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第22話 レッツメイクアマアマブレッド ②

 こんにちは。私はエミリア・ベーカー。見習い調術師です。


 なんとなく、世界の風向きが変わるのを予感しました。


 初心者向けのはずの平和な探索地にて、何故か唐突な大ピンチです。

「デカすぎません……?」

 頭上で、巨大な、大きすぎる、流石にデカすぎんだろな花実竜が、翼を広げ涎を垂らして大口を開けています。なんて、ふざけていられるのも今のうち?

「わ、私達が捏ねられてパンにされてしまいます?」

 地面に降り立ち近づいてきたその鋭い爪でさえ、我々の顔くらいの大きさがあります。

 ──食物連鎖の最上位の者の風格があります。

 それなのに、その背に咲く花の甘い蜜の香りを吸い込むと、捕食される側のはずの私たちの食欲がそそられて頭の中がぼんやりとしてきます。うっかりすると、魅了混乱状態にされてしまうのです。

「エっグいこと言ぅ! 食われんのってどんくらい苦しくて痛いんかな?」

 魅了混乱状態にならずとも元からおかしい言動の人が横で浮き足立っています。

「ひっ!」

 興奮してる場合ですかと突っ込もうとしたところで、花実竜に巻きついていた蔦が伸びてきて、顔に絡みつかれて蜜の香りを肺いっぱいに吸い込んでしまいます。

「良い匂い……蜂蜜バターパン……」

「エマっち!? 俺が代わりてえ!」

 ジャスくんが器用に蔦だけを剣で切ります。そんな風に刃が眼前に迫っても危機感が湧いてこない。

 ぐいと腕を引かれて後ろに下がります。

「混乱治し持ってきてる!?」

 間一髪、一歩前の地面に突き当たった爪が深く深く土を抉ります。

「いや! 勝手に漁るなって怒られんのもアリだな!?」

 鞄からジャスくんが取り出した蜜砂糖の金平糖を舐めてようやく意識がはっきりとしてきました。

「…………あ」

 これはまずい。ようやく、本当にまずい、と直感的に、本能的に、理解できます。

「どうするこれ? この前のイフリートドラゴンよりつよつよなんだけど?」

「そ、そんなに強いんですか!?」

 グリグリと動いていた爪が獲物を逃したのを理解し地面から抜けていきます。全力ダッシュで可能な限り離れます!

