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第19話 レッツメイクアツアツデニッシュ ③

 こんにちは。私はエミリア・ベーカー。見習い調術師です。


 紅玉魔石デニッシュ改を絶賛製作中なのですが、なかなか上手くいきません。

 表面からマグマ燃えたぎるパンが出来ていました。

「魔物が思わず食いつく爆裂パン、難しいものですね……」

 知恵を振り絞るとお腹が空きます。それは自然の摂理。

「火傷治しの薬、たしか在庫有りましたし」

 消費された糖質を補うべく、失敗作に口をつけようとしたその時でした。

 ぐいと首根っこを引っ張られます。

「もう、なんですかジーン先生、今良いところで……って!?」

 振り返ると、そこには密かに今最推しである人気パン工房のイチゴジャムパン──を持った推し、憧れの人アマリさんがいました。

「こ、こんにちは、アマリさん!」

「こんにちは、エマ。それは新しい魔道具かな?」

 なんて素敵な焼き加減。なんて素敵な笑顔。頭の中がもやもやとしていたところに、夢のようなコラボレーションの光景が。目がくらくらぐるぐるとしました。

「え、ええと!? どうしたら!?」

「とりあえず、そのパンを傍に置こうね」

「お茶!? お茶菓子!? 今出しますね!?」

「とりあえず、その見るからに食べたら口の中を大火傷しそうなパンを口元から遠ざけなさい」

 食卓に着かされ、紅玉魔石パンを回収され、イチゴジャムパンを手渡されます。

「美味しい……素敵……」

「気に入ってもらえてよかった」

 ひと口ひと口味わいを噛み締めていると、慈しむような視線を向けられます。

 育ちの良さが滲み出る品のある佇まい、それでいて少し崩れた親しみやすい空気感。甘酸っぱい蕩けるような舌触り、それでいてその周りを覆うエン麦の香ばしいさくさく感、この合わせ技が堪らなく魅力的です。

「もしかしてさっき食べたドクマムシパンが原因で、全部私に都合の良い幻覚だったりします!?」

「……さては余罪があるな?」

 最後のひと口まで美味しい。微笑が崩れ、少々呆れたご様子で口を尖らせるお姿お姿まで麗しい。

「怒られたい、叱責されたい……!」

「まったく、君までジャスくんみたいなことを言うね?」

「あ、はい」

 目下の悩みの原因である名前を出されて反射的に冷静になります。

「エマ?」

「……」

「ええと、何かあった?」

 食後のお茶をいただきながら、お悩み相談タイムです。


***


 そして想定外の事態です。

「かくかくしかじかで、魔物を倒す攻撃パンを作って一緒に討伐をやらないかと」

 順を追って事情を説明すると、アマリさんは思っていたよりも渋い反応。ちびちびと飲む食後のお茶がお口に合わなかったというわけではなさそうです。

「ううん、エマが魔物討伐かあ……。か弱い女の子にやらせるのはちょっと……」

 カチャリとティーカップを置き、ひと息をつきます。どうやらご心配してくださっているご様子。このお方は結構過保護です。まだまだ私が小さな子供に見えているのでしょう。

「ダメですかね……?」

 しかしこのお方が私のうるうるキュートな瞳に激弱なのを私は知っています。いざ秘技上目遣い。

「いや、そうだね、心配だからと言って可能性を奪うのも良くないか……。どんな魔物の討伐依頼を受けようと思ってる?」

「あ、ええと……」

 言いくるめ成功の流れとなってきました。あの晩のジャスくんの誘い文句を思い出し、そのまま口に出します。

「たしか……──地下迷宮の帝王?」

 そしてその瞬間、場の流れが変わりました。


「地下迷宮の帝王!?」


 途端に、アマリさんの纏う柔らかな空気感が完全に消えます。

 しんとその場が静まりました。

 思わぬところで食いつかれてしまいました。

 日頃穏やかでお行儀の良いアマリさんが紅茶を溢して突然ガタリと食卓から立ち上がるだなんて、一体何が。

「え、えーと、アマリさん?」

 こんな時に、ちょうど反射で眼鏡の奥の目の表情が見えず、アマリさんの感情の詳細を伺うことができません。

「そんな危険な討伐依頼にエマを誘うなんて、いったい彼は何を考えてるんだ……!?」

 しかし大方の察しはつきます。これはおそらくお怒りです。それも相当な。

「ご、ごめんなさい?」

 人間、静かな人ほど怒った時に怖いものですね。怒った姿も素敵などとはとても言い出せない空気です。

「あ、いや、エマに怒ってるわけじゃなくて……」

 萎縮した私に気がつくと、アマリさんは慌てた様子で首を横に振ります。

「ごめん……」

 それでも感情の整理がつかないようで、顔を手で覆い大きくため息をつかれます。項垂れるお姿が痛ましい。

「聞いて、エマ。その魔物は、遊びで挑むような相手じゃないよ。あれは、人の手足くらい簡単に喰い千切る化け物だ」

 そうして気まずい空気を吸っていると、さらりと恐ろしい情報を提供されてしまいました。冷凍パンのように冷えた空気感に身震いをしてしまいます。

「エマ、君たちくらいの年頃の子の、未知への探究心はよく分かる。……それが自分ではどうしようもないくらいに抑え難いこともね。……けれど」

 ついに、しっかりめに怒られる、そう思って反射的に目を瞑ります。

「…………」

 すると、思いがけず、そっと優しく両手を取られました。

 その手の温かさにゆっくりと顔を上げ目を開けると──

「……けど、君には、君まで、手足を失うような大怪我をしたら、それどころか、万一にでも命まで失ってしまったらと思うと……」

 耳に入ってきたのは、思いがけず、優しい優しい、弱々しいお声でした。

「すぐに治るような傷なら良いんだ。たくさん転んで怪我して治って強くなれば良い。でも、無茶をして取り返しのつかないことになったら」

 ようやく見えたその瞳には、たしかに涙が浮かんでいました。これはお説教ではなく、懇願だと、そう目と声が訴えています。

「エミリア、君のいつも真っ直ぐで前向きなところが大好きだよ。でもだからこそ、危ないことはしてほしくない」

 ああ、お美しい蒼玉の瞳。さながらブルーベリーパンのよう。こうしてみると、耳の垂れたレトリドッグのような守ってあげたい可愛らしさのあるお方です。

 挑戦への決意が揺らぎます。揺れる乙女心です。


 暫しの思案ののち、私は結論を出しました。

「やめます。アマリさんが泣くのなら」

「エマ……」

 私の望みを胸に手を当て考えてみました。やっぱり今の私には、まだジャスくんよりもアマリさんなのです。

 けれど──

「やめます。今は」

 だからこそ、この人の笑顔を奪ったその魔物が許せないのです。

「…………いつか、倒します、地下迷宮の帝王」

「エマ!?」

「大切なアマリさんを泣かせた魔物なんでしょう?」

 ならば、むしろ。

「貴様もパンの材料にしてやろうか! です!」

 びしりと決めポーズをとって見せると、アマリさんはぽかんと呆気にとられていました。


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