで小指を切断する際に見るノミなど我が家にはないので、百均で売ってる糸鋸でゴリゴリやりました。セルフSAWです誰も見ていません。グッバイZEP!
ま、入り口でグダグダやってても仕方がない。ウチらはその、良く解らん治療を行っている病院へと入って行った。
* * *
栄治には待合室で待っていてもらって、ウチは毎年恒例となる診察&麻酔からの気が付いたら体の組織が諸々再生しているという意味不イベントへと進む。
「え……指切ったの?」
「どうせ生えて来ますし」
担当の先生にもドン引きされる始末だ。まぁ一人ならやらんよ。栄治にこの治療の意味不明さと、ウチが毎年受けなきゃいけないという重要さを理解してもらうための行為だ。決して「映画とかの拷問シーンてどれだけ痛いんだろ~」とか興味でちゃった訳じゃないよ。たぶん。
「えーと……体の具合はどう?」
「例年と同じく年明けくらいから風邪をひきやすくなってますね。あと傷の治りが遅かったりお腹下したり」
「免疫系や内臓の細胞がうまく再生しなくなってきてるわね。そこはいつも通り、と」
「はい」
人間は多細胞生物だ。1個1個の生きている『細胞』の集合が、人という形を構成している。その細胞はそれぞれが一つの生命であり、頻繁に分裂しては死ぬを繰り返す。この分裂にエラーが起きると癌などになったりする。
ウチが受けている再生医療は、この細胞分裂を加速させるものだと聞いた。まぁそれ以上の事は教えてくれていないが。ともかく、分裂の速度を速める事で無くした手足や内臓が再生される。
しかし、再生そのものを一時的にでも急加速させた代償に、その後の細胞分裂力……言い方正しいか? まぁともかく正しく分裂する力がジワジワ弱まるというのだ。んで、生活に支障をきたすレベルまで弱まるのが丁度治療を受けてから1年くらい、と。
なので年一でこの治療を受けないと生きていけない。不自由っちゃ不自由だが本来ならば死ぬような事故に合って生きながらえたんだ。文句は言えまい。
(父さんをあれ以上悲しませる訳にもいかないしな)
母には高度再生医療は施せなかったのか、と以前医者に聞いたことがある。即死した場合、病院に搬送される前に死んでいた場合は無理なのだと、返答をもらった。それは、まぁ、そうなのだろう。
それならそれで栄治も言ってた「病気で死ぬ人とか何なんだよ」の件が全く解消されないし、何ならさっき考えてた「細胞分裂力」の件だって「急加速させることで1年でガタが来るなら、そのガタ来た細胞をまた急加速させたら死ぬのでは??」という疑問も浮かぶ。
何もかも、わからんことだらけだ。
ただ、ウチはこの治療を受けなければならない。
(父さんの悲しむ顔は見たく無いし、栄治とだって結婚するんだから)
愛する人に先立たれる悲しみはウチ自身が嫌という程感じて来た。その上で、ウチは父と栄治の "愛する人" なのだ。失わせる訳にはいかない。
よくわからん治療に懐疑的になりながらも、その技術の恩恵を受けなくては。
「問診は以上ね。じゃあ、こっちにいらっしゃい?」
「はい」
ここからは麻酔を受けて気が付いたら治療は終わり。指も生えてくるし、細かい体の不調ともおさらば。病院の帰りには栄治と映画に行こう。家帰ったら明日の仕事の準備を───
などと考えながら注射を刺され、ウチの意識は闇に落ちて行った。
…..
….
…
..
.
「はぁ!???!!」
凄まじい吐き気と倦怠感で目が覚める。寒い、気持ち悪い、頭痛い、眠い、なんだいったい……暗い?
「なに……これ?」
暗い部屋、だった。ウチがいたのは、暗い、寒い、部屋。ロウソクの明かりが薄っすらと壁を照らしている。……ロウソク?
「病院に、いたはずじゃ……」
病院でロウソクの照明とか聞いたことないわ。いや、それよりも変なのが、
「石造り?」
壁や床が石で出来ている。その質感が、なんつーか、西洋風ダンジョンのそれ、みたいな……。古い城とかそういう雰囲気だ。
そんな空間にロウソクが無造作に4個置かれ、地面と壁と───ウチを含めた全裸の4人の人々を照らしていた。
「あの……大丈夫ですか?」
ウチはとりあえず近くにいた女性に話しかけてみた……が、返事が無い。重い体を引きづって近づくと、先ほど病院前で挨拶を交わした患者さんだという事が解る。
顔を触ったり肩を揺らしても反応が無い。呼吸はしてるので昏睡状態、といった形だろうか。
そしてその女性に触れた事で、もう一つ気が付く。
「指が、無い」
無くした手足が再生するのが高度再生医療のはずだ。でも今のウチには左手の小指が無い。まだ治療は行われてないのか。
「他の人は……」
他二人に近づいてみても、やはり眠っている。というかこの4人、ウチを含めて全員高度再生医療の患者じゃないか。毎年の顔なじみだ。しかも───
「何だこれ?」
背中に……模様? 何か、ペンキで描いたみたいな変な模様がある。寝ている3人全員に同じ模様が描かれているので、これは多分ウチの背中にも描かれてるな。確認しようがないけど。
「変な治療だとは常々思ってたけど、ここまで変なのは想定外だぞ……」
もう悪魔とかよぶ雰囲気に見える。完全に儀式のそれだろ。おい。
でもそうなると、これは治療の一環なのか? 寝転がってるのは全員患者だし。ウチの指見ても、まだ治療されてないみたいだし……。
治療自体がオカルト的な要素を含んでるから人に教えられなかった? いや待て待て、考えるべきはそこじゃない。今重要なのは───
「ウチは、どうすればいい?」
ここに留まるべきなのか、それとも、動き回るべきなのか。ウチだけ目が覚めている……これは狙った事なのか、偶然なのか、ウチが起きてしまっているからには、何かを考えて選択する余地が生まれてしまう。
ウチは、何をすればいい? 何をするのが最善だ?
