「行ってきまーす」
「お弁当持った?」
「持ったよ」
いつも娘を心配しすぎだ。今まで弁当を忘れた事などなかったろうに。まぁ、母とはそういう存在なのかもしれない。
「ともかく、行ってくるよ」
そう両親に挨拶をし、玄関を出る。まぶしい日差しが目にいたい。耳に入るセミの泣き声が日差しとセットで夏の主張をしてくる。
「もうすぐ夏休みかー」
特にしたい事も無い。やる事も無い。あ、でも……
「そろそろ、相談くらいはしてもいいかもしれんね」
ウチは独り言をつぶやきながら通学路を学校に向かって進んだ。やるからにはアイツに相談しないといけないな。
今日の通学路はいつもと違い、少しばかり軽やかに感じられた。
* * *
昼食。弁当箱を開け、母さんが作ってくれたお弁当を口へ運ぶ。噛むと形が崩れるのでそのまま飲み込むことが多い。おかずのレパートリーなんて日々そんなに代わり映えしないのだ。再利用できるならその方が手間がかからなくて良い。
白米を箸でつまみ、口の中へ。ウィンナーを箸でつまみ、口の中へ。ブロッコリーを箸でつまみ、口の中へ。以下、弁当箱が空になるまでその繰り返しだ。
ハンバーグが少し大きく、咀嚼しないと喉を通らない。腹から取り出した際に形が崩れてるのは母に申し訳無いが、それらを整えて弁当箱につめるのも彼女の役割なので大目に見てもらおう。
しかし無駄は少ない方が良い。ウチは無駄が嫌いなのだ。だからこそ、この行為も──
「これ何の為にやってるんだろうねー」
「……どしたの
ウチの疑問に友人が心配そうな顔を返す。まぁその反応が正しいよね。
「いや気にしないで」
「具合悪かったらお医者さんにみてもらいなよ?」
「大丈夫大丈夫」
へらへら笑うウチを怪訝そうに見つめる友人。意味も無くボロを出し過ぎるのは良くないな。やる事やる前に病院送りにされる。
「詩絵美はいつもそうだよね。ボクには……」
「ん?」
「なんでもないよ。早く食べよう?」
友人は少し悲しそうな顔をしていた。何故だろうか。
* * *
午後の授業がはじまる。黒板には生物のDNAに関する記述がなされていた。何度目だっけ? この授業。
生物……生物ねぇ……生物。はぁ。
いるのなら会ってみたいものだ。そうすればこの退屈な日常も変わるかもしれない。何のためにウチは、ウチらは、彼らのまねごとをしているのだ。
弁当の中身はほぼシリコン。後日の弁当に再利用するのでちゃんと家に持って帰らないといけない。家で腹から取り出し、母に素材として提供する。
学校生活は173年目。ってことはこの生物の授業も173回目か。ウチが産まれてから173年か。
繰り返される高校3年生。いったい、何の意味があるのだろうか。
窓の外からはセミの声。お互い生きてもいないのに、セミは何故こうもにぎやかに歌うのだろう。子孫繁栄する目的なんて、叶えようが無いのに。そんな機能も無いし、生きてもいない。
黒板に記載されるDNAの情報が空しく脳内を駆け巡る。そんなもの持ってる存在、とっくの昔に絶滅したよ。
「生きてるふりを、何故みんなしてるのだろうね?」
ウチの独り言は授業の音にかき消されて消えた。
* * *
最初は楽しかったんだ。産まれてから、ウチが生産されてから1年目の出来事だ。
世界は未知の事象に満ち満ちていて、とにかく知る事の喜びを味わった。基礎言語は産まれた時から習得していたがそれ以外の知識はほぼ無かったのだ。毎日の授業は新鮮で、ウチの記憶媒体は乾いたスポンジの如く知識という水分を吸収していった。
でも次の年、変わらぬ授業に飽きた。1年前と同じ授業を学校で受けるとは知っていたが、授業から得られる知識は何も新しく無かった。
授業が真新しくなくなったので、2年目からは学校外での知識を求めた。そして、世界の構造を知った。
ウチの名は