「ヌシはやべえよ。クリア後の隠しボスレベル的な? 上位ランクの冒険者複数でマルチで倒す系」

「に、逃げましょう!」

 ちょっと何を言ってるのか分かんないですけど、とにかく大変な事態になっていることは理解できました。必死で地面を蹴り、足をこれでもかと速く前に出します。

「しかし回り込まれてしまって逃げられないのがガチイベントボス戦の定説」

 ぶわりと翼をはためかせて空に舞い、その通り先回りをして退路を塞いできました。

「撤退! 撤退です! 何がなんでも!」

 再び進行方向を変えて追いかけてくる竜から逃げ回ります。鞄から転移魔法の魔道具『帰巣の風車』を取り出し発動させますが、うんともすんともしません。

「な、なな、なんで!?」

「こいつらヌシって結界張って転移魔法の穴を塞ぐってか、ま、獲物が逃げらんないようにすんの」

「ひいいぃっ!!」

 吠え声を上げた花実竜が長い首を下げ、私達を飲み込もうと大口を開けて牙を剥き出しにします。

「流石にこれは俺介入して良きよな?」

「はい! はい! 当たり前です! 今こそ戦闘狂の出番です!」

「あいよ! ザク斬り!」

 間一髪でジャスくんの鋭い剣が花実竜の口先を切り落とし、花実竜が悲鳴をあげて悶え苦しむ間にまた必死で走って距離を取ります。

「……なんでこんなとこにヌシ居んだろ? 最近やっぱこの辺おかしくね?」

 岩陰に隠れて私の息が上がる中、ジャスくんは何かぶつぶつと言って考えています。

「これ、城壁超えて市街地行ったらやっべぇな。地下迷宮境界崩壊災害の二の舞じゃん」

「ち、地下迷宮……?」

「え、エマっち知らんの? って、説明する暇ナッシング!」

 しかし隠れていた私達に気がついた花実竜がギョロリと目を動かし再び翼を開きます。

 心臓が飛び出そうなほど恐ろしく、しかしそんな時に妙に冷静な対処法が脳裏に浮かびました。先程の戦闘を思い出し、鞄から杖を取り出します。

「動きを止めます! 泡石の杖、いち、にの、さんっ!」

 訓練通りに杖を振ると、巨大な泡が花実竜を包み込み、一時的に動きを止めることが出来ました。

「芯から凍てつけ! 蒼玉魔石! です!」

 そこに冷気の魔法をかけて、巨大な氷に竜を閉じ込めます。

「ナイス!」

「日頃からパンの冷凍保存のために使い慣れてて良かった!」

 練習の成果が出ました。こういう非常時にこそ日頃の積み重ねが出るものです。ジーン先生の言う通り、戦闘訓練はもっと積んでおいて損はなさそう。

「……エマっち、まだ!」

 しかし、氷がガタガタと揺らぎだし、長くは保たないと直感します。

「そこ! 削ぎ斬り!」

 花実竜が氷を破って出てきたところで、ジャスくんが剣を振るいその翼を切りつけます。

 さすが日頃から本物の戦闘訓練を受けている人は違います。

「串刺し!」

 続いてその目を狙って剣を突き立てます。

 飛行能力を失い、視界が半分になった花実竜は、地面で砂埃を上げてのたうちまわります。これで少しはこちらの体勢を整えられるかと思いきや。

 ──ぐらり、視界が揺れます。

 ぞわりと長い竜の尾が巨大な鞭のように私の眼前に迫ってきていました。

「……ヘイ! 俺鞭大好き!」

 反射的に目を瞑った瞬間、気がついた時にはジャスくんが弾き飛ばされていました。

「とあっ! ぐっ!」

「ジャスくん!?」

「うぁ」

 少し離れたところで背からまっすぐ落ちたジャスくんが咳き込み、血を流しています。

「大変! どうしましょう!? ……青ポーション! これ、これ食べてください! 体力回復のデカデカナン!」

 慌てて薬とパンをジャスくんの口の中に放り投げます。咀嚼が終わるとジャスくんはすぐにむくりと立ち上がり回復。良かった。これぞ調術師の力。

「ナイス鞭! 良いねえ燃えてきた! 堪らん!」

「変態!? どうしましょう!?」

 恍惚としたジャスくんなどお構いなしに(当然ですが)、花実竜は目に刺さったままの剣をどうにか抜こうと暴れています。

「とりま距離取り!」

 目を潰したことにより竜の死角となった左側の岩陰に再び隠れ、ぐるぐると頭を捻ります。

「げ、剣が。しゃなし、魔道具投げ係俺に交代ね」

 どうやら剣が手元にないのは想定外のようで、ジャスくんから作戦切り替えを提案されます。

「エマっち、何属性の魔法がまだマシに使える?」

 しかし。

「……何も」

「は!?」

「私、実は魔法全く使えません!」

「嘘!? 調術師がそんなことある!?」

「調術は特殊な魔道具を使ってやってるんです!」

 ジャスくんにさらなる想定外を突きつけます。実は苦手どころかどの属性の魔法も全く使えないことを、こんなところで告白する羽目になりました。

「なんで!?」

「そ、それは! 生まれつき体に溜め込める魔力が少ない人、ない人だってたまに居るでしょ!」

「はぁ!? ガチの穢れた血!?」

「ちょっと!! ド直球の差別用語!!」

「あ」

「……私達、お話合いが必要そうですね?」

「違うって! 動揺して親父の、魔法貴族社会のクソ前時代価値観が! クッソ、大嫌いなもんに限っていざって時出てくるもんだな!?」

「え!? ジャスくん!?」

「って、言ってる場合じゃなし! とりま戦闘!」

 色々と補足をしたり突っ込みたいところが満載でしたが、暴れ回る花実竜が辺りをぐるぐると走りだし、地面が揺れてまた体勢が崩れます。