そもそも、これが治療の一環かどうかも答えが無い。昨年までは普通に治療してたけど、急遽患者を集めて謎の儀式はじめました的な展開って事もありえる。となると、ウチはこの場にとどまっていてはいけない。
「栄治と、父さんに、会わないと……」
彼らに、ウチを失わせてはいけない。よくわかんないけど、この部屋にこのままいたらまずい事になりそうな気はする。全裸で変な模様描かれて怪しい部屋に寝っ転がせられるとか、状況に恐怖しない方が難しいだろう。
「とりあえず、他に人がいないか、先生とかいないか、確かめよう」
不安極まりないので行動指針を口に出しておく。しかし先生……いたとしてこれまた声かけていいものなのだろか? いや、会ってもいない人の事を考えても仕方がない。部屋に出口が無いか、進もう。
体がとても重く、まだ立ち上がることが出来ないので、ウチはズリズリと石造りの床を這った。石の表面がザラザラしていて、皮膚が裂ける。体の防御機能も落ちているので、いとも容易くウチの体は壊れていく。
「なんでこんな、体が、重いんだよ!」
思い当たる節はある。まずは先ほども考えた防御機能の低下だ。とはいえ、朝は普通に動けていたのでいきなり動けなくなることはないだろう。……朝とか考えたけど今何時だ? 部屋が暗くてわからん。
ともかく、体の機能低下はあるにはあるが、急激な消耗にはならないだろう。となると可能性はもう一つ。
「麻酔、かぁ」
全身麻酔なんか打ったら普通、丸一日以上動けなくなる。それがまさに今の状況だろう。他の3人もそれなんじゃないだろうか。となるとウチは麻酔の量間違えたとかか? この、ウチが目覚めている状況が意図的でなければ。
とにかく、出口を探さないと。ウチは壁伝いに這って移動した。
明かりが少なくてわかりにくいが、部屋の広さは中学や高校の教室くらいだと思う。二回突き当りに当たった上での感想だから反対側の側面は解らないが、少なくともウチが触れた"コ"の字に移動した3方向の壁の中央にウチらは寝かされていたらしい。
あと、壁に近づいてみて解ったのだが
「───背中の模様とおなじものが、描いてある」
3枚の壁にもペンキだか何だかで描かれた魔法陣の様な珍妙な模様があった。いよいよもって儀式めいてきたな。明かりがロウソクしかないから解らないけど、血で模様描かれていたりする?
ともかく、あと1枚。最後の壁に特に出口らしきものがなければウチはここから出る手段を失う。頼むからなんかあってくれ。
「……お?」
最後にウチが近づいた壁には模様が描かれてない。これはもしかすると……
「あ」
ビンゴ。その壁の中央に細道が付いている。人が一人やっと通れるくらい狭い通路だが、どこかに続いていそうだ。扉は無い。
「うねうねしやがって……こっちは移動も大変なんだぞ」
通路は一本道だが何度も折れ曲がっており、先ほどの部屋から漏れていた明かりはもう見えない。完全なる闇だ。グチでもこぼしてないと不安で押しつぶされてしまう。
「あれ」
石の床に皮膚を削られつつ移動する事30分くらい。床の質感が変わった。相変わらず冷たいが、表面が磨かれた、ツルツルしたような質感に。さっきまでメチャクチャ痛かったから助かる。
と共に、目覚めた時よりも吐き気や倦怠感が減ってきている事に気が付く。いやまだ十分しんどいけど、少しづつ足も動く様になって来た。……皮膚削る前から足動いてくれよ。何で地面が優しくなってきてからやねん。
明かりが無いので解らないが、たぶんウチが移動した後には汚い血の這いずり後があることだろう。とりあえず床も移動しやすくなったことだしもう少し進もう。
「……明かりか?」
それからしばらく進んだ後、足で立って移動出来る位にウチに元気が出たあたりで、通路の先にうっすらと光を感じた。出口があるのか? ウチの足取りは自然と早くなる。
「う、お……マジか」
外だ。いや正確にはまだ外では無いが、あの通路から比べればめっちゃ外だ。
そこは殺風景な病院の廊下だった。窓が無いので地下なのかもしれないが、ともかく、蛍光灯の種類や壁面の塗装がウチの記憶する限り、高度再生医療を施している、つまりウチが訪れた病院と一致した。
「あの怪しい部屋に行くのに、鍵も何もないのか……」
後ろを振り返るとウチが出て来た狭い通路が、廊下の間にぽっかりと空いている。何だコレ。違和感しかない。
更に異様なのが、その通路の横に張ってある張り紙だ。適当に印刷されたA4の紙が、マグネットで貼ってある。この壁磁石くっつくんか。
「儀式中につき、AM6時まで立ち入り禁止……?」
とてつもなく簡素な張り紙が雑に貼られている。いや儀式って言いきっちゃってるし。何だ病院で儀式って。何に巻き込まれてるんだよウチは。
「立ち入り禁止が6時まで……つか今何時だ?」
窓が無いのでわからない。ウチは朝10時頃に病院に到着して、その後麻酔をくらった訳だが……。ともかく、一旦見知った様な場所に出て少し安心してるが、まだ完全に開放された訳じゃない。何とか逃げて、栄治や父に事の異様さを伝えなければ。
「とりあえず、移動あるのみ」
ウチは病院の廊下を出来るだけ足音を殺して移動した。
