「立ち話で良ければ……どうぞ?」
今は初夏、
「立ち話、ね。まぁいいけど」
彼女はその整った顔を歪ませ、まだ見慣れない黒色の髪を揺らす。その立ち振る舞いにはまだぎこちなさが残っているものの、その凛とした佇まいと目力、そして堂々たる所作は、まさに勇者のそれだった。
「それで……何の用でしょうか、勇者様」
「ここで何をしていたのか、説明してもらっても良いかしら?」
勇者はその身に纏った白いローブを翻し、薄暗い路地裏を一歩、また一歩と近づいてくる。
「……散歩です。最近、運動不足なので」
「ふーん……そう」
僕の苦し紛れの嘘に、勇者は興味なさげに答える。彼女は歩みを止め、やがてため息を吐くように吐き捨てた。
「ま、いいわ。あなたが何をしようとあなたの勝手だしね。でも、私も勇者としてやるべきことがある。現場を目撃されてしまった以上、言い逃れはできないと思うけど?」
勇者はそのしなやかな指を、僕が出てきた路地裏の奥へ向ける。
「現場……ですか?」
「とぼけないで。あなたがさっきまで話していた男、黒金の獅子団の構成員でしょ?」
「ああ……」
黒金の獅子団。最近住人や冒険者たちの悩みの種となっている、中級冒険者パーティー。法外な依頼料を要求したり一部の依頼を独占したりと、迷惑行為は止まるところを知らない。
「あの人は、ただの闇市の商人ですよ」
「そう。一月前までは、ね」
勇者は、僕の言葉に被せるように答える。
「黒金の獅子団の拠点の一つだった酒場から、あの男のものと思われる覚書が見つかった。その名簿に載っている人物の中で、身元を特定できたのはあなただけ。鏡の森の魔法使い……仮面のガキって、あなたのことよね?」
僕はその真っ黒な仮面をつけ直し、お気に入りの深緑色のパーカーのフードを深く被った。意図せずとは言え、また同世代からガキ呼ばわりされることになるとは。
「……つまり最初から、僕のことは容疑者の一人として接触してたんですね。道理で、僕が勇者様のパーティーに選ばれるなんておかしいと思ったんですよ。全ては……演技だったんですね」
勇者はその言葉に一瞬顔をしかめたが、やがて平静を装って答えた。
「全部が全部嘘ってわけじゃない……。騙して悪いとは思ってた。でも、町の人たちが安心して暮らせるようにするのも、勇者の務めだから」
彼女が姿勢を低くし、ローブの下で剣の柄に手をかけたのがわかった。
「あなたの容疑は二つ。一つ目は、黒金の獅子団と繋がっていたこと。そして二つ目は、女の子が寝泊まりしている部屋を、特定したこと」
勇者はそう言いながら、じりじりとこちらに詰め寄ってくる。僕はそれに合わせて、一歩ずつ後退する。
「一応一つずつ言っておきますが、まずさっきの商人とは、月に一度会うか会わないかの付き合いです。彼が最近黒金の獅子団の仲間になったことは、本当に知りませんでした。それから……二つ目の容疑ですが」
僕の言葉を受け、勇者の眉間の皺が深くなる。
「聞けば素直に教えて頂けたのでしょうか? 勇者様の、寝床の場所」
「それは……まだ無理ね」
勇者が、僕の言葉をバッサリと切り捨てる。
「賢明な判断です。昨日会ったばかりの男に、そう易々と教えて良いものではない。勇者とて……寝込みを襲われれば一溜まりもないでしょう?」
僕がそう煽ると、勇者の眼光が鋭くなる。
「そして、寝込みを襲うことができるようになった人間が、今私の目の前にいる。そういうことよね?」
勇者の纏う雰囲気が変わる。僕は再度、腰元の杖を握りしめた。
「……ようやく、勇者様の本気が見られるのですか? 本物の聖剣で斬られたことは僕もありませんから、楽しみです」
「そうしたいけど……できないでしょうね。ラノ君は、私が手も足も出なかった魔物を倒してくれたみたいだし」
「それでも勇者として、僕を倒さなければならないのでしょう? それに…………やってみないとわかりませんよ」
彼女の目が、一瞬だけ冷たく光る。次の瞬間、彼女の右手がローブの裾から覗いたかと思うと、真っ白なローブはすでに宙を舞っていた。
「やってやろうじゃない……!」
彼女の剣が、僕の胸元を狙って突き出される。僕は即座に杖でそれを受け止めた。金属同士がぶつかったような甲高い音が、辺りに響いた。