香織とアクィバルが手を重ね合わせた。
するとアクィバルの全身が光り、それと同時に香織の頭上にあった天使の輪がアクィバルへと移る。
そして直後、アクィバルはカラスたちの前から姿を消した。
アクィバルはまだそこに存在してはいるが、もうその場にいる全員にアクィバルの姿は視認できない。
天使の力を失っているリュカエルにも、天使の力を扱いきれないカラスにも、そしてただの人間となった香織にも、アクィバルは見えてはいない。
『おれはひと足先に天界に戻って、高みの見物としゃれこむか。まあ頑張れよ、カラス』
誰にも聞こえない声でささやくと、アクィバルは背中の翼をはためかせ、天へと昇っていった。
『アクィバルよ、まだおるのか? ……ふん、まあいいわい。あやつならおそらくもう天界に戻ったじゃろう。わらわたちも帰るとしようかの』
リュカエルの言葉を受け、カラスと香織は顔を見合わせつつ、それぞれ首肯した。
「ああ」
「はい」
「じゃあ、鈴木さん。俺たちはこれで失礼します。鈴木さんはもう心配ないと思うので、これまで通りの生活に戻ってください」
「は、はい、ありがとうございました。え、えっと、もしまた電車で会った時は、挨拶してもいいですか……?」
カラスの顔を見上げておそるおそる香織は訊ねる。
香織は人生で初めて、家族以外で自分を守ってくれた相手であるカラスのことが気になり始めていた。
そしてその気持ちを伝える精一杯の方法がそれだった。
だが、相手の感情を読み取ることに疎いカラスは香織の気持ちには一切気付かない。
なので、
「もちろんですよ。俺も鈴木さんと話すのは楽しいですから」
そう返すと、カラスは何も意図せずにっこりと微笑んだ。
「じゃあ、また」
「は、はいっ!」
それを受け、香織は満面の笑みで返す。
『ではの、鈴木よ。達者でな』
「は、はい、リュカエルさんもお元気で」
◆ ◆ ◆
公園で香織と別れたカラスは自宅へと戻る。
その道すがら、リュカエルが不思議そうな表情を浮かべつつ、カラスに問いかけた。
『カラス。お主、殺し屋にしては、ちとお人好しが過ぎるのではないのか?』
「なんだよ。藪から棒に」
『お主がさっきの女の話を簡単に信じて、しかもそやつを守ってやる意味が分からんと言うておるのじゃ。それとも何か。お主はああいう地味で暗い女が好みなのか?』
意地悪そうな顔でカラスを見るリュカエル。
そんなリュカエルにカラスは「はぁ」とため息を一つ吐いてから、立ち止まってリュカエルに向き直る。
「さっきの鈴木さんとやらからは俺に対して敵意も悪意もまったく感じなかったんだ。だから信じてやった。俺は善人には幸せになる権利があると思っている。ただそれだけだ」
『ほう。お主、さっき会ったばかりなのに、あの女のことがわかるのか?』
「この稼業をしているせいか、俺は人の悪意には敏感なんだ」
それだけ言うと、話は終わりとばかりにカラスは再び歩き出した。