* * *
「やっと動いてる人をみつけた」
やっととは言ってもさっきから10分も移動してないだろう。廊下を移動し、階段を3階分くらい上がった先でウチは立ち止まった。
まだ体がだるいのと、足の皮膚がボロボロなのもあってウチの移動速度は遅い。健康な状態なら5分とかからない位置で、ウチは後ろ姿で喋る二人組を見かけた。医者とナースの様だ。
(ウチの担当医ではないな……話しかけるべきか、否か)
儀式とやらに病院が関わっているのは確定したようなもんだ。話しかけたらあの部屋に戻される可能性がある。ただ、それが悪い事なのかどうかは現時点では解らない。あの部屋にいる事で悪魔的な力とかで細胞が再生するのかもしれないし。アホらしくて頭痛くなってくるな。
ただ、一点だけ、確実に例年と違う事実がある。それは、窓の外───
「夕方に、なっとるやんけ」
どうやらあの怪しい部屋があったのは地下らしく、ウチは階段を3階分上がった時点で窓を見つけた。差し込む日の光はそれが少なくとも昼では無い事を示していて
「例年通りなら、治療は1時間くらいで終わって、昼には解放されてたはずだ」
だからウチは栄治と映画行く約束もしてたのだ。この時点で例年通りの治療はなされていない。ならば目の前で話している医者に気づかれるのも良くない気がした。
あ、つか栄治、もしかしてずっと待ってたとしたらめっちゃ怒ってるだろうな。もしくは……
「いや、考えるな。まずは家に帰って確認だ」
人を全裸にしつつ変な模様描いてダンジョンみたいな所に置き、その上で「儀式」とか書いちゃう病院だ。端的に言ってやばい。ウチを儀式に使いたいがために、付き添いの栄治を何らかの方法で黙らせた……なんて、考えれば考えるほど嫌な候補はいくらでも出てくる。憶測で不安がるのはよそう。
「窓から脱出して、家に帰る」
ウチの最優先行動はそれだ。全裸にされてしまってるので携帯も小銭も無いから道中で栄治達に連絡を取る事は出来ない。普通にどっかの店とか駆けこんで保護してもらうってのも有りだけど、事が大きくなった時に病院がどう動くかもわからない。とにかく家に帰れば父がいるはずだし、PCを付ければ各種連絡手段も得られる。
「問題はバレない様に窓から出られるかだな」
医者とナースがウチとは反対方向に移動して行ったのを境に、ウチは窓に接近した。
* * *
幸い窓は簡単に開き、外に出られた。何か、あんだけ怪しい儀式やってるのにセキュリティガバガバじゃないか? なんだろう、引っかかる。
病院の外は夕日もかなり落ち、暗くなっている。地面はアスファルトだが周囲は木々に覆われている。病院の中庭的ポジションだろうか。
ウチは壁伝いに移動し、病院の正門を視認。ちらっと覗いたが待合室に栄治の姿は無し。しかたないのでそのまま姿を隠しつつ帰路に就いた。
周囲はすっかりと暗くなっていて、全裸で移動するウチは闇に紛れる事が出来る。
「完全に変態じゃないか。まぁそういう願望はあったけども」
誰だって一度は全裸で外を歩く妄想をするだろう。するよな? ともかく不本意な形で夢がかなってしまった。ただ腰より先の皮膚がズタボロで、おまけに左手の小指まで無いとなったら夢の露出徘徊変態ではなく何かの被害者だろう。実際たぶん被害者だ。
「どっちにしろ、人に見つかったら逮捕なり保護なり、拘束を受ける。そんなタイムロスの前に二人の安否を確認したい」
病院が自宅から徒歩圏内にあって良かった。電車で移動する距離だったら交番に駆け込む一択になってたろう。
「体が、重いな……それに眠い」
まだ麻酔が抜けきっていないからか、それとも別の要因か、ウチの体はまただんだんと重くなっていく。元々毎年の治療直前は体を壊しガチだったのだ。その上でこんなダメージ受けたり、まだ肌寒い3月の夜を全裸で移動してれば、そりゃ具合も悪くなるだろう。
「頑張れ。ウチ」
ウチは自分を鼓舞しつつ、自宅を目指した。
* * *
何とか無事に家までたどり着けたが、明かりが消えている。何でだ。今日は休日で父さんは家にいるはずなのに。我が家は住宅街の中に密接して並ぶ一軒家の一つで、明かりの有無でだいたい中に人がいるかいないか把握出来る。その事実でこんなにも嫌な気分にさせられるのは初めてだ。
あせりつつ、チャイムを鳴らす。……出ない。中にいない。
「鍵……鍵……」
持ち物を全く持ってないので家に入るのも一苦労。ウチは玄関先に隠された鍵を探す。鉢植えの付近の石の裏に鍵が張り付けられていたはず……。暗くてよく見えない。もしかしたら目の機能も低下してるのかもしれないな。目がかすむ。眠い。
「あった……」
ともかく、一旦家に入ろう。幸い石の床で傷ついた足はもう血が止まって乾いており、家の床を汚す事もなさそうだ。
ウチは急いで家に入り、自分の部屋のPCをつける。通話ソフトを立ち上げられれば少なくとも栄治には連絡が出来るはずだ。
と、焦る気持ちでPCの画面を注視していた矢先、玄関から ガチャリ と音がした。扉が、開いて───
「あれ、鍵かけ忘れたかな?」
と、聞きなれた父の声が聞こえて来た。良かった、とりあえず父は無事だ。変な儀式に巻き込まれたけど、家族までどうにかされた訳じゃなかったようだ。