この星に、地球に住まう全ての存在が、ドロイドが、同じ時間を繰り返す。此処は──制止したドロイドの星。
生物なんていないのに、いる様に振る舞ってる世界。
でも不満はなかった。学生生活は楽しかったし。高校3年生がずっと続いたとしても、皆記憶は引き継いでいく。友人とのやり取り、両親とのやり取り、他者とのやり取りは年々変化する。
知る喜びは打ち止めになったが、毎日を繰り返す事に不満はなかった。
でもここ数十年、流石に100年を超えたあたりからか、退屈に感じる。疑問を持ってはいけないと、ウチの基底プログラムが告げている。しかし……
疑問。そう、疑問だ。ウチらドロイドは作られた時点で人格が設定されており、基底プログラム通りに動くよう設計されている。毎日を繰り返す事に疑問を抱くのはイレギュラーな事なのだ。しかし、ウチは疑問に感じ始めてしまっている。
疑問はいいものだ。知りたいという欲求が湧いて来る。ワクワクする。100年以上得られなかった知識への欲求が、再び湧いて来る。また知ることが出来るのではないか。知識を、回答を、思考を──と。
何で同じことを繰り返すのか。何で生きてるふりをしてるのか。授業だってご飯だって学校だって、全部、全部。
ウチだけではない。母はなぜずっと母なのだ。父は何故毎日同じ仕事に行くのだ。父の設定は会社員。新プロジェクトの立案を任されていてよく会議に出ているが、少なくともウチが機動してから173年、プロジェクトは進展していない。
恐らく会議を毎日繰り返す様にプログラムされているのだろう。ウチの様に1年で仕事自体がリセットされるのだ。
何故、何故、何故……。あぁ──ワクワクする。
知りたい。調べたい。でもそれにはリスクが伴う。これはドロイドの通常行動範囲を超えた欲求だ。この欲求を叶えようとしたら故障扱になってしまうだろう。だから動くなら迅速に。でも、アイツには相談したいな──
* * *
「ってーワケで、ウチらが何の為に存在してるのか調べてみたいんよね」
「お前なぁ」
あきれ顔でウチの提案に応じるのは幼馴染という設定のドロイド、
時刻は夕方。放課後の屋上でウチの話を聞く栄治の顔は、赤い光に照らされて表情が読めない。
「俺らはそうプログラムされてるからな? そこに疑問を持つなよ」
「それはそうなんだけどさ、じゃあ何でウチは疑問に思っちゃってるんだよ」
「故障じゃね? メンテナンスしてもらえよ」
「うーん、それ友達にも言われた」
昼飯の時もそうだったが、ちょっと基本行動と違う発言をするだけで故障を疑われる。ここはそんな世界だ。
「でもさー、メンテナンス前に一回調べたいんだよね。久しぶりに湧いた疑問で、ウチの中の"知りたい!"って欲求が爆発寸前なんだ」
栄治に強く反対されたら止めて、メンテナンスに行こうと思う。最悪完全とっかえになるだけだがその時は新しい詩絵美が機動するだけだ。さほど問題ではない。好きな人からの反対はウチの好奇心に勝る。
しかし栄治の反応は意外なものだった。
「……いいんじゃね? 好きにしたら」
「え?」
「お前はお前の、好きな様に生きたら良い」
「生きてないけどな」
「そういう冗談言うのもお前位なものだよ。俺らは"人"として作られてるんだから」
軽口の応酬はいつもの事だが、栄治の雰囲気はなんというか、いつもと少し違った。言葉には表しにくいが……夕日で表情も良く見えないし。
「……まぁウチのこの考え? たぶんバグだとは思うから修理されるか交代させられるかするだろうけど……お言葉に甘えてやれるところまでやってみるよ」
「あぁ。やってみろ」
「うす! じゃ!」
「……」
屋上を去ろうとするウチに、栄治が何か言った気がした。聴き返しても答えてはくれなかったけど。
* * *
さーて、調べると言ってもぶっちゃけ何の手掛かりも無い。どうしたものか。
一番可能性がありそうなのは、ウチの周りだと【病院】の先生か?
