こんにちは。私はエミリア・ベーカー。見習い調術師です。
賢者のパンを作るという壮大な目標の他に、たった今新たな目標が出来ました。
「さて、何にしてもまずは紅玉魔石デニッシュですね!」
「え、エマ?」
やる気に満ち溢れ、参考書を探しに隣の書斎に行くと。そこにジーン先生が居ました。気まずい。
「いつからそこに居たんですか?」
「最初から」
「そういえば今日、室内作業の日でしたね」
このデカい人をどうやって隠そうかと考えていると、時すでに遅くアマリさんがやって来て気がつきます。
「ジーンくん!? 素材採取行ってなかったの!? いつから聞いてたの!?」
「パンを傍に置けのあたりから」
「一部始終じゃん! 言いなさい! 声かけなよ!」
「二人仲良く話しているところに三人目として入っていくなんて俺に出来るわけないだろ」
「本っっっっ当に難儀な人だな!?!?」
何やら言い争いが始まってしまいました。いや、私は決して気づいてなんていませんよ、結びついてなんていませんとも、ジーン先生の義足と先程のお話。これは気まずいですね、なんて、思いませんとも。
「要するに、慌てず順に経験を積んで強くなれば良いんじゃないか?」
しかしジーン先生はいたってマイペースです。何事もなかったかのように、私へのアドバイスを開始します。
「エマ、こんな大怪我した人が言うことなんて聞いちゃダメだよ」
「あれは非常事態だったから仕方ないだろ」
「だからって無茶したじゃない」
「むしろそういう想定外の戦闘に巻き込まれた時のためにも、自衛手段は学んでおくべきだろ」
なんか私を挟んで仲良ししてません……? いえ、きっと気のせいですよね。
「はい、はい、私、強くなりたいです!」
私も気にせずマイペースに決意を表明します。ゆるふわ乙女キャラをかなぐり捨て、拳を握り締め、ふんと鼻を鳴らしてみせます。
ジーン先生はそれを見て少し口元を緩めて笑ったような気がします。
一方アマリさんはまだ不安気なお顔で──
「……本気なの、エマ?」
アマリさんに再び両手を取られ、最終確認をされました。堪らないしなやかな指。なんて考えている場合じゃなくて──
「本気です。……エン麦粉に誓って」
決意を胸に憧れの人の両手を強く握り返します。天と地とエン麦にかけて。
「ええと、うん。……分かった。君の選択を肯定する」
決意が伝わったようです。
アマリさんは静かにゆっくり頷くと、赤い液体の入った瓶を私に渡してくれました。
「これは、赤ポーションですか?」
「調べてみて。本当に困った時はこれを使って」
それから、本棚から何冊かの参考書を取り出し、紙に何かを書き出しました。
「さて、ちょうど、お礼に好きなパンを作る約束をしていたね。爆裂パン作り、協力させてもらっても良いかな?」
「はい!」
わだかまり、とりあえずの解決です。
さあ、レシピ作りに戻りましょう。
「アイデアに詰まった時はとにかく色んな種類の魔道具のレシピを見てみると良いよ。思わぬ解決策が見つかることがある」
そうアドバイスを受けて、私も探索補助系の魔道具図鑑を読み込みます。草むらを切り道を拓く魔法の鎌に、岩山を跳ぶように登るための魔法の靴、水の中で呼吸をするための魔法石。日頃平和な市街地で生活する者としては馴染みのない魔道具の数々です。
正直、読んでいて興味がそそられずしんどいですが、ここは頑張りどころ。
すると、その中に──
「こ、これは……!」
私がピンと来たその魔道具の資料を見せると、お二人はおおと声を上げました。
「魔寄せの香水。一定時間周囲に魔物をおびき寄せる効果のある香水。花実竜の鱗から作る」
いつものように、ジーン先生が図鑑のように解説を読み上げます。
「たしかにこれを上手く調整して使えば、パンに魔物を寄せ付けることも可能かも……」
アマリさんもご納得のご様子で、さらさらと紙にメモを書き出しています。
「よく思いついたな」
「私達なしでも出来たね。すっかり一人前になって……」
「えへへ、褒めて褒めて、褒められて膨らむ子ですからもっと褒めてください!」
ナイスアイデアへの称賛を存分にいただきます。
「問題は素材をどう獲得するかだが。果実竜か。アマリ、お前ドラゴンに詳しかったな」
「え? いや、私なんて全然。ちゃんとした魔物の専門家に聞いた方が良いんじゃないかな。私は分類と生息地と魔法属性と捕食するものと天敵や弱点くらいしか分からないよ」
「充分ですよ?」
充分でした。アマリさんの情報をもとに果実竜の鱗採取計画を立てます。
花実竜は風属性の翼竜系の小型のドラゴンで、その多くは山林に生息しています。体に巻き付いた甘い香りを放つ花で獲物のラビマットなどを誘い捕食します。人にとってもとても良い香りがするため、魅了混乱状態にならないよう注意が必要です。弱点は炎属性の魔法で、大型の火炎竜系のドラゴンが天敵です。
狙うは繁殖期で近隣の草原に降りて来ていて、郊外の家畜を襲う可能性のある若い個体。ちょうどこの季節に討伐依頼が出ています。
「それじゃあ、そのドラゴンを討伐するのに、紅玉魔石を大量に作って、護衛をジャスくんに依頼しましょう」
「比較的討伐しやすい魔物だ。良い訓練になるだろう」
「というか紅玉魔石デニッシュを作らずともそれならずっと紅玉魔石を使えば良いんじゃってのは気にしちゃいけないところかな……」
気にしちゃいけないところです。
さあ、次回、いざ討伐クエストへ。