この場の空気が瞬く間に凍りつくのは。当然であり必然で。疑問の余地など持ちようがないまでの、まさに自然なことだった。
メルネとロックスの二人も流石に言葉を失い、絶句し何も言えないでいる最中。ただ一人、ラグナだけが。
「…………ぇ、あ……ク、クラハ……?」
と、数秒遅れて、呆然と。どうしようもなく、震えて止まらないその声を。振り絞り、引き絞り、そして力なく漏らした。
そんなラグナに対して、クラハは────
「……これ以上、僕から言うことは何もありません」
────依然浮かべているその無表情を、やはり一切崩すことなく、平然と。淡々と冷酷にもそう告げるのだった。
「では、僕は失礼します」
透かさず、間髪を入れずにクラハが言葉を続けて。言い終えるや否や、彼はラグナに背を向け、この場から去る為に歩き出そうとする。
そんなクラハの言動と行動を目の当たりにし、不覚にも衝撃と驚愕に打たれ、一時的に思考を止めてしまっていたロックスであったが。ラグナのことを、ラグナの気持ちの全てを蔑ろにした、あまりにも惨いその態度に。
頭から冷水をかけられたようにロックスは我に返り、クラハを呼び止めようと叫ぶ────その直前。
「っま、待て!待って、くれ……っ!」
真っ先に、ラグナが。今にも張り裂けそうな、切実な声でクラハを呼び止め。そして咄嗟に、彼の服の裾を掴んでいた。
「……」
無視するには気が憚られたのか、それとも流石にそうする訳にはいかないと思ったのか。ラグナに呼び止められ、服の裾を掴まれたクラハは、その顔をラグナへと振り向かせる。
一瞬の沈黙。不安げにクラハの顔を見上げるラグナが、やがて恐る恐るその口を開かせた。
「義理、とか……道理とかじゃあ、なくて。俺はただ、お前が心配で……だから、その」
しどろもどろに紡がれるその言葉に、裏表などなく。それは何よりも、ラグナがクラハのことを親身になって案じていることの証明となっていた。そもそも、ラグナが嘘を吐こうなどとは誰も思わないのだが。
そんなラグナの言葉を、クラハは何も言わず黙った聞いている。もっとも相変わらずの無表情の所為で、果たして彼がどんな気持ちでラグナの言葉を聞いているのか。皆目見当もつかないのが、ロックスにそこはかとない不安と危惧を覚えさせはする。
『あなたの言葉を聞く道理も義理も、今や僕にはない』
……あんな発言をした後なのだから、殊更に。
下手に手出しも口出しもできないロックスが見守る最中、ラグナが。裾を掴んだまま、ゆっくりとクラハに言い聞かせ始めた。
「死ぬ、かもしんないんだろ?一人で行ったら死んじまうかもしれないんだろ?……俺はお前に死んでほしくないから、だから……」
そう言うラグナの顔はクラハに対しての心配で満ち溢れていて。そしてそれは当のクラハにも────否、当人たるクラハであるからこそ、他の誰よりも一番わかっていたはずである。
だと、いうのに──────────
「僕が死のうが生きようが、あなたには関係のないことでしょう」
──────────どうして、この男はこうもラグナの気持ちを踏み躙ることができるのだろう。
「……は……?ざ、ざっけんなっ!」
このどうしようもないクラハの言葉に対しては、流石にラグナも憤らずにはいられなかったらしい。先程までの、消え入りそうな声は何処へやら。堪らず叱咤するかのように、ラグナはクラハに叫ぶ。
「そんな訳ねえだろ!お前が死のうがどうなろうがどうでもいいって、俺がそんなこと思う訳ねえだろうがッ!だ、大体ロックスと一緒に
それは、まさに決定的な瞬間だった。
「…………」
『
変化、とは言ったが。決して大それたものではない。ほんの僅かな、本当に些細で小さな変化。
けれど確かに、その時。その瞬間、クラハの無表情から感情らしい感情が、不意に滲み出たのである。
それは、鬱屈とした苦悶であった。
「……クラハ?」
無論、クラハのそれに気づかないラグナではなく。困惑と動揺を綯い交ぜにした声音で訊ねるように名前を呼んだ。
「……僕の為……ですか。
すると数秒の沈黙を経て、クラハは口を開いた。その声には、今までとは明らかに違う、感情らしい彼の感情が込められていた。
「そうやって、あなたは。あなたという人は、使う。また使う。
「何故ですか。どうしてですか。とうに選択は済ませたそれなのに、あなたは」
「ク、クラハ、ちょ、ま」
「未だに、なんで。なんで、なんで」
「ま、待って」
ラグナの呼びかけは届かない。届かないままに、まるで壊れた機械人形のように言葉を垂れ流すクラハ。
──……っ。
そんな彼と相対し続けるラグナだったが、やがてその表情は固く強張り、口元は
「……クラハッ!!」
────とうとう堪え切れなくなり、遂にそう叫んでしまった。
「っ、…………っ」
それには流石のクラハも反応せざるを得なかったようで、一瞬にして彼の言葉は止まり、その口が静止する。
気がつけば、『
所謂、野次馬根性というのもあるのだろうが。しかし、皆が皆二人の顛末を案じていることもまた事実である。決して部外者が口を挟むべきではない、ラグナとクラハの問題であるが故に。
『大翼の不死鳥』中の視線を注がれる最中、ラグナに心配そうな顔で不安げに見つめられるその最中で。
一身に注目を集めながら、再び押し黙っていたクラハは。ゆっくりと、その口を再び開かせた。