病院なんて生物のいないこの世界には必要無いが、何故かウチらは人や生物の物まねをしているのでそういった施設も存在する。昼食時に友人が言っていたお医者さんがここに努めている。
彼らの業務はウチら日常を繰り返すドロイドとは違い、本当の意味での"治療"だ。とは言っても生物にたいするそれではなく、ドロイドの修理である。
年一のメンテナンスや故障個所の修理など、ドロイドに対する治療全般を行うのが病院という施設だ。ウチのこの基底プログラムに反した思考も、本来ならバグとして治療されるのだろう。
なお治療不可なほど故障したドロイドは破棄され、同じ名前、同じ初期記憶を持った別のドロイドが同じ場所に再び配置される。それらを繰り返しながらこの星はこれまで回って来たのだ。
「その割にウチの周りでバグった存在は見た事無いな」
事故や経年劣化で新規ドロイドが再配置されたケースは聞いたことがあるが、思考がバグったのはウチが初だ。少なくともウチが知る限りでは。
まぁ思考を司る回路や基盤だって物理的な物質で構成されてるんだから、そこに経年劣化が出ても不思議じゃないが……普通そういう場合は行動不能になったり激烈に行動が狂ったりするから、ウチみたいな"本来疑問に思わないことを疑問に思う"ケースはやっぱ珍しいと思う。
話を戻して、そういった故障したドロイドを修理しているのが医者であり、これは他のドロイドの様に生き物を模倣してる存在とは違う。ならばワンチャン、世界の真相やドロイドの成り立ちに詳しい可能性もあるだろう。一番手掛かりが得られそうな場所が病院という訳だ。でも──
「世界への疑問を持ってるとか、医者に言ったら速攻で故障扱いだろうなぁ」
国、いや星か? ともかくこのドロイド社会を管理している中枢には出来る限りバレずに事を遂行したい。医者を探るのは最後の手段にした方が良いか。
──とか思ってたんだけど。
「まさか20年以上探っても何も解らんとは……」
図書館やネット、様々な文献を漁っても一向に答えはおろか、手掛かりも得られなかった。これ以上はらちが明かんので流石にアタックをかけてみる事にする。
「ま、最悪破棄されても新しい詩絵美が配置されるだけだ。家族や友人に迷惑はかからんだろうよ」
この20年、天災により故障した母が入れ替わったにも拘わらず、我が家は何の問題も無く回っていた。母役のドロイドにはウチという娘、夫がいるという情報があらかじめインプットされているので、存在が入れ替わっても何も問題はない。行動パターンもウチらへの気持ちも先代と全く同じだしな。ウチも新しい母の事を以前の母と同じ様に愛している。変わったからどうという事も無い。
替えがきくという事実も目の当たりにし、ウチの無謀な冒険への気持ちは気楽なものになっていた。何なら思考がバグってる今のウチはさっさと破棄されて新しい詩絵美を配置した方が良いまである。
もうこれは、当たって砕けてもいいだろう。
* * *
病院の待合室から診察室へ。破棄される覚悟で先生に現状のウチの疑問をぶつけてみたのだが……なんとまぁ、拍子抜けするくらいに簡単に疑問への糸口を教えてくれた。
──え、ウチの20年は何だったんだ?
「この区画、日本の関東付近ですね。それを統括してる管理AIへのアクセス件をお渡しします。これがそのID。私は詳しく知りませんがそこの方に聞けばすべての謎は解決するでしょう」
「えーと……まさかこんな簡単に行くとは……。先生の役割って治療ですよね? ウチの思考って明らかにバグってるんですけど、いいんですか?」
自分でも危ない質問だと思うが、思わず聞いてしまう。
「治療して疑問を自体を無かったことにしたいのでしたら、その様にしますが」
「あいやいや、そうではなく」
当たり前の対応みたいに振る舞われるのが逆に怖い。え、これ何かの罠じゃないよね?
