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<5・使徒>

 白装束達に両脇から抱えられている香代子は、ぐったりと項垂れている様子だった。既に中年の域に入る香代子だが、年に対してとても上品で美人、生徒達にも人気が高い。ジョークの通じる楽しいおばちゃん、という認識である生徒が少なくないだろう。夏俊にとってもそうだった。彼女は教員でありながら堅苦しくなく、いつも生徒達の良き姉役、あるいは母役であったのだ。まあ、聖也の暴走っぷりには、さすがの彼女も笑顔を引きつらせていたようだが(当然のように聖也は彼女のことも口説いているからである)。

 その彼女が、見るも無残に顔を腫らしている。

 頬は真っ赤に腫れ、唇は切れて血を滲ませている。いつも綺麗に一つに結んである髪はぼさぼさになり、特に酷いのは左目のあたりでまるでパンダのように紫色に変色しているではないか。瞼が腫れすぎて、左目を開けられないほどであるらしい。女性の顔になんてことを、と夏俊は唖然とした。勿論男性の顔であっても十分酷いが――これはあまりにも、あんまりだ。誰かに思い切り、徹底的に集中して顔を殴られたことが明白である。

 クラスメートの誰かが唖然として、呟いた――バトルロワイヤル、と。

 そう、この光景は。少し前に再放送でやっていた、有名な映画の始まりによく似ているのである。まさかあの映画と同じように、これから殺し合いをしろだなんて命じられることは――まさかない、とは思いたいが。

 残念ながら、自分達の手首には不穏な銀の腕輪が嵌められている。

 爆弾なら首にするべきでしょ、なんて軽口を言う余裕もなく。


――そうだ、もし誘拐だっていうなら。何で聖也は、何も言われる前から知ってるんだ?


 もう一度聖也に問い詰めたいが、今はそんな空気でもない。何より香代子のことが心配で仕方ない。


「初めまして……柏木高校一年二組の皆さん」


 やがて、白装束の一人が口を開いた。白装束達は十数人いるようだが、どうやら彼がリーダー格であるらしい。一人だけ、金色の腕章をつけている。声からすると、中年くらいの男性であるらしい。残念ながらフードを被っている上、顔には仮面をつけているという徹底ぶりなので正体を推し量ることはできないが。


「わたくし達は、『アランサの使徒』という組織でございます。この世界を統べる唯一神から、この世界を真に平和にするための信託を受け取り、実行する組織です。突然同意なく、皆さんをこのような場所にお連れした非礼を深くお詫びいたします。しかし、これもまた神の意思。絶対的に必要なことなのでございます」

「う、うう……!」


 何かを言いたげに、香代子が顔を上げる。うっすらと開かれた彼女の唇からは、歯のあちこちが無残に抜け落ちた無残な口内が覗いていた。歯が折れるほど殴られたか、あるいは拷問でもされて強引に抜かれたのかどっちだろう。痛かっただろうに、なんで酷いことを――夏俊は憤りと共に白装束を睨む。

 だが、彼らは自分達が捕まえた女教師に全く容赦がないようだった。彼女が少し暴れた途端、リーダーがすっと手を上げる。途端、彼女を抑えていた二人のうち、彼女の右側に立つ方がすっと動いた。そして勢い良く、女性の右腕を捻り上げたのである。


「やめろ!」


 何をするのか、すぐにわかった。ぼぎり、と酷い音が響き、香代子のくぐもった悲鳴が響き渡る。彼ないし彼女は、あっさりと教師の右腕を折ってみせたのだ。明らかに、黙らせるために。同時に、見せしめを行うために。


「えー説明の順番が狂ってしまいましたが。皆様、静粛に。納得がいかないことは承知しておりますが、お静かに説明を聴いてくださいね。でないと、次は彼女の左腕を折ります。場合によっては両手両足も折りますので、そのつもりで」


 我々は本気ですよ、と。やや間延びした口調でリーダーは言う。既に室内のあちこちから、小さな嗚咽が漏れ始めていた。気弱な女子達が突然の状況に戸惑い、恐怖が臨界点を超えつつあるのである。無理もない。誰だって、自分達がこのような恐ろしい目に遭うなどと誰が想像つくことだろう。ましてや、つい少し前まで普通に話をしていた優しい先生が、このような無残な目に遭っているのを見せ付けられることになろうとは。

