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1.04

「ア……アア……!」


 大男のあごが耳もとまで裂け、声なき叫びがこだまする。おれはとっさに判断を下した。やつは危険だ。もうにイッちまってる。


「リサ、足を狙え!」


 太もものホルスターから、リサが慣れた手つきでガンを抜く。スマートガン仕様のマシンピストル、〝眠れる夜スリーピー・ナイト〟。アルミ製のサイレンサー付き。


 おれも右手に持っていたハンドキャノンで、大男の手を撃つ。ドカン! 丸太のような二の腕が、パンッと派手な血しぶきを上げて破裂し、やつの拳銃が床に転がった。


 同時に、リサのマシンピストルが火を噴く。アイス・ブルーの瞳から、レーザー照準器レッドアイの赤い光芒が尾を引く。


 パラララ! バースト射撃ショットがひざに命中。だが、大男の歩みは止まらない。痛覚が麻痺しているらしい。


 いや、それだけじゃない。銃創から黒い泥が噴き出したかと思うと、シュウシュウと煙を立てて傷を再生していく。欠損した腕にも、すでにいびつな切り株ができかかっている。


 リサが悪態をつく。「くそっ、ゾンビかよ!」


「へっ、そうこなくっちゃな。ゾンビ映画モノなら、こいつの出番だ」


 そう言うと、おれは左腕のサイバーアームを突き出した。上腕部がくの字に折れ、砲金灰色ガンメタル・グレーの太い銃身がガチャリとせり上がる。イタリア直輸入の三連トリプルスレットショットガンだ。


「なあ、あんた。は好きか?」

「えっ?」とヒロコ。

「これが花火だ」


 嵐のような三連射。大男の胴体が真っ二つに千切れ飛び、血と臓物のシャワーが壁という壁にぶちまけられた。


「うぎゃーっ!」


 素っ頓狂な悲鳴を上げるヒロコを無視して、ゆっくりと大男に近づく。


 やつの上半身がぴくぴく痙攣し、切断面で黒いヘドロが沸き立つ。残ったほうの腕が、銃を求めてのた打ちまわり、ラミネートの床に赤い弧線カーブを描く。


 だが、もう傷口は再生しなかった。30秒待ってから、おれは言った。


「終わったか?」


 リサのサイバーアイが赤く光り、生命反応を探った。「ああ、終わったよ」


 おれはSWATシューズのつま先で、床の上の拳銃をひっくり返した。銃身バレルの刻印は、ニュー・コルト・ファイヤーアームズ。


 やっぱり、あの財閥ザイバツ野郎の銃だ。腕のいい仲介人フィクサーを探せば、ざっと700新円ニュー・イェンの稼ぎにはなるしろもの。おれは足がつくと思って、手をつけずにおいたが。


「ったく、余計な手間をかけさせやがって」


 リサがマウンテン・パーカーの袖を引っ張り、尻尾についた血糊を拭き取った。


「にしても、なんだったんだこいつ。野良のサイバーサイコか?」


「さあな――」

 おれは部屋中に飛び散った肉片のモザイクアートをながめ、鼻を鳴らした。「少なくとも、機械マシンの割合はゼロだ。ほぼ生身ウェットだな」


 だが、あの化け物じみた再生能力。ありゃ妙だ。重度のサイバーサイコでもないかぎり、説明がつかない。


 ハイドラに水蛭子ヒルコ戦闘用コンバットドラッグにも、体力やスタミナを一瞬で回復させるものはある。


 おれはてっきり、例のブラック・パッチの正体は、ヤバい違法ドラッグなんじゃないかと考えていた。どこかの秘密研究所で合成されたブツが、裏ルートで出回るなんてのはよくある話だ。


 だが、それにしたって効き目が強すぎる。ただのドラッグに、なくした腕をもう一度生やすなんて芸当は不可能だ。


 あの回復力は、軍用ミリタリーグレードのナノマシンに匹敵する。それも一度使うと戻ってこれない、片道切符の禁制品ドロップ・デッド


 なにか知ってる可能性があるとしたら、同僚のヒロコか。


 ヒロコは部屋のすみでうずくまり、レインボーの液体をゲーゲー吐いていた。お子さまには刺激が強すぎたらしい。


 渋々ハンカチを貸してやると、おれのシェニール織の高級布でゲロをぬぐい、器用に鼻もかんだ。


「気分は落ち着いたか?」

 パイプ椅子を取ってきて、背もたれを前にしてすわる。「ちょいとお話を聞きたいんだがね」


 死体フラットラインからブツを回収していたリサが、さりげなくおれの対角線上へ移動した。


「ヒロコ、あんたには二つの選択肢がある」


 おれはクロームの指を二本立ててみせた。「おれに知ってることを全部話すか、それとも、知ってることを洗いざらい全部話すかだ」


「それって、わたしに選択権ありませんよね!?」

「ちっちっちっ、この二つには大きな違いがあるぜ」


 スーツの内ポケットから、黒いつや消し塗装マット・ブラックの小型デバイスを取り出す。ケースの表面には、聖ペトロの逆さ十字のマーク。


「こいつは通称、〝聴罪司祭コンフェッサー〟。電脳に差し込んでプラグ・インして、相手をおしゃべりにさせるプログラムだ。ただし、重大な欠点があってな。こいつにつながれたら最後、脳みそがカリカリに焼けたトーストみたいになっちまうんだ」