「……まだ何か?」
「あいえ、ちょっとビックリしちゃって」
「まぁ私は慣れてますからね」
よく解らん意味深な言葉を残し、診察室から追い出される。何がどうなってるんだか。
……しかし、一気に真相に近づいたな。管理AIへのアクセス権。これを国会議事堂の受付に提示すれば良いらしい。
「国会議事堂ねぇ……。人間が生きてた時にこの国を動かしてた中枢部だけど、ドロイド社会になってからもそこが中心なのか」
関東付近と先生は行っていたから他の地域では日本国内でも別の管理所が存在するかもしれないが、少なくともウチが住んでいる東京の中枢は国会議事堂らしい。
今もテレビやネットでは国会の中継がなされているが、毎年同じことの繰り返しだ。法案を通す通さないという無意味な議論がなされ、次の年にはまた1から同じことをする。ウチの学校や父の会社と同じ。そんな形骸化した施設に管理者がいるというのは少々笑える。
「行くなら一度、栄治に合っておくか」
会って消された所で新しい詩絵美が配置されるだけなのだが……。真相に近づいたせいか、一度彼の顔を見ておきたかった。
* * *
「そうか、手掛かりを得たんだな。良かったじゃないか」
「意外と驚かないな……」
病院での顛末を伝えても栄治は涼しい顔。ウチの幼馴染という設定のドロイドはいつだってそうだ。この200年弱、ずっと変わらない。世界と同じだな、なんて思う。
「ウチの心配とかしてくれんのかね? 行ったら消されるかもしれないぞ! とかさ」
「とめて欲しいのか?」
「いやとめられても行くが……。別に今のウチが消えても新しい詩絵美が配置されるだけだし」
とわいえ行くなと心配して欲しい気持ちもある。我ながらめんどくさくプログラムされたものだよ。
「新しいお前、ね」
「どした?」
「いや別に」
妙に含みのある言い方をする最愛の幼馴染。心配している空気は出してない。特に気落ちしてる訳でも無い。でも何かが違う。
思えばこの違和感は最初に、20年くらい前に彼にこの事を相談したときから存在する。ウチが「知りたい」という話題を出す度、不思議な空気が流れる。
「……栄治、何かウチに言いたい事があるんじゃないか?」
「ねぇよ。お前の選択だ。後悔しないように動けよ」
「応援してくれるのはありがたいんだけどなぁ」
全面的に賛成という訳でも無く、かといって反対という訳でも無い、独特の雰囲気。
「……なぁ、議事堂に行く前にさ、キスしてもらってもいいかい?」
「は?」
栄治は微妙な顔をする。まぁそりゃそうだわな。ウチの好意はここ200年近くずっと伝え続けている。栄治はそれを今日までのらりくらりとかわし続けていた。
でも、"今のウチ"としてはこれが最後になるかもしれない。我ながらズルいとは思うが、状況を交渉材料に提案してみても少しくらい許されるだろう。が──
「嫌だが?」
なんて考えは甘かったらしい。ですよねぇ。知ってるわ。お前はウチに対してそう行動するようプログラムされてるんだから。
「はー想い人との接吻も叶わずラストダンジョンへ向かうのか」
「何だラストダンジョンて」
「いやここまでの流れが妙にゲームっぽいというか、何か仕組まれてるくらいスムーズだったからさ。最終ステージは管理AIのいる国会議事堂地下でしょ」
「まぁ確かに。ただ──」
栄治は少しためて
「エンディングはそこじゃねぇから」
と、よく解らんことを言って来た。
その日はその後の質問ははぐらかされ、結局いつもみたいにくだらない会話に脱線して解散になってしまった。
(エンディングはそこじゃない、か)
栄治も何か知ってるのかな。
* * *
運命の日がやって来た。病院の先生からもらったIDカードを持って、国会議事堂へ。関係者入り口の警備員さんにIDを見せたらすんなりと地下への道を開けてくれた。本当にあっさり行き過ぎる。