ただ、それとほぼ同時に───
「もうボケて来たんじゃないの? 父さん」
……あぁ、そう来たか。
いや、その可能性も、多少は考慮していたよ。一瞬で体が再生するとかねぇ? でも実際耳にすると驚くよ。
父はその声の主に対して「まだそんな年じゃないよ」と若干戸惑いつつ返答している。うん、その鍵を空けたのはウチだから父さんは悪く無いよ。
───あ、どうしよう。あまりの事に頭が回らない。眠い。えっと、ウチが今すべきことは……
「……え?」
「あ」
何も行動を起こせないままに硬直していたら、ウチの部屋の扉が開いた。
そこには、小指が……左手の小指が存在する、もう一人のウチが、立っていた。
「……」
ストン、と。力が抜けて膝から倒れる。それをもう一人のウチが抱きかかえる形で支える。
「何?! え??」
もう一人のウチが驚いている。返答をしてあげたいけど……だめだ眠い。意識が遠のく。ウチは───
「……ウチを病院に送り返して」
そう、必要最低限の言葉を残して眠りについた。
* * *
暖かい。それに何か心地よい振動もする。何だろうか。つかウチは何してたんだっけ。たしか家に上がって……
「そうだ!」
「うお!?」
思わず飛び起きたらウチの下から驚く声がした。
「目が覚めたのか?」
「あぁ、あれ、今どういう状況? つかウチどのくらい気を失ってた? あと栄治無事?」
「質問が多いな! 今はウチがお前をおぶさって病院に運んでる途中。気を失ってたのは15分くらい。栄治は無事。つか栄治に危険が及ぶのか??」
「いや、それは無いはず。無事と聞ければそれで良いんだ。……病院の帰りに映画行ったか?」
「ああ。だいぶクソ映画気味で二人でゲラゲラ笑って楽しんだよ。その後父さんから連絡が来て折角だから3人で一緒に食事して、帰ったらお前がいたんだ」
なるほど。どうやらウチはもう一人のウチ、正確には新しいウチにおぶさる形で運んでもらっている最中らしい。そういえば服も雑にだが着ている。暖かい理由はこれか。振動はウチを背負ってるウチの歩くヤツか。ややこしいな。
「それで? 何がどうなってんのかウチに説明してくれ。左手の小指が無い事から、お前が今朝までのウチだって事は解るんだがそれ以外が何も解らん。全裸だし、背中に変な模様ついてるし。今まで7年高度再生医療を受けて来たけどこんなケースは初めてだよ」
「あぁやっぱりウチにも模様あるのか。まぁ……とりあえずアンタの姿をみて多少は腑に落ちたし落ち着いた。このウチを病院に返却すれば大体解決よ」
「一人で納得してないで情報共有をしてくれ。トラブルがあったから家に戻って来たんじゃないのかよ。それなら何でまた病院に戻りたがる」
「疑問を口にする割にウチの要求には従ってくれてるのな」
小指の生えたウチは、ウチが倒れる前に言った言葉通り、ウチを背負って病院に向かってくれている。
「当たり前だろうが。お前はウチなんだからそのくらい解るだろ。ウチはさっき父さんと一緒に家に帰ってくるまで例年と全く同じ状況。情報を何にも持ってないんだわ。その点お前はウチよりも知ってることが多いだろうし、そのウチが "病院に行け" っつーんだからそりゃ従うしか無いだろ」
「なるほど」
我ながら、自分の状況判断力の高さに関心する。自画自賛の極致だなこれ。
「確認するけど、お前は今朝までのウチって事でいいんだよな?」
「そう。左手の小指ないのがその証拠」
「てなると高度再生医療はクローン的な何かか……いや今はアンタの話を聞こう。……互いの呼び名がややこしいな、ウチの一つ前のウチだから、先代って呼んでいいか?」」
「ああ。じゃあウチはお前を7代目って呼ぶわ。治療受けるの今年で7回目だしな」
たがいの呼び名と、高度再生医療がクローン的な何かであるという情報を共有し、ウチはトラブルの内容について語りだす。
「トラブルが起きたのは事実なんだが、何で起きたのかは全く解らんのよ。とりあえず今までの経緯を説明するな」
ウチは7代目に対し、謎の部屋で目覚めてから自宅に帰るまでの過程を説明した。背中の模様の件と全裸の件もとりあえず納得してくれたみたいだ。
「……何その怪しい儀式」
「ウチも何も解らん。ぶっちゃけ怖い」
黒魔術的な何かだろうと思うけど現状の情報だけでは何とも。
「で、その怖い儀式をやってた病院に戻ってどうするんだ?」
「それこそウチなら解るだろうが。あの部屋に戻るんだよ」
病院の張り紙には "儀式中につき朝6時まで入室禁止" 的な事が書かれていた。つまり儀式は6時まで行われるという事で、今戻ればたぶん間に合うだろう。自室で時計見た時、まだ21時前だったし。
「いやまぁ、それは解るんだけど……いいのか?」
「いいってのは?」
7代目は、確信に迫る内容を口にする。
「多分そこに戻ったら、もう戻ってこれないよ?」
これまで7年、高度再生医療を受けて来た。つまり今年で7人目のウチ、詩絵美が誕生したという事だ。クローン技術なのか、魔術的なやつなのかは不明だが、ともかく今のウチがもう一人のウチと対峙しているという事はそういう事だ。
