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崩壊(その十一)

 紆余曲折────どころの話などではなく。修正も修復もままならず、これといった解決の目処も立たない出来事の後。メルネは『大翼の不死鳥フェニシオン』の代表受付嬢として、引き続き受付台カウンターに立っていた。


 その顔には受付嬢としての、文句の言いようがない、素晴らしく完璧な笑顔が浮かんでおり。それを目の当たりにした者全てが彼女の魅力に囚われてしまうことは、もはや言うまでもない。


 ……だが、その殆どは見抜けず、気がつかないことだろう。メルネが浮かべるその笑顔の裏に────莫大な憂鬱が隠れ潜んでいることに。


 他人には知られたくないこの憂鬱を見抜く、鋭い観察眼を持つ数少ない人物の一人────ロックスが今この場にいないことに。なけなしの幸運を辛うじて実感しながらも、メルネは受付嬢としての仕事を果たし。受理を済ませいざ依頼クエストへ赴かんと意気込む一人の冒険者ランカーを。その笑顔で以て確と見送る。


 扉が閉じられ、その背中が見えなくなるその時まで。浮かべる笑顔を決して崩さずにいたメルネ。そうする傍ら、彼女は周囲に視線を巡らせる。


 ──もう、大丈夫かしらね。


 と、心の中で呟いたのも束の間。メルネの笑顔は瞬時に崩れて、裏に隠れ潜んでいたその憂鬱がその顔に転び出た。


「はあ……」


 それと同時に彼女の口から吐き出される、深刻なため息。そうして、彼女はまた心の中で重苦しそうにその名を呟く。


 ──ラグナ……。


 もはや、メルネの頭の中はそれで一杯一杯だった。それ以外に考えられることなど、もう何もなかった。


 ラグナは今、休憩室で休ませている。というか、もう今日のところはラグナを働かせる気はメルネにはない。……あんなことがあった後で、ラグナに容赦なく働けなどと。とてもではないがメルネには言えない。言える訳がない。


 なのである程度休んだら、今日はもう帰ってしまってもいいとラグナには伝えてある。そんなメルネに言葉に対して、どう思い何を考えたのかは定かではないが、ラグナは彼女の胸元にその顔を埋めたまま、ただ小さく頷いてくれた。


 そのことにメルネは安堵する反面────不安になってもいた。果たしてこの行いが間違ったものではないかと、そこはかとない不安に駆られていたのだ。


 それもそうだ。そんな風にメルネが不安に抱かれるのも、至極当然のことだろう。何せ彼女は間違えている。最初から今に至るまで、間違い続けている────少なくとも、彼女自身はそう思っていた。


『男だって、思ってもいいんだよな。俺は……今でも俺は男だって、そう思っても……』


 ……果たして、これで正解だったのだろうか。何も言わず黙ったまま、弱々しく震えていたその華奢な小さい身体を、ただ抱き締める。その行動だけで済ませることが正しかったのだろうか。


 本当ならば、何かしらの言葉をかけるべきだったのではないのか────────そんな終わらない自問自答に、メルネは捕らわれ、そして囚われている。


 わかっている。わかり切っている。こんな自分にラグナを救う資格がないことは、とうに思い知っている。メルネでは、ラグナに救いの手を差し伸べることは、できない。


 だが、それでも。せめて一言、何かしらの言葉は返すべきだったのではなかろうか。救いではなく、支えになってやれば、それで……。


 ──……どうすれば……私は、どうしたら、いいの……?