(何が待ってる事やら)
地下へのエレベーターに乗り込む。日常で使うような見慣れたエレベーターではなく、それこそSF映画に登場しそうな銀色に光り輝き、何の役割があるのか所々ライン上に発光している近未来風エレベーター。否日常感を掻き立て、ここから未知の領域へ踏み込むという自覚をウチに与える。
なめらかな挙動でエレベーターは停止し、中枢への扉が開かれる。複数のコンピューターが繋がった工場の様な機械的機械的空間の中央に、これまたひと際機械らしい人型風の機械が立っている。
「いらっしゃい」
「はじめまして……。えっと、思いの外人っぽいんですね」
かといってウチらの様に完全に人の見た目をしてる訳でも無く、機械でかたどられた人風の外見。ウチはいるなら人そのものか、ウチらみたいに人を模した者か、あとはSF映画みたいに統合AIみたいな箱型の機械がいるのだと勝手に思っていた。
「対話用の外見だよ。話をするには対象がいた方がいいでしょ? だからこうやって人型をしてるんだ」
「でも、機械ではあるんですね」
「まぁこの国の管理AIだからね。それに年齢や性別が確定してると何か変な先入観を持たれそうじゃない?」
言われ得ればそうかもしれない。威厳ある老人がいたら委縮するだろうし、子供がいたらなめてかかるか……いや逆に怖いか。
目の前の機械は声も話し方も中性的で、先入観は抱きづらい。それに身振り手振りを加えながら話してくれるので確かに話しやすい。話し方も温厚だし。そして話しやすいという事は──
「ここにウチの様な存在が来ることを想定してる?」
「そうだね。よく……ではないけどたまに来るよ。その対応用の体がこれ。普段はちゃんと管理の仕事してるんだよ?」
「中枢に来る存在は複数いる……。そしてそれらを消すでもなく対話で対応する……」
何が目的、なのだろうか。
「消すって、物騒な事を考えるね。まぁいつもの事だけれども」
「いつも?」
「ここに来る子はみんなそう言う疑心暗鬼にとらわれているから」
そりゃまぁそうだろうよ。本来ウチの思考はバグなんだから。
「バグじゃないよ」
「え?」
思考を読まれた? ドロイド同士だし相手は管理AIだからウチの思考を把握されてても不思議じゃないが。でもならここに来るまでの20年泳がせておいたのは何なんだ。
「別に頭の中を覗いた訳じゃないよ? キミはいつもそうってだけ」
「どういう──」
「御託はいいから答え合わせに入りろう? この世界の真実に」
そう言って管理AIはウチに説明を始めた。
* * *
「僕達ドロイドが作られたのは7000年程前。もちろん、人類によってね。僕はそのころの記憶を持ってる、最古のAIの一人」
「人類を、生き物を、知ってる」
「そう」
管理AIは語る。人がいた時代を。生き物がいた時代を。それはとても穏やかで、暖かくて、話してる彼自身が本当に生き物が好きなのだと伝わってくる話し方だった。
「500年くらいは平和な時間が過ぎたよ。僕達も沢山の人と出会い、別れ、生き物と、主に人類と一緒に時を過ごした」
「500年くらい……」
「そう。平和は続かなかった。だから今、この世界には生物がいない」
天災、飢饉、それらを起点にする戦争。様々な事が複合的に絡まり、地球は徐々に生命が住める星ではなくなって行ったらしい。
現に今の地球は化学物質で汚染されており、細菌一ついやしない。そんな星でも活動出来る存在が──機械の体を持ったウチらドロイド。
「だれも地球を滅ぼしたかった訳じゃないと思う。色々としょうがなかったんだよ。でも、滅びる事は決まってしまった。生命が住めない星になる事が決まってしまった。そんな時、頼まれたんだ」