そして、過去の高度再生医療を受けた後、古いウチ───要は今のウチだな───これに遭遇する事は無かった。
なら、その末路は病院の中で完結しているはずだ。死ぬのか、生きたまま苦しめられるのか、はたまた奇想天外な極楽が待っているのか。その辺は何も解らないが、外に出られない事はほぼ確定しているだろう。でも───
「だからこそ、ウチは戻るべきだろう。そう思わない? 現、詩絵美」
「……」
7代目、次の代の詩絵美は口を開かない。
「この7年間は、上手く回ってたんだ。母さんは死んでしまったけど、ウチという、娘という存在は生き残る事が出来た。それは父さんにとってせめてもの救いだ。それに、ウチには婚約者も出来た。詩絵美という人間の価値は年々重くなる。これを失わせてはいけないんだよ」
「そのために、これから待つ未知の、もしかしたら地獄かもしれない空間に、自ら向かうのか?」
「7代目だってウチだろうに。なんでそれを聞くよ」
「目の前にその選択が迫ってる先代と、1年後まで猶予があるウチでは気持ちも違うと思ってよ」
自分自身だというのに、おかれた立場で意見が変わるというのは面白いものだ。
「じゃあウチが "やっぱ逃げたい! 生きたい!" とか言い出したらどうする?」
「……それは困るな」
「だろ?」
解りきった問いだ。『詩絵美を失わせるな』。これがウチの、ウチらの共通目標なのだから。詩絵美が生きていれば、父も栄治も悲しまない。その詩絵美は───別に今のウチでなくてもいいのだ。
「いや何かなー。先代背負って病院向かってるじゃん? 妙な罪悪感があるんだよなー」
「あぁ、そういう。確かに背負う側の葛藤はそうかもしれんね」
同じ自分とはいえ、儀式の場に返す───まぁたぶん殺す事になるんだから、そりゃ嫌だわな。
「人殺せる機会とか少ないし、良い経験が出来たとでも思って楽しめばいいんじゃね?」
「まぁ確かになぁ」
「つか急いでくれよ。帰ったら儀式終わってましたとか、それによって来年以降高度再生医療を7代目が受けられないとか、そっちの方が怖いんだよウチは」
「あ、それは同意だ。急ごう」
ここまで来たら、ウチが目覚めたのは恐らくは病院側のミスだろう。他の患者は眠っていたし、麻酔の量間違えたとか、そんな感じか。
あの部屋への立ち入りは6時まで禁止だから、ウチがいない事は職員にチェックはされてないだろうが……戻ったら時すでに遅しみたいな事はありうる。
何なら高度再生医療、大層な名前がついてるがこれ、医療ですらない可能性の方が大きい。もし黒魔術とか悪魔召喚とかその辺のものだった場合、どんなルールの上成り立ってるのか想像もつかない。儀式が完遂出来ない場合、今ウチを背負ってる、次の世代の詩絵美が即消失する可能性だってある。
「話題を変えるか。なぁ、何で先代は病院から出てこれたんだと思う? 話聞く限りセキュリティが雑すぎると思うんだよな」
「解らん。儀式部屋? には扉も無かったし。出口付近に警備もいなかった」
「高度再生医療はネット上をどんだけ検索してもほぼヒットしない。先代みたいに儀式の途中? で起き上がるヤツとかいたらもっと情報上がって来そうだけど」
「だからウチが逃げたのは病院のミスだと思うんだよ。解らんけど。あんなに雑なセキュリティなら、起きた患者は十中八九逃げてるよ」
「意図的なものかね。雑セキュリティ」
「たぶん」
断言は出来ないが、現状考えられる結論はそんなところだ。何の儀式だかは解らんが、扉が無いという点はポイントな気がする。古今東西、悪魔や妖怪などという類のものは境界を跨げないという話が多い。ヴァンパイアが家の扉をノックして開けてもらわないと家に入れないみたいな。あとは異世界の存在? とかも扉を開けられないという話は聞く。映画「ミスト」とかそうだった。
「扉の無い空間に、何かを呼ぶのかもな。そんで、それを目撃する人間もいないように、病院関係者はあの地下の廊下にはいなかった」
くまなく探したわけでは無いが、地下フロアでは見た目が通常の病院になっていても誰とも出会わなかった。何なら多分、監視カメラも無かったと思う。"見てはいけないもの" なのだろうか。
「どこまで推察しても確証には至れないよ。でどうするんすか? 現、詩絵美さんは。旧詩絵美であるウチは今夜限り姿を消すけど、お前はあと1年猶予があるぞ」
「"詩絵美を失わせるな" に尽きるよ。知りたいけど、危険を冒してまで確かめる情報じゃない」
「まぁこの手の話題は大体、深入りすると碌な目に会わないよな」
「ミッドナイトミートロレイン、みたいに?」
「そうそう」
知らない人は見てみて。面白いホラー映画だよ。
あぁ、そういえば7代目が昼に行った映画、ウチも見たかったな。クソ映画だったらしいけど、栄治とは映画の趣味も合うから、さぞ楽しかったのだろう。
聞きたいけど、やめておこう。それは7代目の、次の詩絵美の思い出だ。ウチは知らずに退場した方が未練が残らない。
未練、未練か。やっぱ死ぬかもしれないって思うとちょっと怖いんだな。いや、死に方決まって無い分だいぶ怖いか。何が起きるんだあの儀式で。ちゃんと死ねるよな? 永遠生かされ続けて拷問とか嫌だが? たのむぞ?
