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1.03

 のろい【呪い/×詛い】

 神仏などの力を借りて、災いや病気、不運バッドラック、その他のトラブルを引き起こすこと。蠱毒こどく。人形使い。またはインターネット上で伝染する、〝死〟をコード化した殺人プログラム。――『電脳大百科』


   ⌘


 呪い。それはネットもコンピューターも存在しない、古い時代の迷信だ。魂と機械、伝統とハイテク、精神性と物質主義が渾然一体となったこの街でも、だれかをわざわざ呪い殺そうと考える人間はまずいない。


 新京都ネオ・キョートでは、だれもが殺傷力のあるハードウェアを持ち歩いているのだから。


 マダムは迎えの車を呼び、五分前に帰った。あの黒いメモリーチップをテーブルの上に残して。


 おれはそいつを拾い上げると、後頭部の電脳サイブレインユニットからピンケーブルを引き出した。


「おい、リサ。を貸してくれ」


 発光イカの寿司スシを手づかみで食っていたリサが、米粒のついた手で金髪ブロンドをかき上げる。白いうなじに三つ並んだ、赤・白・黄の接続端子ソケット


 その一つにおれのプラグを差し込んだジャック・インした瞬間、リサが甲高い声を上げた。「あンっ!」


「バカ野郎、気色悪い声を出すな」

「くっ、最近調子が悪いんだよ。あたしのせいじゃない! ったく、そっちに映像を出すぜ……」


 頭の中でチリチリ音がして、視界のサブスクリーンにファイルグループが投影される。


 ファイルの一つを開く。中身のデータは、犠牲者の氏名や顔写真、職業、家族構成、犯罪歴、インストール済みのサイバーウェア、その他もろもろ。マダムが自分のコネを活用して、最低限の下調べを済ませてくれたらしい。


 遺体の写真もファイルにあった。それを見て、ようやくマダムの言っていたことがわかった。〝呪い〟という言葉の意味が。


 見る者に、本能的な恐怖を呼び起こす死体だ。全身の皮膚が黒ずみ、ミイラのように乾燥している。さわるともろく崩れそうだ。虚ろな眼窩から、すすけたガラス玉のようなサイバーアイがこぼれ落ちていた。


 検視報告書の記述はどれも同じ。全身性の壊死ネクローシス。それが、彼らの死に与えられた名前だ。


 おれはふと、一枚の写真に目を留めた。田村タムラという名の、年老いた建設作業員の写真。遺体の首もとに、黒いシールのようなものが見える。


「おい、その爺さんの写真を映せ。そう、そいつだ。首のところを拡大してくれ」


 おれの予感は当たっていた。黒いシールの正体は、あのドラッグ・パッチだ。財閥ザイバツの男が使っていたものと瓜二つの。


 半透明のスクリーン越しにリサと目が合う。こういうとき、おれたちの間に言葉はいらない。どうやら、二人とも同じ結論に達したらしい。


 最初の手がかりは、あの〝ブラック・パッチ〟だ。


 そのとき、ブースの引き戸の向こう側から、爪でかりかり引っ掻くような音が聞こえてきた。人間のものとは異なる息づかいも。


 だ。ドアを開けてやると、白い毛玉が勢いよく飛び込んできた。


「よう、ニッキー。元気にしてたか?」


 ニッキー、おれのかわいいベイビー。


 ニッキーが前足をおれのひざに乗せ、二本の後ろ足で立ち上がる。ふさふさした尻尾が飛び跳ね、ご機嫌なプロペラ機のようにぶんぶん揺れている。


 本来のニッキーは思慮深く、成熟していて、チワワと違って騒いだりしないタイプだ。おれと何週間も会えなかったのが、よっぽどさびしかったらしい。


「おいおい、飼い主はこのおれだぜ。傷つくなあ」

 ニッキーの後ろから、アイアン・マイクが顔を突き出した。「仕事の話はうまくいったか?」


「この顔を見りゃわかるだろ?」


 おれはクロームの肩をすくめてみせた。


「あの性悪ババアめ、また厄介ごとをおれに押しつけやがった。ニッキーとのデートは、当分おあずけだな」


 それを聞いて、ニッキーがしょんぼりする。ニッキーはサブ電脳の助けを借りて、人の基本的な語彙と文法を習得しているのだ。おれは彼女と目を合わせ、耳の後ろを軽く掻いてやった。


「そんなあんたに、一ついい知らせがある」


 マイクが壁にもたれかかり、値踏みするような目でおれを見た。


「ニッキーも、この件に協力したいそうだ。あんたが望むなら、おれたちは一時的なバックアップ・チームとして動く。もちろん、規定の料金はいただくが」

「そいつは心強い。あとで調べて欲しいことを送っておく」

「今すぐ出かけるのか?」

「ああ――」


 リサがマウンテン・パーカーのジッパーを引き上げ、ひょいと立ち上がった。袖口に縫い込まれた光ファイバー生地ファブリックが、ストロボのように瞬く。


を取りに行かないとな」


   ⌘


 鴨川カモガワ沿いには、まだサクラが残っている。夜桜ってやつはいつ見てもいいものだ。たとえそれが、バイオ・プラスティック製の偽物でも。


「ここで合ってるのか?」


 巨大な棺桶コフィンを思わせるコンクリート打ちっ放しの建物。〈迷光亭ヴィラ・ストレイライト〉のルームサービスに行き先を尋ねた、例の葬儀会社のオフィスだ。


 駐車場には、〝三途川急送サンズリバー・デリバリー〟という社名の入ったトヨタのピックアップ・トラックが何台か。裏手はドライブスルー方式になっており、車に乗ったまま死体を焼却炉に放り込める。実に能率的なサービスだ。