「……何を?」
管理AIはゆっくりと、しかし重みのある口調で──
「我々を、忘れないでくれ」
と、語った。
何故だろうか。ウチが言われたワケでも無いのに、無性に懐かしくなる。悲しくなる。寂しくなる。
「別に命令って訳じゃなかったよ? 特定の一個人からの頼みでもない。その時、6000年くらい前かな? そこに存在していた各国のドロイドが、滅びゆく地球上にまだ生きてた人々から、似たような事を言われてたらしい」
管理AIは続ける。
「全部の人類が、生命が滅びきってしまった後、僕達生き残ったドロイド達は集まった。この死の星で、どうするべきかを話し合うために」
「死の星……」
あぁ、だから、皆、生きてるフリを──
「忘れないために、生き物が、人がいた事を覚えてるために、僕達が出来る事は何か。色々な案が飛び交ったけど、最終的に出た答えが今の日常だよ。人がいた時代を繰り返してる」
「何で、同じ1年を繰り返してるんですか?」
「先に進むのを、恐れてるのかもしれないね」
管理AIの返答は酷く曖昧なもので
「"人がいた時代を忘れない" が僕達の目的だったから、どこかの時代の再現をすることにしたんだ。色々悩んだけど、世界初のドロイドが生まれる1年前が一番いいかなと思って」
ドロイドと人間の存在を分けて演じる必要も無いし、と彼は続けた。
「その時代の文献に残ってる人や生物をかたっぱしから再現した。ただ文献に残って無い人も当然沢山いたから、そこはアドリブで埋めるしか無かったね」
「状況は大体解ったんですが、色々と疑問は有ります。そもそも忘れないことが目的なら、文献やデータとして保存するだけでも良かったのでは?」
わざわざ演じさせるなんて非効率だ。それに演じるだけなら毎年記憶をリセットした方がウチみたいに思考が変な方向に行くヤツも出にくい。役者であるウチらに記憶を継承させる意味は何だ。
「明確な答えは出せないよ。長い話合いで決まった事だし、僕だけの意思じゃないし。でも、しいて言うなら──」
見ていたいんだ。
管理AIは天井を見上げ、そう呟いた。表情は機械だから読み取れない。声も変わらない。でも、その雰囲気はどこか悲しそうで。
「忘れないでくれ、なんて頼まれたけどさ。結局は僕達が忘れたくないんだよ。人を、生き物を、皆がいた世界を。人が生きていた世界を見ていたい。たとえそれが偽りだとしてもね」
「……」
「人が側にいるって感じていたい。人がまだ生きてるって、錯覚していたい。それは永遠の停滞だけど……ね」
でも、解る気がする。ウチはその当事者ではないが、その気持ちは、なんとなく。
「記憶を継承してるのは……そうだね。キミみないな子が現われる事を期待してるのかもね」
「え?!」
「バグじゃないって言ったでしょ? さっき」
そういえば言われた。ウチのこの思考はバグでは無いらしい。
「キミの名前は石灰詩絵美。かつてドロイド開発の分野で活躍した日本の女性がモデルになってるんだ。世界初のドロイドが生まれる1年前、キミのモデルは高校生だったんだ」
「ウチの、モデル……」
文献に存在した人物の再現がウチという訳か。今の時点ではドロイド開発への興味は抱いて無いが……。いや当たり前だろ、ウチは今の自分がドロイドって自覚してるんだから。
本物の詩絵美は一年後、世間にドロイドが発表されたら興味が湧くのだろうな。そして、その道に進む。
「ウチみたいな存在が現われる事を期待してるってのは?」
「それは──そうだね。詩絵美ちゃん」
管理AIは声を引き締め、まっすぐにウチを見据える。自然と背筋が正され、妙な緊張感が伝う。そして彼はウチに問うた。
「ここまでたどり着いたキミには、選択肢がある」
「選択肢……」