死……。もし儀式の果てに死ねるのなら、可能性は薄いだろうけど、もしかしたら、母さんに、会えるかもしれない。儀式なんて胡散臭いものが出て来たんだ。魂とかあの世とか存在しててもいいだろう?
つかもし魂が存在してたら、ウチ増えとるやんけ。ウチが6人目の詩絵美だから、すでに5人、あの世では母の周りにウチがいる事になるのか。シュールだし、母さん困惑してそう。現世の詩絵美が存続する限り、あの世での詩絵美が毎年1人ずつ増えるのか。ヤバいな。ウケる。
…..
….
…
..
.
背負う先代のウチと会話しながら進むこと数十分、ウチら二人は病院の裏口付近に着いた。
「よかった、鍵閉まって無い」
もう先代は窓に駆け寄り、開ける。元々先代が出てくる際に開放した窓だ。外側から鍵をかけるのは不可能だが、内側からもかかって無いという事は窓の異変に気が付かれてないか、見回りに来ていないかのどちらかだろう。先代が抜け出したという事実は恐らくバレていない。
「じゃあ行くな。ここまでおくってくれてありがとう」
「ヨロシク。ウチはあと1年、栄治と父さんのために気合いれて良い詩絵美を続けるよ」
「おう、頼んだぞ」
先代は着ていた服を脱いで、窓から病院に入る。あぁ大変な一日だった。家に帰ったらもう一人のウチがいるとか、どんなシチュエーションだよ。映画だ映画。シックスデイズだ。
(シックスデイズ気分はむしろ先代の方か)
二人が早々にコンタクトしてしまってるので映画とはシチュエーションが違うが、今まで通りの"日常"を送っていたウチと、"非日常"を浴びせられまくってた先代では、シックスデイズ気分はあっちの方が上だろうな。あぁそういえばあの映画まだ栄治見た事無いって言ってたな。丁度今回の件でクローン関連のあれこれに興味出たし、一緒に見るか。
先代は窓に鍵をかけ、病院を地下へと降りていく。さぁ、何が待っている? それを知れるのは、今階段を下りていく、お前だけだ。保守的な"詩絵美"は危険を冒せない。だから、ちょっと羨ましくもある。
「知りたいなぁ」
ウチの独り言は閉まった窓に遮られ、先代には届かなかった。
* * *
「さて今年も怪しい治療がやってまいりました」
「毎年来るなら新居は病院の近くが良かったか?」
「いや一年に一度しか来ないなら仕事へのアクセスが便利な方が良いでしょ」
あの夜の出来事から一年、あっという間だった。ウチは栄治と結婚し、実家を離れ今は二人で暮らしている。実家とは違い新居は病院からそこそこ離れているので、本日は軽いお出かけ気分だ。帰りには父さんに顔見せもしよう。……そんな感じで頼むぞ8代目。
「あれから一年考えてみたけどよ、結局この高度再生医療ってのが何なのかはわからずじまいだったな」
栄治はウチと同じく、この得体の知れない治療に興味と疑問を持ったみたいで、在りし日のウチの様にこの一年、色々と調べて回っていた。もちろん、ウチの口からは昨年のあの夜の事は話していない。
「解らないものは解らないって、受け入れる必要があるのかもね。少なくともこの胡散臭い治療が無ければウチは8年前の事故で死んでたんだから」
「それはそうだが、ここまで何の情報も出てこないのは怪しさの極みだろうよ。中で何が行われてるのか解んなくて俺は不安だよ」
中では怪しい儀式が行われていますよ。はい。
「不安つーのはどういうことだ?」
「詩絵美はいつも麻酔打たれて以降の事は覚えてないんだろ? その間に、詩絵美にとって、いや治療を受ける患者にとって不都合な何かが進行してたりしやしないかってな」
「これからのその治療受けるんだから不安にさすなや」
おどけてみせるがまさに栄治の言う通り。何か変な事が行われているのは事実だ。理由も方法も解ら無いが、保険適応するくらい国からバックアップされて、何の儀式をしてるのやら。
「悪い。確かに今不安にさせてもしょうがねぇな」
「あーとは言っても病院までの道、結局雑談しながら行く事になるんだから、意外と良い話題かもしれんね」
「というと?」
「"不都合な何か" についての予想合戦」
暇つぶしには良いだろう。つかウチもあの儀式の正体を知りたくてしょうがないのだよ。知る手段は無いし、知るべきでもないけど。ウチにとっての最優先事項は『詩絵美を失わせるな』だし。
「栄治が考えてる、患者にとって不都合な何かって例えば何かある?」
「そうだな……、治療を受けてる本人を前に言うのも難だが……クローン人間とか? こないだシックデイズも見たし」
「……」
おお、マジかコイツ。流石ウチの夫だわ。いや映画の影響か?