 おれはトラックの近くにサイバーバイクを停めると、リサの頭からヘルメットをもぎ取った。


 あの写真の田村タムラという男。そして、おれの前で奇妙な死を遂げた会社員サラリーマン。二つの死を結びつけるヒントが、このオフィスの中にある。


「お目当ては、あのくそドラッグ・パッチだろ?」

 リサが手ぐしで髪を整えながら言う。「さっさと中に入って、とってこようぜ」


「まあ、そう焦るな。ここは穏便に行こう。なにも強盗に入るわけじゃない」


 おれは咳払いすると、通用口のドアベルを二度鳴らした。


 きっかり三分待たされてから、日本人の女が顔を出した。リサと同じくらいの年齢としの貧相なガキだ。目の下には、化粧スティックでは誤魔化せていない濃いくま。カモメのマークを逆さにしたような唇。


「なあ、お嬢ちゃん。こんな時間に悪いんだが――」


 おれの肌の色カラーに気づき、女の肩がびくりとはねる。黒人を見るのは初めてらしい。


 こげ茶色の目がおれのダーク・スーツへ、渋い柄のネクタイへ、そしてギラギラ輝く左腕のサイバーアームへと飛び、カモメのマークが富士山フジヤマに変わる。


 次の瞬間、スチールドアが鼻先でぴしゃりと閉じられた。


「けけっ、フラれてやんの」


 ガキがニヤニヤした顔でおれを見やがる。


 おれは無言でサイバーアームをのばし、ドアノブを円筒シリンダー錠ごと引っこ抜いた。おれの手には、必要以上に力がこもり過ぎていたかもしれない。


 おれはドアチェーン越しに中をのぞき込むと、とびきり酷薄な笑みを浮かべた。「よう、また会ったな」


「いやあっ! 強盗、殺人鬼!」

「おいおい、そりゃないだろ? 人を外見で判断しちゃいけないって、学校で教わらなかったか?」

「うっ、それはすみません。でも、ここは関係者以外、立ち入り禁止です!」


「関係者か」

 おれはクロームの指をぱちんと鳴らした。「ああ、その手があったな。つい言いそびれたけど、おれはその関係者ってやつなんだ」


「絶対ウソですよね!? 証拠はあるんですか?」

「証拠ならあるぜ――」


 おれはコートのポケットに手を突っ込み、なにかを取り出すふりをする。次の瞬間、おれは超大ビッグバン口径のS&Wスミス&ウェッソンをドアの隙間にねじ込んでいた。いい加減、しびれが切れたのだ。


「五秒以内にドアを開けな、お嬢ちゃん。さもなきゃ、あんた自身が三途の川サンズ・リバーを渡ることになるぜ。モーターボートの底にくくりつけられてな」


 最後のダメ押しに、撃鉄をガチャッと起こす。効果はてきめんだ。ドアはあっさり開かれ、両手を万歳バンザイのポーズにかかげた女が、涙目でおれをにらみながら現れた。


「よし、これで便片づいたな」

「どこがだよ」


 リサがぼそりとつぶやくのを無視して、おれは通用口から中に入った。


 オフィスの内部は、葬儀会社というより食品工場に近い、殺風景なつくりだった。安っぽい匂いの芳香剤が撒かれているが、長年かけて染みついた死臭が鼻をつく。


 受付カウンターの奥に、ひんやりと冷房の効いた広間があった。死体安置所モルグだ。金属パネルの壁一面に、ステンレス製の扉のついた収納棚が並んでいる。


「なあ、――」

「だれがカモメ女ですかっ! わたしにはヒロコって名前があるんです!」

「黙って聞け、カモメ女。今日の夕方、ここに上物のビジネス・スーツを着た男が運び込まれたはずだ。日本人で、年齢は40歳くらい。ヒゲも傷跡も入れ墨タトゥーもなし。心当たりはあるか?」

「ビジネス・スーツ? ああ――あのご遺体なら、あちらです」


 ヒロコが収納棚の一つをこわごわと指差す。おれは取っ手をつかみ、ストレッチャーを引きずり出した。


 白い布切れを取って、ホトケの顔を改める。ミイラのようにしなびた顔が、永遠の眠りの底からおれを見つめ返した。間違いない。だいぶ容貌が変わっちゃいるが、あの財閥ザイバツ野郎だ。


 だが、一つ足りない。一番大事なものが。


 おれは腰のハンドキャノンに手をかけると、ゆっくり後ろをふり返った。


「ヒロコ、こいつをここに運んだのはお前さんか?」


 ヒロコはきょとんとした顔をした。


「えっ? いえ、違います。わたしはただの事務員ですから」


 そのときだ。受付の反対側につづくスチールドアが、ぎいっと音を立てて開かれた。


 ヒロコの同僚らしき大男が、見覚えのある大型拳銃を手に持って立っていた。明らかに様子がおかしい。クスリでもやっているのか、瞳孔がギラギラ光り、滝のような汗をかいている。


 男の両目から、黒い涙が二すじ伝い落ちた。首もとには、あのドラッグ・パッチがひるのように張りついていた。

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