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崩壊(その五)

 第一に、謝罪の言葉だろうと。第二に、容認の言葉だろうと。その場にいる誰もが、皆そうだろうと思っていた。考えていた。


 ごめんなさいか、それともすみませんか。わかりましたか、それともそうしますか。


 そのどちらにせよ、きっとこのようなことをクラハはラグナに言うのだろう、と。『大翼の不死鳥フェニシオン』の|冒険者たちは漠然とそう思い、考えた。


 確かに、彼ら彼女らは正しい。彼ら彼女らは間違えてなどいない。何故ならば、事実その通りなのだから。


 全員が今まで見てきた、クラハ=ウインドアという人間は。


 優男然として、礼儀正しく。基本的には人当たりが良く、特に自身の先輩であるラグナ=アルティ=ブレイズに対して、彼が無礼を働くことは決して、絶対に有り得ない。


 皆が皆、クラハがそういった人間であると認識していた。彼は根っこからどうしようもない善性の塊のような人間である、と。誰もが皆そう信じ、考え、思ったのである。


 そこに関して、間違いは何もない。……ただ、一つ彼ら彼女らに対して指摘するのであれば。






 






 つまるところ、メルネとロックスの二人を除き、『大翼の不死鳥』の冒険者たちは事態を把握していなかった。しかし、当人のクラハが波風を立てることもなく。またラグナも進んでこの事態を大事おおごとにしようとはしなかった為、それも無理からぬことではあるのだろうが。


 まあそれはさておくとして。今のクラハに対して、誰も彼もが見識も理解も深めようとはせず、無関心なままに。今初めて目の当たりにした彼を、ただ見て、ただ眺め。


 クラハであったならこう言うのだろう。クラハであればそう言うのだろう────彼ら彼女らはそんな風に思うだけで、彼ら彼女らはそれ以上考えることもない。


 それ故に、思考を停止し放棄した彼ら彼女らにとって──────────






「僕はもうあなたの後輩じゃない」






 ──────────クラハのその言葉は、まさに寝耳に水だった。


 瞬間、周囲がどよめく。皆がざわつき、瞬く間に『大翼の不死鳥フェニシオン』の広間ホール全体が騒がしくなる。


 人々にはまず衝撃と驚愕が駆け抜け、各々の動揺と困惑を呼び起こし、次第に全員が悲哀と義憤を抱き始める。


 まさにその景色、その光景は。さなが目紛めまぐるしい人の感情で吹き荒ぶ、大嵐のようだった。


 そんな、混沌の坩堝と化す一歩手前の最中にて。クラハは気にすることなく平然と、言葉を続ける。


「あなたはもう僕の先輩じゃない」


 もはや正気の沙汰とは思えなかった。誰よりも生き急ぎ、そして誰よりも死に急いでいるとしか。今や誰もがそうとしか、思える訳がなかった。


 でなければ、こんなことを言うはずがない。クラハが、そんなことを。他の誰でもないラグナ相手に、言える訳がないのである。


 ……だがしかし、それも今のクラハには全く以て当てはまらない。


 故にだからこそ、今までとは違う今のクラハは。


「僕は冒険者ランカーだ。あなたは受付嬢だ。……いい加減、その事実を理解してください。その現実を受け止めてくださいよ、ラグナさん」


 そんなことを、ラグナに対して言えた。


「たかが受付嬢でしかないあなたに、僕が心配される筋合いなんてありません」


 平気な顔で、容易に吐き捨てられた。


「────」


 耳を疑わざるを得ないクラハの言葉により。ラグナは瞳を見開かせ、愕然とした表情を浮かべ。少し遅れて、クラハの服の裾から手を離し、だらんと力なく垂れ下げさせる。それから、徐々にその顔を俯かせていった。


 少なくとも、『大翼の不死鳥』に所属する熟練ベテランの冒険者にとっては。そうなることは火を見るより明らかで、想像に難くないことだった。


「………………」


 一瞬即発────今し方騒ついていた『大翼の不死鳥』の広間だったが、それがまるで嘘だったかのように静まり返る。


 今この場にいる全員が全員、その口を閉じ、押し黙っていた。


 静かに怒りを燃やす者がいれば、純粋に殺気立つ者もいる。そして皆それを、ただ一点。ただの一人に対して、向けている。


 それが一体誰なのかは、答えるまでもないだろう。


「……のか」


 一呼吸するのにも気が憚られてしまうような、重圧の沈黙。それを真っ先に破って口を開いたのは、ラグナであった。


 俯いたままに、ラグナが続ける。


「受付嬢じゃ、駄目なのか。先輩じゃなきゃ不安になるのも心配すんのも死ぬなって思うのも……駄目なのか」


 間違いなく、それは誰もが今初めて耳にするラグナの声音だった。泡沫うたかたのように、すぐにでも消えてしまいそうな。茫然自失とした、そんな声音だったのだ。


 その声音を、誰よりも一番近くで聴いて。しかし、それでも顔色一つ変えることなく、クラハは言う。


「少なくとも、僕は望んでもいなければ求めてもいない」


 そしてその一言が──────────











「……じゃあもう勝手にしろ。この馬鹿」











 ──────────遂についとなった。

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