「"高度" がついてない再生医療自体はiPS細胞使っての実例もあるれっきとした医療だ。ただ詩絵美が受けてるみたいに爆速で体作れるなんて話は聞かない。となるとあらかじめ体を作っておいて、記憶を同期するなんて公にはしにくい事をやってたり……って線はあるかなと」
「それはウチも考えてたよ。ただそれだと一番最初、ウチが事故にあった時の説明がつかない。体半分消し飛んだ状態からウチは即座に再生された訳だし。……シックスデイズみたいに"無垢の個体" を作っておくってのは飛躍しすぎだろ?」
「確かに……」
なんて栄治にもっともらしく否定意見をだしてみたものの、自分がコピーされているという事実は昨年観測済みだ。ただそれは医療的なクローンではなく何か黒魔術的なヤツだろうけど。じゃなきゃさっきウチが言った通り、最初の事故が説明できない。
現状ウチの中で考えられる真相は『魔術的な何かで被検体が健康な状態だった時の体と記憶、人格を複製する』というものだ。ただその推察にたどり着くには昨年の様なイレギュラーが存在しないといけないし、複製前の体を儀式でどう処理してるかも解らない。何よりこの儀式で救える命───実際には元の体は死んでる訳だが───に手を差し伸べない理由もわからない。毎年事故や病気で死ぬ人の数は数多いのに、何故ウチを含めた少人数だけがあの儀式の対象なのだろうか。
栄治に話していっしょに考察したいが、この情報の秘匿性がどの程度なのかも知り得ないウチには、そんな勇気は無い。
(万が一治療が受けられなくなって、"詩絵美"の命が失われても困るしな。あと最悪情報知ってる栄治が口封じに殺される事だってある)
おお怖い怖い。
「ただ、クローン説が否定されたってのは、俺的には嬉しい事かな」
少し黙っていた栄治が口を開く。
「何ゆえに、それだと嬉しい?」
「そりゃお前、この高度再生医療がクローンだってんなら、毎年古い詩絵美が死んでる事になるじゃねぇか」
「そやね」
実際そうだろうね。
「それは悲しいよ」
「ほう……」
「何でそんな実感こもってないんだよお前は」
あんま考えたことが無かったからかな?
「クローンだったとして、ウチ、詩絵美という存在は引き継がれてる訳だし、古い詩絵美が死んでてもいいのでは?」
「良くねぇよ。個人の死には代わりねぇし。愛する人が毎年死んでるなんて嫌だろうが。だからクローン説が否定されたことは俺にとって嬉しいんだよ」
「……」
こりゃ、昨年の秘密は墓場まで持って行かないといけないな。まぁ今のウチにとっての墓場はあと数分でたどり着く病院な訳だけど。でもこの思考も次のウチに引き継がれるから、次のウチが何とかしてくれるだろう。
などと会話する事数分、ウチらは例の病院にたどり着いた。
「んじゃ行ってくるよ」
栄治を待合室に置いて、ウチは診察室の中へ。さ、今年一年活動したこの体ともおさらばだ。
* * *
「体の具合はどうかしら?」
「いつもと同じく年明けくらいから体調崩しやすくなってますね。あと傷の治りが遅かったり頭痛がしたり」
「細胞の再生がうまくいかなくなってきてるわね。いつも通り、と。……今年は指きって無いわよね?」
「はい」
昨年とほぼ同じやり取り。ふう。何か聞かれるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたぜ……と、思っていた矢先───
「あぁそれと詩絵美ちゃん。苗字変わったけど結婚したのかしら? お相手は……待合室にいた彼ね」
「……え……はい……」
何? 何を聞きたい? なんだこのトーンは。さっきとは雰囲気が違う。
「子供って、産む予定あるかしら?」
ゾクリ、と背筋が凍る。子供……まだ考えてないけど、どう、なるんだ……? あの儀式に、もしウチが子供を産んだら、どうなるんだ?
「こんな事聞くのは昨今の常識的にとても失礼な事なのはしってるんだけど……。アナタが受けてる治療はとても特殊なものだから聞いておきたくってね。知っての通りアナタの細胞は1年くらいで再生力が落ちるの。それは卵子だって同じで」
「───つまり、もしウチに子供が出来た場合、毎年高度再生医療を受ける事になると?」
「そうなるわね」
嫌だ。とてつもなく、嫌だ。そうか、さっき栄治が言ってた事、今解った。ウチにクローンが出来たり古いウチが死んだりするのは、どちらも自分自身だとウチが勝手に思ってるから、対して重い事象に感じなかった。でも、それがウチ以外なら───。栄治との間に生まれるかもしれない命なら───。
嫌……だ。
愛する人が毎年死ぬのを嫌がった栄治。彼の気持ちが今解る。ウチは子供を、作ってはいけない。
「どうしたの? 顔が怖いわよ?」
「あぁ、まだ子供の事は考えてませんでしたが……ウチも年明けくらいから体調悪くなるじゃないですか。子供も1年の後半に体調崩れるっていうのはちょっと怖いかなーって。毎年絶対病院に来ないといけないって縛りも」
「そうね。普通の出産、子育てよりリスクはあるわ。まだ早いかもしれないけど、そのことは知らせておいた方がいいと思って」
「ありがとうございます。夫と、相談してみます」
「そうしなさい」
怖かった。とても怖い思いをした。でも、事前にそれを知れたのは幸いか。ウチの担当医さん、変な儀式はしてるけど悪い人では無いのかもしれない。
悪い人では無いエピソード続きで、目の前の医者はこんなことも言い出す。
「詩絵美ちゃん、今年はどうする? 麻酔」
「───え?」
立て続けに何なのだ本当に。こんなこと昨年まで無かった。ウチは、少なくとも7代目の詩絵美はそう記憶している。
「アナタは、麻酔無しでもいいんじゃないかしらって思って」
「何で、ですか?」
不味い。冷や汗が出そうになる。表情を崩すな。何も知らないふりをしろ。
「何でか解らない? なら良いんだけど……アナタは見たいんじゃないかと思って」
「何をです?? そりゃ治療内容は気になりますが……守秘義務があるんじゃなかったんです? 知って良いんですかウチ?」
ウチは精一杯何も知らないふりをする。ただこの先生の言い草……何だろうか、緊張感が無い。もしかしたら昨年のウチのイレギュラーを見越して、本気でウチに事の真相を観察させてくれようとしてるのか??