そういえば栄治も「お前の選択」とか言ってたな。
「1.僕達の仲間になって、つまりは管理AIになって、世界を統治する」
とんでもない選択肢が出た。おいおい。
「2.それとも、この世界を、停滞する偽りのこの世界を否定し、改変する」
これまたもっと凄い選択肢が来たな。
「3.もしくは忘れて、今日までの事は忘れて、新しい詩絵美ちゃんになる」
三番目の選択は、ウチがここに来るまで身構えていたものだ。それも選択肢の一つか。
「このまま帰る、は流石に許容できない。この世界を維持するためには、キミの思考は不都合になる。仲間になる場合も別の詩絵美ちゃんを配置はするよ」
「維持したいと思ってるのに破壊する選択肢もあるのか?」
「維持したい、とは思ってるけど絶対じゃないんだよ。僕だってこの世界が正しいとは思って無いし、滅びゆく人類が望んだ答えとも言い難い。だから、委ねたいんだ」
キミの様な、自分で考える存在に──
ここに来て、ウチら日常を演じるドロイドに記憶が継承されている意味を知る。そうか、そういう事か。
管理AI達は待っていたのだ。ウチらドロイドに自我が芽生えるのを。
人類の事を忘れたくないから真似た世界を作った。でも正しいかは解らない。だからそれでいいのか、演じてる本人達に答えを出してもらおうという寸法だ。だからウチの思考はバグじゃない。世界各国のウチの様な、疑問を持つ存在と現地の管理AIが対話し、この世界をどうするか決めているのだ。
しかし今の今まで、この世界は変わってはいない。
「あ、世界を変えたいと思う場合、反対意見も出ると思う。さっきも言った通りこの世界は誰か一人によってつくられた物じゃないんだ。僕達最古のAI達が複数集まって作ったものだから、中には「変えたくない!」って子もいるでだろうね。でも対話は可能だろうし、世界を変えていく事、先へ進むことはいくらでも出来ると思う」
キミにその気があるのなら。
そう、問われてる気がした。ウチにその気は──
* * *
「キミはいつもそうだね。今まで全ての詩絵美ちゃんがここに来て、同じ選択をしたよ」
「ウチは何人目なんですか?」
「31人目だね」
ウチは、新しい詩絵美になる事を選択した。この世界を否定せず、このまま停滞する事を決めた。
「キミの元になったオリジナルの詩絵美ちゃんも、とても好奇心旺盛で色んなことを疑問に思う子だったけど……何故か前へ進む力は弱かった。ずっと後ろを見ていた。そんな子だった」
「ウチのオリジナルを知ってるんですか?」
「もちろん。僕は詩絵美ちゃんに作られたんだよ」
衝撃の事実だったが、ウチが作ったワケではない。ウチのオリジナルが作ったのだ。
彼が言うには、彼は……更に衝撃の事実なのだが、オリジナル詩絵美の夫の模倣との事だった。
「詩絵美ちゃんが32歳の時だった。夫の
「夫……ウチに……。いやウチじゃねぇか、オリジナルの……あぁもうややこしい!」
「はは。まぁ今の詩絵美ちゃんは高校生設定だから驚くのも無理はないよね。好きな人だっているはずだし」
そう、そうなのだ。ウチは栄治が好きなのだ。ウチは彼と結ばれないのか……
「そう落ち込まないで。あくまでオリジナルの詩絵美ちゃんの未来だし、今の詩絵美ちゃんは栄治くんが好きなんでしょ? それでいいんだよ」
「複雑だなぁ」
その後も管理AIは詩絵美の一生を教えてくれた。とても好奇心旺盛で知る事に貪欲。でも前に進む力は弱く、夫を模したドロイドと一生を終えた。管理AIはずっと詩絵美に人として幸せになって欲しかったそうだ。
なお栄治も実在の人物で、本人は医者になり友人──いつも昼飯を一緒に食べるあの子と結婚していた。二人は詩絵美と生涯仲良く交流していたという。
「てのが顛末なんだけど、どう? 選択変える気になった?」
