「やっぱり凄いよねっ!ラグナちゃ……さん!」
ラグナの指先がノブに触れると同時に。その活発で威勢の良い声は、休憩室の扉の向こうから聞こえ、ラグナの耳に届き。今まさにこの扉を開こうとしていたラグナの手を、否応になく止めさせた。
固まるラグナを他所に、扉の向こうから新たな声が立て続けに聞こえてくる。
「シシリー……あんたその話もう八回目よ?まあ私もラグナさんが凄いっていうのは全面的に同意するけども。あとちゃん付けは止めなさいって」
「
「わかった。わかったって。……それにしても、ここ数日だけでますます酷くなったわね。あんたのその、ラグナさんに対する熱意?熱情?……あとちゃん付けは止めな?」
「違う!私のラグナちゃ……さんへの愛が深まったのっ!!」
「「じゃあもうそれでいいわよ。知らないけど」」
……冷静になってよくよく考えてみれば、それは誰にだってわかるようなこと。しかし、ラグナにはわからなかった。焦燥に駆られ、精神的に余裕がなくなっていたラグナには。
そんなラグナが、そのことを見落としてしまうのは。必定のことだったといえよう。
そも、ラグナが休憩室に向かっていたのは。そこに今
何も別に、それはおかしいことではない。むしろ当然だろう。
ラグナよりも一足先に、休憩に入っていた
──…………。
どうすればいいのかわからず、依然扉の前で固まることしかできないでいるラグナ。そんな状態のラグナがすぐ近くに、ましてや扉の外に立っているとは露知らずに。部屋の中の三人────まあ主にシシリーが────は会話を弾ませる。
「やったことのない、初めてばかりの仕事……なのに、それでも文句の一つ言わず!黙々とこなし!粛々とやってのける!そこに痺れます!憧れますぅ!!」
「確かに。私たちが教えたのなんて最初だけで、後は自分でやることやってたわよね。ラグナさん」
「そーそ。こっちの立つ瀬がなくなっちゃって、正直ちょっと焦ったよね」
「でも、それでも完璧って訳じゃないのがグッド!何処か抜けてるっていうか、可愛らしい隙があるっていうか……とにかく!そのおかげで完璧超人特有の近寄り難さもないのがベリィグゥゥッド!」
「……まあ、それに同意したいのは山々なんだけど。なんか、あんたと同レベルみたいなるのが心底嫌だわ……」
「全くね」
その言葉選び自体はともかく、彼女たちの会話は一貫してラグナのことを手放しで褒めちぎるもので。褒めちぎられる当人にしてみれば、それは大変むず痒くなるような話だったが────ラグナの場合はそうではなかった。
──……違う。俺は、そんなんじゃ……。
彼女たちは知らない。知る由もない。今自分たちが凄いと、立派であると褒めちぎっている者が。どうしようもない状況に立ち会い、どうすることもできずに、ただ逃げ出したなどとは。彼女らは夢にも思わないだろう。
「でも本当に凄いと思うわ。急に突然女の子になっちゃって、今までの何もかもが全部変わっちゃって……それでも、逃げ出そうとしなかったんだもの。それどころか
夢にも思わないから、そういった評価をしてくれている訳で。
──俺はんな、上等な人間なんかじゃ……!
それがラグナには、とてもではないが堪えられなかった。
まるでその善意に付け込み、騙しているかのような罪悪感に。苛まれ、押し潰されそうになるラグナを置き去りにして。不意にフィルエットが口を開かせる。
「あら。気がついたらもうこんな時間。ほら二人とも、そろそろ戻るわよ」
「え、あ……本当だ。話に夢中で全然気づかなかった」
「以前までならともかく、仕事上今は私たちが先輩なんだし、せめてこういうところくらいは先輩らしくいなきゃね」
と、口々にそう言って。座っていたのだろう三人が立ち上がる物音がする。それを聞いたラグナは、慌てて扉の前から跳び退いた。
ギィ──それとほぼ同時に開かれる休憩室の扉。直後、フィルエットとクーリネアとシシリーの三人が休憩室から出てくる。
「……ん?」
その時、唐突にシシリーが声を上げた。
「シシリー?どうかしたの?」
そんなシシリーに対して、フィルエットが不審そうな声音でそう訊ねる。訊ねられた彼女が、自分でも半ば信じられないように答える。
「ついさっきまで、今ここにラグナさんがいた、ような気がして……」
「…………」
「ちょ、ちょっと。無言で引くのは止めてよ」
「流石に気の所為でしょあんたの」
という、会話を繰り広げながら。三人はこの場から離れ、遅れて休憩室の扉が独りでに、自然と閉まっていく。
そうして完全に閉まり────咄嗟に隠れてしまったラグナは、三人の姿が完全に見えなくなったことを確認し、ほっと安堵の息を吐いた。
──つい、隠れちまった。
しかし、これでラグナが望んでいた通りとなった。今休憩室には誰もいない。
……が、ラグナはその場から動けないでいた。今し方の、休憩室での三人の会話を思い出してしまっていて。
「…………」
このまま休憩室に入るのには、ラグナの気が憚られてしまう。けれど、だからといっていつまでもここに突っ立っている訳にもいかない。
これからどうすればいいのか、次に自分はどこへ行けば────否、
「……ぅ」
と、その時。ぶるりとラグナは身体を震わせた。少し遅れて、とある欲求が込み上げてくる。
──……そういや、朝に一回行ったきりだったっけか……。
そのことを思い出し、途端にラグナは意識してしまう。意識せざるを得なくなってしまう。
ある意味では恥ずべき、その生理的欲求は。あっという間に膨らみ、張り詰め。そして否応にもラグナに決壊の危機感を募らせる。
──これちょっと、ヤバい……っ。
こうなるまで、限界ギリギリになるまで。我慢しようなどとは決して思っていた訳ではなく。
しかし、そうする前に色々と事情が込み入り、拗れに拗れてしまい。結局こうして思い出す今の今まで、ラグナは行きそびれてしまっていたのだ。
どこに?────無論、トイレに。
「ん、ん……!」
致し方なかったとはいえ、忘れていたその
どうやら自分が思っているよりも、余力は残されていないらしい。少しでも気を抜いてしまおうものなら、その瞬間に────想像もしたくない最悪の未来を思わず想像してしまい、それを否定するようにラグナは心の中で咄嗟に吐き捨てる。
──これだから、女の身体ってのは……っ!
「ひぅ」
しかしその直後、ぞくり、と。そんな悪寒がラグナの背筋を駆け抜け。
それに続くようにして、押し留める為に込めている力が、徐々に抜け落ちていくような。そんな危うげな感覚を覚えて、堪らずラグナの顔から血の気が引き、青褪めてしまう。
「我慢我慢我慢がま、ん……んぁ、ぅ……くっ!」
と、