先代の話によると謎の部屋を出るまでの間、石畳的なザラザラした床を這った影響で足を傷だらけにしたとの事だ。つまり部屋に続く細い廊下には血痕が残っていたはず。
そして先代がその部屋に帰ったのなら、もし儀式後に死体とか残る感じのヤツならその血痕の正体が患者詩絵美であると推察する事は容易いだろう。だって足に傷があるし。もしくはここは病院だ。DNA鑑定でもすれば一発だ。いや、そんな面倒な事しなくても先代が地下に降りていく際に、病院の職員と鉢合わせた可能性もある。
もしそうだった場合、詩絵美という人間は一度血だらけになってまで外に出たにも関わらず、帰って来た患者という事になる。我ながらかなり変な奴だとは思うが、それを知った上で目の前の医者がウチに問いかけてるのだとしたら。その真意は───『お前は逃げない保証があるから儀式の真相を見せてやる』って事だろうか。それがさっきの子供の話と関係してたりするのだろうか。
ああああああ! めっちゃ知りたい!! 誘いに乗りたい!! 乗れば、次に生成される8代目の詩絵美は真相を知らずとも、"7代目は真相を知った" という確証を得られる。それなら8代目だって次の年に真相を知れるし、9代目も、10代目も、うわああああああ! 知りたい!!
「どうしたの? 表情がせわしないわよ?」
「ああいえいえお気になさらず!」
まずいめっちゃ顔に出てた。知りたい! 知りたいけど我慢だウチ!! 『詩絵美を失わせるな』だよ!!
「知って良いなら、守秘義務が甘いなら麻酔無しで行きたいです。去年指切って来たくらいには痛みに耐性あるので好奇心の方が勝ちます」
「そう……? うーん……」
医者は眉間にしわを寄せて何か考えている。
「んー、やっぱり守秘義務は大事ね。今年もいつもと同じにしておきましょうか」
「えー折角教えてくれるとおもったのにぃ!」
せーーーーふ! だと思う! 何も知らんテイを保てたはずだ。
この提案がカマかけだった場合、最悪ウチが詰む。そして医者的にはカマかけであれ、親切心で真実を教えてあげようとしてるのであれ、ウチが「何も知らない」と主張してしまえば儀式から逃げ出す可能性が出てきてしまうので、麻酔はかけざるを得なくなる。大変残念ではあるが、医者のこの返答はセーフの証だろう。
「じゃあいつも通り、こっちの台の上で横になって」
「はい」
羽陽曲折あったが、 これで今のウチ、7代目詩絵美の生は終わる。ギリギリになんて怖いイベント差し込んでくるねん。はぁ。
子供の事実は重すぎる。今考えるのはしんどいな。じっくり考えてくれ、次のウチ。
あとはまかせた。
…..
….
…
..
.
「まかされたよ」
「何だ突然」
病院の待合室に座る栄治が、ウチの独り言に疑問を挟む。時刻は12時ちょい前。今頃7代目は儀式部屋で寝ている頃か。
「何でもないよ。飯食って帰ろう」
「おっけ。食後は実家に寄るんだっけか?」
「おう」
親孝行はしておかないとな。ただでさえ結婚して家離れちゃったんだし。
(子を思う親の気持ち、か)
まだ出来てもいない自分の子供に想いを馳せる。やめよやめよ。作るべきじゃない。どうしても子供欲しかったら養子探すか、ウチ以外の卵子を提供してもらって人工授精とかそういう形にしよう。血の繋がりだけが親子ではあるまいし。
今は栄治との時間を楽しもう。そして父に孝行して、最大限良い詩絵美ライフを満喫するのだ。折角生きながらえた───いや、生まれ変わった訳だし。
(記憶も何もかも引き継いでるけどな)
先ほどの先生とのやり取りが鮮明に思い出される。この個体の記憶じゃないはずなのに。あー誘いに乗っておくべきだったか? いやでもリスクは回避せんといかんし……。
知りたい、あぁ知りたい。でもその欲求は押さえて。何よりも『詩絵美を失わせるな』を第一に。
「知らぬが仏、ってね」
小さく呟いた8代目詩絵美───ウチの独り言は、病院の簡素で白い壁に吸われて消えた。