「ちょ、ちょっと……その、いいか……?」
それは今か今か、まだなのかと。ロックスが待ち望み、乞い願っていた声だった。
……まあ、そんな風に自信喪失気味に。弱々しく儚げに震えていなかったのなら、言うことなしだったのだが。ともかく、今はこれで良しとしよう。
ロックスは賭けに勝った。このような言い方は少しアレだが、こうして彼の目論見は無事成功したという訳である。
だが、ロックスが世話を焼けるのはここまで。先程既に言った通り、後はもうラグナに任せる他にない。
というより、やはりラグナしかいない。他の誰が何と言おうと。こればかりは、他の誰でもないラグナの役割で。
そして果たすべき、ラグナの役目なのだ。
──まあ、それはこの意固地なわからず屋にも言えることなんだが……この際、それは触れないことにしておくぜっと。
全てを託す思いで、しかし口調と声音は至って普段通りに。ロックスはこちらに話しかけてきたラグナに訊ねる。
「ん?急にどうした、ラグナ?」
「……」
そんなロックスとは対照的に、クラハは口を閉ざし黙ったまま。だがその顔自体はラグナへと向けている。……もっとも、最初から今に至るまで浮かべているその無表情は、ラグナ相手だろうと少しも揺らがず僅かにも微動だにせず、一切の変化がないのだが。
──お前なぁ……。
まだ不機嫌そうな仏頂面の方が数倍マシなその無表情に対して、個人的にクラハに茶々を入れたくなるロックスであったが。彼はそんな自分を一旦冷静になれと律し、落ち着かせる。
先程も言った通り、この二人に対して自分がこれ以上世話を焼くのは、些か野暮というものなのだから。
「いや、ロックスには用とか別にないんだけど……」
「はっはっは。そいつは酷えな。でも笑って許そう。何故なら俺は心が広いからな」
ラグナからそう聞けて、内心安心するロックス。元より、彼はラグナにはそういう言葉を求めていた。
「そんで、その言い方だとクラハには用があるってことだよな。ラグナ?」
「それは……そうなん、だけど」
ロックスにそう言われ、ラグナは気まずそうに。その視線を周囲に泳がせ、尻込みするような声音でしどろもどろに呟く。
……ロックスとて、そこまで鈍感な男ではない。ラグナがこうしてそこに立つ為に、その為だけに一体どれ程の勇気を振り絞ったのか。それくらいのことは推して量らずとも見てわかる。
だというのに────────
「用があるのであれば、手短にお願いします」
────────何故にクラハは、そんな健気なラグナに対して。執拗なまでに依然として冷静に、何処までも果てしなく冷徹な声を出せるのだろうか。
「っ……」
案の定、血の気の通わない冷ややかなクラハの声に。ラグナが怖気づき、その華奢な身体を怯え竦ませてしまう。
クラハとて、わかっていたはずだ。わからなかったはずがない。自分がそんな声を、そんな風にかければ。ラグナがそうなってしまうことを。
態度を取り繕おうとはせず、ありのままに接するのはある意味清廉潔白なクラハらしいと言えばクラハらしい。けれど時と場合というのもある。
そしてそれは間違いなく、今ではない。……それも、わかっているだろうに。
──本当にお前な……!
思わずその無表情に一発、キツい一撃を見舞いたくなったロックスであるが。しかし、ラグナの為と堪える。
そうしてロックスが固唾を呑んで、事の成り行きを見届けようとしている最中。一旦は黙り込んでしまったラグナは、そこで深呼吸を挟み。
「……あの、な。クラハ」
意を決したように、その口を開かせた。
「
そして顔も目も逸らすことなく、クラハにそう言った。その声はもはや弱々しく震えてなどおらず、気高く強い意志を携えた────端的に言ってしまえば、ラグナらしい声に変わっていた。
「…………」
だが対するクラハは、未だに無表情であることを貫いていた。ラグナの言葉もその声音も、彼の心を揺るがすには至らなかったという訳らしい。
──……参った、な。
その現実を目の当たりにしたロックスは、雲行きが怪しくなり始めたことを自ずと察する。
しかし、もう遅い。賽は既に投げられ、後はその行末をただ黙って、見届ける他にない。
そしてたとえどのような結果になろうとも、ロックスはそれを受け入れることしか、もはやできないのである。
──クラハ。頼むから、
と、心の中で祈るように呟くロックス。けれども、この時彼は不覚にも失念してしまっていた。或いは、
どちらにせよ、決して短くはない
嫌で嫌で、最悪であれば最悪である程に。そういった予感は的中するのだ、と。
「……ラグナさん」
返事を待つラグナに、クラハは平然と答える。
「あなたの言葉を聞く道理も義理も、今や僕にはない」
最初から今に至るまで浮かべるその無表情を一切崩さずに、彼はラグナにそう言い切った。