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崩壊(その十九)

 執務室は再び静寂に包まれる。しかし今度のそれは、先程のものよりも段違いに重く、そして実に息苦しいことこの上なかった。


 頬をたれ、呆然自失にその場に立ち尽くすクラハ。依然としてその瞳から涙を流しながら、振り下ろした手を押さえているメルネ。そんな二人のことを、今はただ遠目から見つめることしかできないでいるロックス。


 今、誰しもが口を開くことを憚れるこの状況の最中。真っ先に言葉を発したのは────やはりと言うべきか、椅子に座るグィンであった。


「一週間だ、ウインドア君。君には一週間の謹慎を言い渡す。……茹だったその頭を存分に冷やすといい」


 と、未だ立ち尽くす他にないでいるクラハに対して、酷薄にそう告げるグィン。だがその言葉には彼なりの優しさが確と込められていた。


 果たしてそれが伝わったのか────その結果は、すぐさま示されることになる。


「……」


 無言で立ち尽くすだけだったクラハが、唐突にようやっとその場から動き出す。彼はメルネを避け、ゆっくりと歩き出し、そうしてグィンの目の前にまで向かうと。徐に懐へと手を突っ込み、それを取り出す。


 己が『大翼の不死鳥フェニシオン』に所属することを証明する、冒険者証明書ランカーパス────それを取り出したクラハは。スッと静かに、執務机の上に置いた。


 彼の証明書、そして何よりもグィンの目の前に、自らの意思で提示するという。その彼の行動に堪らず、ロックスは目を見開いた。


 ──はぁ!?お前……ッ!!


 それが一体どういったことを意味しているのか、ロックスは理解し重々承知している。故にだからこそ、彼は信じられなかった。……否、信じる訳にはいかなかった。


 しかし、そんなロックスとは違い、『大翼の不死鳥』を預かるGMギルドマスターのグィンは。クラハの行動をただ静かに受け止め、そして冷静に訊ねた。


「本気、なのかな?これは冗談だとか、一時の気の迷いだとかで。決して済まされないことは……君もよくわかっているよね?」


 グィンの口調は至って冷静で、しかし静かに責め立てるような辛辣さも込められており。そこから中途半端な返しは絶対に許さないという意思が、明確に見て取れる。


 そしてそれがわからないクラハではない。


「はい。僕は今日を以て」


 彼はあくまでも、至って平然とした様子のままに、しっかりとした声色で誤魔化さずに────






「『大翼の不死鳥フェニシオン』から脱退し、冒険者ランカーを辞めます」






 ────そう、グィンに対してはっきりと。少しも躊躇うことなく、告げた。


「…………それが、君の選択という訳なんだね」


 深く押し黙った後、やはり静かにそう呟くグィン。


「逃げる気?」


 直後、クラハに食ってかかるように。非難と批判が綯い交ぜになった声音で叱責するように、だがあくまでも声を荒げることなく、メルネがクラハにそう訊ねた。


「……」


 しかし、その問いかけに対してクラハが何かを答えることはない。だがそれで、たかがそれしきのことで食い下がるメルネではない。


「そうやって、何もかもから逃げて。そうしてラグナのことも貴方は……見捨てる気なの?」


 メルネ自身、こういった物言いはしたくはなかった。けれど、こうでもしなければ。こんな挑発と何ら変わらない物言いを使わなければ、今のクラハから言葉を、その心の奥底に秘めているのだろう本音を引き摺り出すことは叶わないと。メルネはそう判断したのである。


「……」


 が、それでもクラハは口を固く閉ざし、依然として黙り込んだままだった。そんな彼の、意固地な態度を前に。


「答えなさいクラハ=ウインドアッ!この意気地なしッ!!」


 堪え切れなくなったように、メルネは遂に声を荒げた。彼女の言葉が執務室全体を揺らし、空気を震わせた。


 そしてそれが功を奏したのか、またもや押し黙ってしまったクラハの口を、無理矢理に開かせた。


「あなた達がどんなに、どれだけそう言おうがそれはあなた達の勝手だ。……ですが、その勝手を僕にまで押しつけないでください」


 けれど、引き摺り出せたのは。そんな身も蓋もない、碌でもない、ただひたすらの拒絶ことばであり。その瞬間、メルネは堪らず目を見開かせる。


「この……ッ!」


 そして透かさず言葉を続けようとしたが、それを口に出す寸前で飲み込み。


「……そう。だったらもう、勝手にすればいい」


 少しの沈黙を挟んでから、彼女は顔を伏せ腕を抱き、突っ撥ねるように────否、諦めたように。クラハにそう言い、そして彼女は歩き出した。


今の・・貴方なんかを信じた、私が馬鹿だった」


 そしてすれ違いざまに、クラハに吐き捨てるようにそう言い。止まることなくそのまま扉の方にまで歩き、ドアノブを掴んで捻る。


 そうして扉を開いて、メルネは硬直した。


「…………え……?」


 何故ならば、扉を開いたその先には──────────ラグナが立っていたのだから。

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