 塗装があちこち剥げ、使があることに気づき、ヒロコの唇がわなわなと震える。


「ひいっ! そんなの絶対イヤ! なんでも喜んで話しますぅ!」

「いい子だ。まずは簡単な質問から始めよう――」


   ⌘


 楽しい尋問の結果、わかったことがいくつかある。


 あのでかぶつの名は山田ヤマダ。歳は30代後半で独身。そして、いかなる種類の軍事組織とも無関係だ。


 やつの履歴書プロファイルにも目を通したが、過去に企業の軍コーポレート・アーミーに所属していたことも、雇われのサムライとして働いた経歴もない。


 前職は茶道サドーコンサルタント。茶道は趣味でつづけており、茶道具ちゃどうぐの購入費用をやりくりするため、死体から金目のものを盗んでいたようだ。


「最近、って言葉を聞いたことはあるか?」


 おれがそう水を向けると、ヒロコはこんなことを言った。


「うーん。ナノマシンなら、この前の健康診断のときに注射したような……」


 企業コープ勤めの連中が、四半期ごとに医療用のナノマシンを打つって話は聞いたことがある。名目上は福利厚生だが、実際は従業員の行動を監視下に置く、見えざる監視システムだ。


 とはいえ、ほとんどの企業が医療関連企業メドコープの最大手、元気ゲンキケミカル製のナノマシンを採用しており、重篤な健康被害は報告されていない。少なくとも、今のところは。


「そりゃ結構。その後、体調はなんともないか?」

はひはい。注射はひくっとチクッとしたけど、はんともなんともなかったです」


 おれが恵んでやったチョコバーを頬張りながら、ヒロコはそう答えた。なんとも緊張感のないやつだ。


 さて、お次はどうするか。とりあえずブツは確保したものの、おれは依然として、この〝呪い事件〟の全体像をつかんでいない。これではマダムは満足しないだろう。


 おれにはまだ、ニッキーという手札がある。彼女は新京都ネオ・キョートでも有数のネットランナーであり、おれにとっての幸運の女神。スペードのエースだ。


 ニッキーは人間の数千倍もの嗅覚で、危険なプログラムのを嗅ぎ分ける。ニッキーにかかれば、黒い氷ブラック・アイスが仕掛けられた企業のメインフレームさえも、お気に入りの公園を鼻歌まじりに散歩するようなものだ。


 ちょうどここには、ホットな死体が一つある。脳髄の奥に何ギガバイトもの秘密を溜め込んでいそうな、あの財閥ザイバツ野郎の死体が。


 おれがマイクの番号をダイヤルしようとしたとき、背後でリサの声がした。


「なあ、おっさん」

 受付カウンターの上で足をぶらぶらさせながら、リサがあくび混じりにつぶやく。「なんかヘンだぜ、これ」


 手に持っているのは、例のブラック・パッチだ。一つはジップロックに入れ、もう一つをポーカーチップのように指ではさんでいる。


「おい、そんなもん手でさわるな。ばっちいだろ」


 リサはおれを無視して、ブラック・パッチを軽く振ってみせた。すると、おれのサイバー聴覚オーディオがかすかな音を拾った。カサカサという音を。


「なにか入ってるのか?」


「へへん、そのとおり」

 リサがぺたんこの胸を得意げに反らせた。「ふつうのパッチなら、こんな音は絶対しないだろ? 中身はせいぜい、薬液のパックと微細針マイクロニードル。それだけだ」


 天井の殺菌灯の光を浴びて、アイス・ブルーの瞳が妖しくきらめく。


「あたしの見たところ、こいつはじゃない。もっと別の、くそみたいななにかだぜ」


 おれはブラック・パッチをひったくると、自分でもいじくってみた。企業のロゴが印字されていない、黒い無地のパッチ。それ以外の点では、ごくありふれたブツに見える。


 だが、物事はつねに見かけどおりとは限らない。おれが傭兵ソロの世界に足を踏み入れたとき、最初に学んだ教訓だ。


「よし、調べてみるだけの価値はありそうだな」


 事務机の上にカッターナイフがあった。そいつを拾い上げ、ブラック・パッチの包み紙を切り裂く。


 おれとリサはパッチをのぞき込み、同時に声を上げた。


「「なんだこりゃ」」


 包み紙から飛び出したのは、どことなく毒虫を思わせる小さな機械マシンだ。極小のセンサーと回路を備えた、シリコン製のマイクロチップ。


 だが次の瞬間、チップはどろどろの油だまりに変わり、ジュッと音を立てて蒸発した。文字どおり、その場からしたのだ。


 リサの言うとおりだ。こいつは賭けてもいいが、ドラッグなんかじゃない。


 生身の脳にこびりついた記憶が、キャンプ・ペンドルトンの起床ラッパの音色とともによみがえる。おれがまだ、南カリフォルニアソーカルの軍にいたころの古い記憶だ。


 情報部の連中が、これとよく似たチップを使っていた。特殊なポリマーでできた、隠密作戦用のナノデバイス。敵に発見されると、高分子の鎖がズタズタに切断され、ものの数秒で自己破壊セルフ・デストラクトする。不都合な痕跡は一切残らない。


 自由カリフォルニアは、南カリフォルニア自由州の〝崩壊コラプス〟により、2019年に解体された。軍が保有していた最新技術ハイテクの多くは、世界経済を牛耳るハゲタカども――巨大多国籍企業メガコープの手へと渡った。


 財閥ザイバツ。その二文字が、電光掲示板のように脳裏でまたたく。


 くそ。この件にも、やつらが関わってるってのか?


 とっくに失われたはずの左腕が、ずきりとうずく。そのとき、頭蓋のなかの携帯端末エージェントに着信があった。マイクとおれの二人しか知らない、緊急用の電話番号から。

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