 諦観と後悔の泥沼にどっぷりと嵌り、浸かり。日に日に精神を磨耗し、疲れてしまったメルネは。受付台カウンターに堪らず突っ伏しそうになっている自分を止め、どうしようもなく心の中でそう呟く。




『留守は任せたよ、メルネ』




「…………」


 その傍らで、ふと頭の中に思い浮かべたその姿、その顔。脳裏で響く、その声。


 メルネ=クリスタ。『大翼の不死鳥フェニシオン』代表受付嬢である彼女は、その立場故においそれと他人ひとに頼らない。……否、頼れない。


 だがそれも絶対という訳ではなく。そんなメルネが頼れる人物は二人程いる。


 一人は『大翼の不死鳥』が誇り、冒険者番付表ランカーランキング第五十位にその名を連ねる冒険隊チーム、『夜明けの陽』の隊長リーダー。そしてメルネの婚約者でもある男────ジョニィ=サンライズ。


 残るもう一人は他の誰でもない、この『大翼の不死鳥』を率い、導く偉大な人物──────────






「────ネ。おーい、メルネ?私の声、聞こえてるのかな?メルネ=クリスタ?」






 ──────────不覚にも物思いに耽り、半ば無意識状態に陥っていたメルネ。だがその呼びかけが、彼女を現実へと引き戻した。


「っえ?あ、な、何?ご、ごめんなさい。私考え事して……て」


 我に返り、慌てて返事するメルネであったが。自分の目の前に立っていたその者を視界に入れた瞬間、固まって。それから信じられないように、彼女は震える声で呟く。


GMマスター……?」


「やっと気づいてくれたね。留守番、ご苦労様」


 未だ信じられないようにしているメルネに、その者────『大翼の不死鳥』のGMギルドマスター、グィン=アルドナテが安堵の声でそう彼女に伝え、彼は言葉を続ける。


「戻るのが遅くなってすまなかったね。ちょっと色々、大変だったというか……ん?」


 が、しかし。その途中でグィンは気づく。メルネの様子が、些かおかしくなったことに。彼女の表情がごく僅かばかりに崩れ、その瞳が若干潤み出していることに。


 ──あれ、私何かしたかな……?


 と、グィンがそう思ったのも束の間のこと。


「……、私……私、は……ふ、ぅぅ、ぅぅぅ……っ」


 ……もはや、今となっては決して使われることはないだろうと思われていた、少なくともグィン自身はそう思っていた、その呼び方。


 それを今使い、言葉を続けようとして。しかしその途中で堪えられなくなったように、今の今まで必死になって心の奥底に無理矢理押し込み、押し隠していたそれが、もう抑えられなくなってしまったように。


 突如、メルネが己が顔をその手で覆ったかと思うと。間も置かずに彼女は、声を押し殺すようにして。あろうことにグィンの目の前で泣き出してしまったのである。


 ──…………ん!?


 予想だにしないこの状況の到来に、人生の経験を長く多く深く、積み重ねた然しものグィンも。その頭の中を真っ白にせざるを得ず、ただただ困惑し混乱することしかできなかった。


 が、それでも。己のすぐ目の前で泣いている、かつての後輩の姿を見て。透かさず、グィンは動いた。


「と、とりあえず話を!一体何があったのか、話を聞こうじゃあないかメルネ!?」


 そうして、受付台カウンターを他の受付嬢に任せて。メルネを連れ、グィンは広間ホールを後にするのだった。











「…………そう、だったんだね。私が留守にしている間、まさかそんなことになっていたとはね……」


大翼の不死鳥フェニシオン』執務室。広間から離れ、どうにか落ち着きを取り戻したメルネによって、事のあらましを聞いて。長い沈黙を挟んだ後、複雑そうに、そして申し訳なさそうにグィンはそう言った。


「はい。私の力が及ばず、すみません……ごめんなさい……」


 と、未だその瞳から涙を流し、項垂れるメルネ。そんな彼女の姿を見て、グィンは和かな微笑を浮かべる。


「メルネが気にすることはないよ。今回の件は私の責任だ」


 それから執務机に肘を突き、手を組み。その口元を隠しながら、グィンが呟く。


「そう、他の誰でもない私の責任。……だから、他の誰でもないこの私が、しっかりとこの責任を取らなければならない……ね」


 彼のその声は、重かった。

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