「ジャスくんが魔法使ってください! 炎魔法、お得意なんでしょ!? 花実竜の弱点なんです! 今こそその縛りプレイやめる時ですよ!」

 万一の武器の破損くらいはあろうかとジャスくんの予備装備として持ってきた、攻撃魔法用のシンプルな短剣を鞄から取り出してジャスくんに押し付けます。しかし。

「クッソ! 縛りプレイ云々抜きに使いたくねえ! 大嫌いな親父そっくりの炎魔法なんて大嫌いなんだよ!!」

「そんな反抗期の子供みたいな理由で使ってなかったの!? 言ってる場合じゃないでしょう!?」

「そも詠唱とか真面目キモくて引かん!?」

「真面目なことは気持ち悪くなんてありませんよ! 真面目な人の方がかっこいいに決まってるでしょ!」

 拒絶していたジャスくんでしたが、ついに花実竜の後ろ脚が岩を蹴り上げて砕くと、覚悟を決めたようで目を閉じて詠唱を始めました。

「……赤き内核よ 地の底に眠る火の精霊よ 我が声に応えよ 今こそ我らが審判の時 穢れた外殻の全を清らなる一に溶かし戻したまえ……」

 その間、私は花実竜を引きつけるために、少し離れたところに移動して、最高に美味しいふかふかの食パンを花実竜目掛けて投げつけます。

「ドラゴンさん、こっちですよ! 食らえ! ただただ美味しいパン! 錬金食パン!」

 竜の口腔内にパンが入ると、竜はそのパンを咀嚼し始めました。流石私のパン、生物である以上美味には抗えないようです。その美味で魔界も狙える。

煉獄の火達磨カーネリアン!」

 ちょうどそこにジャスくんの魔法が発動します。魔物の直下からマグマが吹き出し、魔物を包み込みます。巨大な爆炎が上がり、あたり一面が真っ暗になります。

 やったか、と思いました。


「あ…………」


 しかし、花実竜はまだ耐えていました。火傷を負った体を引きずって、ゆらゆらと前脚を動かしています。

 その爪が私に向かってきた時、ジャスくんが前に出ました。

 その時。


 ──結構、静かな音がしました。


 妙な感想が頭に浮かびました。

 数十秒後、人が胸を貫かれる時の音って、こういう音なんだ、と、言葉が置き換わりました。

 耳を通り抜けて脳に焼きついた音が正しく認識されるのに、しばらく時間がかかりました。

 そして我に帰りようやく、今も、先程も、最初から、ジャスくんはずっと竜の攻撃から私を庇っていたのだと理解しました。

「……ジャスくん!!」

 駆け寄ります。まだ間に合う。生命の水を取り出します。蓋にかけた手が震えます。

「大丈夫、大丈夫、大丈夫ですから、諦めないで」

 開いた瓶の中身をなりふり構わずドポドポと傷口にかけます。

「大丈夫、調術師は、魔道具は、すごいんです」

 あたりが赤く光りだしました。時の精霊の力のかけらが蛍のようにジャスくんのまわりを舞い、どくどくと流れていた血が止まります。

「死んだら痛みもなくなっちゃうんですよ! あなたにとっては最悪でしょ!」

 この生命の水は、強くなると決意したあの時にアマリさんがくれた魔道具です。初めこそその正体を告げられず謎の薬品として首を傾げていましたが、今回の冒険の前夜に調べて驚きました。

 生命の水。時の精霊の力を借りる特別な傷薬。患部の時間を数分前に戻し、固定する。そのためどんな損傷であっても時間内であれば治すことが可能。

 脳内でジーン先生の真似のように図鑑の解説を振り返ります。なるほど、これ、少し心が落ち着きますね。

「……女神、さま……?」

 そうしていると、ジャスくんが目を覚ましました。心臓が動き、息をしています。

「やべ、魔力も、切れて……。はは、気持ちよく……なってきた……」

「ジャスくん!」

 ぐたりと倒れかかっているジャスくんに慌ててフェアリー粉蒸しパンを食べさせます。そして自らもパンを頬張ります。

「俺、囮も歓迎……、可愛い女の子のためならますます、ね」

「な、何言ってるですか!」

「魔法、使えん、平民を守んの、俺ら、持ってる者の役目……、逃げ……な……」

 こんな時、どうすれば良いか。脳に運ばれた糖が答えを教えてくれました。

 私の武器は、やっぱりパンです。

「──戦闘用の魔法が使えなくても、魔道具で最強になれるのが調術師です」

「エマ……っち……?」

「あなたも回復してきたでしょう? いざ、マッスルベーグル!」

 攻撃力を上げる魔道具を食べ、食べ、食べます。

 ハッと気がついたジャスくんが目を見開きます。

「エマっちの魔道具パンの効果、やっぱすげえ!」

 みるみるとみなぎってくる筋肉。何個も、何個も、パンを頬張ります。

「底なしの胃袋もすげえ!」

「なんてこと言うんですかお年頃の乙女に!」

 お年頃の乙女が筋骨隆々に巨大化した点については見て見ぬふりをします。食うか食われるかの戦いで、花実竜の舌がぬるりと頬に当たったその時。

「見ててください、これが調術師の力」

 私は、ジーン先生がかつて私に教えてくださったことを思い出していました。

「"いざという時は結局力技"です! パーンチ!」

 思い切り拳を振りかぶり、放ちます。

 とどめの一撃が炸裂し、どさり、と竜が倒れました。

「これが調術師の力です」

「……調術師ってすげー」


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