 アランサの使徒。どこかで名前を聞いたことがあるが、どこだっただろう。

 嫌な予感しかしない。神の意思だのなんだのと言っているということは、過激なカルト教団とか、そのようなものであるのだろうか。


「聞き分けが良いようで、何よりです」


 仮面の下で、にやにやと笑っているのかもしれない。男は笑みを含んだ声で続けた。


「まず、我々の目的ですが。先ほど言ったように、我々はあくまで世界の平和を目指すための、正義の組織です。皆さんが今日まで恐ろしい敵に襲われることなく、平穏無事に暮らしてこれたのは。全て我々がその厚い信仰心をもってして主を支え、神がこの世界に結界を貼り悪しきものの侵入を防いでくれていたからなのですね。まずは皆さんは、その事実を受け入れていただきたい。そして、神への感謝を捧げていただきたい」


 何言ってんだコイツ、と思った者は何人でもいるだろう。この時点で、頭がいっちゃっているヤバイ集団であることは明白だ。大体世界の平和を守るための組織が、罪もない高校生をクラスまるごと誘拐し、先生をとっ捕まえて拷問にかけるような真似などするはずがない。

 「お前らは一度、戦隊ものの特撮でも見直して来いよ」と言いたかった。正義のヒーローの一般的な正しい行いというものがどういうものであるのか、それで多少わかるはずだろう、と。


「皆様にも一緒にお祈りを捧げていただきたいですが、今は時間がありませんので省略させていただきましょう。長らくこの世界を、悪しき異世界の侵入者から守って下さっていた主ですが……最近は悲しいことに、その結界を保つことが難しくなりつつあります。理由は単純明快。主の存在を忘れ、身勝手に振舞う者が増えたということ。愚かな邪教に身をやつしたり、己の欲望を優先するがあまりに犯罪に走ったり、はたまた禁忌を犯したり……そのような者達の悪心が集まり、われらが神の妨げとなるようになってしまったのです。そして、結界はもうじき破られようとしています。その結果、どれほど恐ろしいことが起きるかも知らず……!」


 何だと思いますか?と。彼は大げさに両手を広げてアピールをした。


「この世界に、悪魔がやってくるのです!貴方がたが普段読むようなアニメやゲーム、それに出てくる魔王なんて目ではありません。とにかく数が多く、強力な魔法を使うのです。対抗するためには、我々も何らかの力を用いる必要がありますが……残念ながら、我々はか弱い普通の人間。想像の世界のように、火を起こしたり水を降らせるような魔法を扱うことは叶いません。悪魔はその魔法の力を用いて、まさにこの世界を蹂躙せんと狙っているにも関わらず……!そこで、これの出番というわけなのです」


 彼はひらひらした白装束の懐から、銀色の物体を取り出した。あ、と小さく声を上げる夏俊。それはまさに、自分達が腕に装着させられている腕輪と同じものである。はめ込まれた赤い石が、男が掲げる腕を動かすたびにキラキラと輝いた。


「これぞ、我らが神から授かりし英知!このブレスレットを両腕に嵌めることにより、この宝石にストックされた特別な力を一つ、どんな人間でも自在に使うことができるのです。まさに科学の力で、我々は普通の人間が魔法を使う方法を編み出したということ……!このブレスレットが完成すれば、我々は悪魔の魔法にも対抗しうる力を身につけることができるでしょう!」

「完成……?」

「おお、気づかれましたね、そこのお嬢さん。そう、このブレスレットはまだ完成していないのです。現在は実証実験を繰り返している最中とでも言えばいいでしょうか。もうお分かりですね?皆さんにはこのブレスレットの性能と有効活用法を見出すための実験に協力していただきたいのですよ」


 意味がわからない、と夏俊は頭を抱えたくなった。説明の中、情報量が膨大すぎる。完全にキャパシティオーバーだった。頭の中がぐるぐるしてどうにもならない。一体彼は何を言っているのだろう。神や悪魔というだけで胡散臭いのに、まさか人間が魔法を使えるブレスレットを発明しただなんて。しかもそれを、見ず知らずの自分達に無理矢理嵌めて、性能を試させようだなんて。

 嫌な予感に、心臓が痛いくらいに鳴っている。まさか本当に、ブレスレットを使って生徒同士で殺し合いをしろとでも言うつもりなのではあるまいか、と。ただ、聖也はさっき確かに自分達に言ったはずだ――ある脱出ゲームをさせるため、と。それが本当ならば、実験内容というのは殺し合いなどではないはずだが。