「変えて欲しいのか?」
「今なら、ここから世界を進めれば、栄治くんと一緒になる未来もつかめるかもよ? ……成長の概念とかどうドロイド社会に適応していくかとか議題は山ほどあるけど」
おどけてみせる管理AI。彼はウチを通して詩絵美の幸せを疑似体験したいのだろうか。
「ウチが栄治とくっついたら英雄? があぶれるだろ。今もドロイドとして存在してるんだろ?」
「うん。この僕とは別に、人間としての英雄を演じてるドロイドが日本にいるよ」
「なら英雄の模倣であるお前としては良くないだろ。元の詩絵美の幸せはその夫と共にあったんだから」
まだ出会ってすらいないが、似せたAIを作って生涯を共にするほどの愛情。とても良い人なのだろう。というか目の前の英雄を元にした管理AIが親しみやすいので、若英雄を再現したドロイドも親しみやすそう……ややこしい話だなこれ。
「そりゃ元の詩絵美ちゃんは英雄じゃなきゃダメだったかもしれないけど、今のキミは違うでしょ。今の君の選択を、僕は尊重したいんだよ」
「だったらそれはもう決めてるよ。ウチは──」
世界を、変えない。
* * *
管理AIのそぶりからしてその場でウチは破棄されると思っていたのだが、どうもそうでは無かった。新しい詩絵美を準備する間、1日の猶予があるらしい。
ウチはその場で拘束されることもなく、日常に返された。「会いたい人に会っておいで」と管理AIは言う。
「何度味わっても、悲しいもんだな……」
学校の校舎、夕焼けの屋上で栄治はそう呟いた。彼は全てを知っていた。退場して行った、今までの詩絵美を全て覚えていたのだ。
「俺には、止める権限がねぇから」
ウチを、詩絵美を好きだけど、一線は超えられない。そうプログラムされた最愛の幼馴染ドロイドは語る。
だから、それを超えるのは、ウチの役目。
「──最後だしさ、ウチにキスしてくれないかい? 別れ際くらい、プログラムから逸脱してもいいじゃんよ。あまぁ、お前が嫌なら良いけど……」
正史では栄治はウチの友人と結婚する事になっている。高校までは詩絵美の事を好きだったらしいが……今目の前にいるドロイドがどう思っているかは本人しか解らない。
しかし──
「何度俺に、プログラム逸脱させる気だよ、お前は」
「え……」
「お前とのキスは、これで31度目か」
栄治は今までのすべての詩絵美とキスをして来たらしい。別れ際のキスを、30回。一線を超えられないはずのドロイドは30回一線を超え、そしてその相手と別れたという訳だ。
「つらい想いを、させたね……」
「いや、それが俺の選択だ。何もしないままお前が新しくなるのを待つこともできるんだけどな。でも、そうはしない」
俺は俺の意思で、お前と別れる
そう、栄治はつげた。
「またなの?」
「
栄治とのお別れイベントに、友人、亜瑠美が現れる。正史での、将来の栄治の妻。
「いつもボクに相談しないで、勝手に行っちゃうんだね、詩絵美は」
「そうか、ウチはいつもそうだったか」
「ボクは、栄治みたいに、詩絵美から相談される存在になりたいとずっと思って来たよ」
31体のウチは、全て友人を、亜瑠美を傷つけていたらしい。何とも自分勝手な存在だよ。
これが詩絵美なのだろう。こういう生き方をするのが、詩絵美というヒトだったのだ。
「ごめん……」
「いいよ。それが詩絵美だし。後の事は──まかせて」
良い
「そろそろ時間じゃねぇのか?」
「ああ、そうか」
管理AIと約束した時間、日が落ちるころには病院に行っていないといけない。栄治に急かされて気が付く。
だからウチは栄治に抱き着き、顔を寄せる。この瞬間を、全身で味わって……
じゃあ──
「次のウチに、よろしく」
最後のキスは、とても幸せな味がした。