本当のところはわかっていた。
「僕はもうあなたの後輩じゃない」
結局はそうであるとわかっていた。
「あなたはもう僕の先輩じゃない」
どうやっても最後には其処に行き着くのだと、わかっていた。
「僕は
迎える結末がどういうものなのか。そんなことは、とっくのとうに。もう、わかっていた。
「たかが受付嬢でしかないあなたに、僕が心配される筋合いなんてありません」
わかって、わかっていて。わかり切っていて。
けれど、それでも。どうしても。
「……のか」
どうしたって────
「受付嬢じゃ、駄目なのか。先輩じゃなきゃ不安になるのも心配すんのも死ぬなって思うのも……駄目なのか」
────どうにも、諦め切れなくて。もう諦めてしまえばそれでいいのに。なのに、諦めることができなくて。
だからそう言って。気がついた時にはそう言っていて、訊いてしまっていた。
わかり切っているというのに。行き着く最後の結末が、それだけしかないということは。変わることなんて、決して有り得ないということは。
「少なくとも、僕は望んでもいなければ求めてもいない」
そうして、わかり切っていて、知り尽くしていた。行き着く最後の結末に直面し。瞬間、ラグナの頭の中は真っ白になった。
『さようなら、ラグナさん』
『あなたなんて、消えてしまえばいい』
『あなたは違う』
真っ白になった頭の中には、それらの言葉が連続して浮かび上がって。反響しながら、反芻していく。
そして気がついた時には────
「……じゃあもう勝手にしろ。この馬鹿」
────そう、ラグナは口に出してしまっていた。
一度吐いた唾は、もう飲めないように。そう言った事実は、覆しようのない現実となって。そのことをラグナへと突きつけ、痛感させてくる。
動揺。混乱。焦燥。後悔────真っ白だった頭の中は、そういった
しかし、そんな中でもただ一つだけ、わかっていることはあった。
それは────今すぐにでも、クラハの前から消えてしまいたいという、堪えられない気持ち。抑えられない欲求。どうしようもない衝動だった。
否、消えてしまいたいというのは言葉の綾だ。消えてしまいたいのではなく、本当は────
──ッ……!
────それを誤魔化すように。ラグナはクラハから顔を逸らし、彼に背中を向けた。
一歩、また一歩と。
最初こそ、ゆっくりと歩こうと思った。ほんの僅か、微かに残ったなけなしの。この
それで、頭の片隅にでもいいから。どんなに些細なこととしてでもいいから、少しくらいは憶えていてほしくて。
でも、そんな浅はかな考えとは。浅ましい思いとは裏腹に、自分の足はまるで言うことを聞かず。勝手にどんどん、早くなり────終いには、ラグナは駆け出した。
駆け出して、ラグナは
「はあ、は、はぁ……ん、ぁ……クソ、畜生……っ」
一分一秒たりとも、もう広間にはいられず。『
即座に扉を閉め────と、そこで体力を使い切ってしまったラグナは。今し方閉じたばかりの扉に、その小さな背中を預け、もたれかかった。
息を切らし、肩を上下させながら。口汚い呟きを吐露し、ラグナは両足に力をなんとか込める。かなりキツかったが、そうでもしないと両足は崩れ、腰を落とし床に尻をつけてしまう。そこからまた立ち上がるのも、苦労を要することになるだろう。
時間にして約一分。以前までならいざ知らず、いい加減女の身体にも慣れたこともあって、乱れていたラグナの呼吸が次第に落ち着いていく。
規則正しい呼吸を繰り返す内に、真っ白で滅茶苦茶だったラグナの頭の中にも、やがて余裕が出てきて。徐々に思考力も取り戻していった。
──そういや、俺まだ仕事中じゃねえか……。
そのおかげでラグナはそのことを思い出したのだが、流石に広間に戻る訳にもいかない。
どうしたものかと考えるが、それで都合良く解決案など浮かぶはずもなく。
──…………とりあえず、ここから離れるか……
戻れはしないが、かと言っていつまでもここに突っ立っているのもアレだと思い。先程使い果たした体力もある程度には回復した為、ラグナは一旦扉から離れようと歩き出す。
「っと、ぁう……っ!」
が、一歩を踏み出してすぐに。ラグナは前のめりに体勢を崩してしまい、そのまま転びそうになる。既のところでなんとか踏ん張り、どうにかこうにか転ばずには済んだが。
体勢の安定を取り戻し、堪らずほっと一息を吐くラグナ。それから自分が突如体勢を崩すことになった、眼下の原因を忌々しげに睨めつける。
別に今に始まったことではないし、今さら文句を垂れるつもりはない。
……ないが、それでもラグナはつくづくこう思う。こう思わざるを得ない。
果たして、こんな脂肪の塊の何処がそんなにも良いのだろうか────と。
男の時から特に関心は持っていなかったし、女になってから今に至るまで、疎ましいことこの上ないという以外の感想もない。
第一、どうしてただ歩くだけで、こんなにも重心を取られぬようわざわざ気を張って集中しなければならないのか。おかげさまでこうして歩くだけでも、結構疲れてきてしまうのだ。
だが、それなら
その所為で何度段差を踏み外し、何度階段から転げ落ちそうになったことか。そしてその度に肝を冷やしたのは言うまでもない。
「……はあ」
自分の身体だというのに、こうもいいように振り回されていることを改めて自覚して。ラグナは堪らず嘆息するのだった。
──駄目だ駄目だこんなことばっか考えてたら。しっかりしろ、俺。ちゃんとしろ、ラグナ=アルティ=ブレイズ。
未だ胸中に痞えるものを残しながらも、自らを鼓舞し。ラグナは気を取り直してその場から再び歩き出す。転ばない為に、
そうして廊下を歩くこと数分。ラグナは目指していたその場所、休憩室の扉の前にまで辿り着いた。
「……着いちまった」
数秒の無言を経てから、何処か後悔を含ませながらラグナが独り呟く。呟いて、そして躊躇った。
果たして、この扉を開いてしまっても良いのだろうか────と。こうまでして、自分は
「……っ」
躊躇って、だがそれを振り払うかのように。ぶんぶんと、ラグナは頭を左右に振るう。
──もう、全部手遅れだろ。全部、全部……!
と、心の中で。哀切に喘いで苦しげに呟きながら、ラグナは腕を振り上げ。扉を開く為にノブへと手を伸ばす──────────
「やっぱり凄いよねっ!ラグナちゃ……さん!」
──────────そしてラグナの指先が触れたと同時に、扉の向こうからその声は聞こえた。