「最終的には、若い青少年にこれを使い、悪魔と戦う勇敢な戦士として育っていただきたいのです。だから我々は実験対象として、皆様高校生を選びました」

「まさか、殺し合いをしろとか言うんじゃ……」

「いえいえ、とんでもございません。未来ある皆様を、殺し合いなんて無益な行為で失うなんてとんでもない。我々がお願いしたいのは、もっと有益な実験でございますよ」


 同じことを考えたらしい男子の一人が、震える声で口を挟んだ。が、即座に白装束はそれを否定する。本来ならばその言葉で、わずかばかりとはいえ安堵感を得られるはずだった――誘拐されてきた事実と、そこで腕を折られ顔を腫らしている教師がいなければ。

 そう、よくよく考えてみればだ。何故彼女は、ここまで一人痛めつけられなければならかったのか?さっきも何かを言いたげだった。実験に反対しようとしたせいで拘束され、拷問を受けたのではあるまいか?

 そう、生徒に危険のないただの『実験』ならば――彼女が命懸けで反抗する理由など、あるはずもないではないか。


「今、この建物は窓もドアも殆どが封鎖されています。皆さんは今から、この研究所の中から出口を探し、鍵を見つけて脱出していただきたいのです。つまりこれは、脱出ゲームというわけですね」


 脱出ゲーム。聖也が言っていた通りだ。ちらり、と彼女の方を見る。彼女はずっと沈黙したまま、白装束達を射殺したいほど強く睨みつけていた。


「鍵は複数ありますが、一つの鍵で出口が開くのは一度のみ。出口から外に出ることが許されるのは一人のみ。一つの鍵で二人以上の人間が出ようとすると、必ず二人目の人間はその場で『処刑』されることになりますのでご注意ください。他にも、我々運営に刃を向けた者も処刑となります。処刑方法はいくらでもありますが、そのうちの一つは……今この場で、お見せすることにしましょう」


 さあ、とリーダーが促す。すると香代子を抑えていた二人の白装束が動いた。まるで掲げるように彼女の両腕を持ち上げ、まっすぐに突き出させる。そこに、別の白装束が教卓のような机を持ってきた。その上に乗せられる、彼女の両腕。夏俊は見た。香代子の腕にも自分達と同じ腕輪が嵌められているということに。

 まさか――まさか。どんどん嫌な予感が強くなる。香代子が真っ青になり、再度暴れた。しかし、彼女は顔を殴られ、右腕は折られるという満身創痍の状態。元より小柄な中年女性である彼女がいくら本気で暴れても、その力はたかが知れているというものだ。

 彼女の抵抗をものともせず、机の上に固定される二本の腕。そして。


「貴方がたの腕輪は、不思議な力を発動させるためと……もう一つ役割があるのです。我々製作者がスイッチを押すと、このような仕掛けを発動させるのですよ」


 リーダーが小さなコントローラーのようなものを、そっと押し込んだ。瞬間、ピ、という小さな音が響く。次の瞬間。





 ぼんっ!





 血飛沫が、舞った。机に乗せられていた香代子の両手首が宙を飛び、くるんと弧を描いて落下していく。


「ぎ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 香代子の、引き絞らんばかりの絶叫が上がった。激痛に暴れ、固めをぐるんと白く裏返し、泡を吹いて暴れる女性。その彼女を押さえつける男達は、白装束に血が飛ぶことさえも厭わず平然と佇むばかりである。

 落下した手首は、生徒達が座り込んでいるすぐ傍まで飛んできた。その断面を間近で見てしまった少女の一人が激しく嘔吐する。一気に生徒達はパニックになった。まさか、この腕輪が爆弾も兼ねていただなんて!


――酷い、酷い酷い酷い酷い!こんなの、あんまりだっ……!


 夏俊はただ凍り付いてそれを見ているしかできない。

 香代子は苦しみのたうちながらも、まだ生きている。そう、首とは違って吹き飛ばされるのが手首であるならば――人は、即死できないのだ。いずれは失血死するのだとしても、激痛に苦しみ抜いてから死ぬことになるのである。なんと恐ろしい最期であることか。それが、今まさに自分達の手首にも嵌っているのだ!


「こうなります。ですから皆さん、私達の言うことはしっかりと聴くように」


 身体を痙攣させる女性に見向きもせず、リーダーはあっさりと言い放った。


「こんな苦しくて痛い死に方……皆さんはしたくない、そうでしょう?」

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