のろい【呪い/×詛い】
神仏などの力を借りて、災いや病気、
⌘
呪い。それはネットもコンピューターも存在しない、古い時代の迷信だ。魂と機械、伝統とハイテク、精神性と物質主義が渾然一体となったこの街でも、だれかをわざわざ呪い殺そうと考える人間はまずいない。
マダムは迎えの車を呼び、五分前に帰った。あの黒いメモリーチップをテーブルの上に残して。
おれはそいつを拾い上げると、後頭部の
「おい、リサ。
発光イカの
その一つにおれのプラグを
「バカ野郎、気色悪い声を出すな」
「くっ、最近調子が悪いんだよ。あたしのせいじゃない! ったく、そっちに映像を出すぜ……」
頭の中でチリチリ音がして、視界のサブスクリーンにファイル
ファイルの一つを開く。中身のデータは、犠牲者の氏名や顔写真、職業、家族構成、犯罪歴、インストール済みのサイバーウェア、その他もろもろ。マダムが自分のコネを活用して、最低限の下調べを済ませてくれたらしい。
遺体の写真もファイルにあった。それを見て、ようやくマダムの言っていたことがわかった。〝呪い〟という言葉の意味が。
見る者に、本能的な恐怖を呼び起こす死体だ。全身の皮膚が黒ずみ、ミイラのように乾燥している。さわるともろく崩れそうだ。虚ろな眼窩から、
検視報告書の記述はどれも同じ。全身性の
おれはふと、一枚の写真に目を留めた。
「おい、その爺さんの写真を映せ。そう、そいつだ。首のところを拡大してくれ」
おれの予感は当たっていた。黒いシールの正体は、あのドラッグ・パッチだ。
半透明のスクリーン越しにリサと目が合う。こういうとき、おれたちの間に言葉はいらない。どうやら、二人とも同じ結論に達したらしい。
最初の手がかりは、あの〝ブラック・パッチ〟だ。
そのとき、ブースの引き戸の向こう側から、爪でかりかり引っ掻くような音が聞こえてきた。人間のものとは異なる息づかいも。
「よう、ニッキー。元気にしてたか?」
ニッキー、おれのかわいいベイビー。
ニッキーが前足をおれのひざに乗せ、二本の後ろ足で立ち上がる。ふさふさした尻尾が飛び跳ね、ご機嫌なプロペラ機のようにぶんぶん揺れている。
本来のニッキーは思慮深く、成熟していて、チワワと違って騒いだりしないタイプだ。おれと何週間も会えなかったのが、よっぽどさびしかったらしい。
「おいおい、飼い主はこのおれだぜ。傷つくなあ」
ニッキーの後ろから、アイアン・マイクが顔を突き出した。「仕事の話はうまくいったか?」
「この顔を見りゃわかるだろ?」
おれはクロームの肩をすくめてみせた。
「あの性悪ババアめ、また厄介ごとをおれに押しつけやがった。ニッキーとのデートは、当分おあずけだな」
それを聞いて、ニッキーがしょんぼりする。ニッキーはサブ電脳の助けを借りて、人の基本的な語彙と文法を習得しているのだ。おれは彼女と目を合わせ、耳の後ろを軽く掻いてやった。
「そんなあんたに、一ついい知らせがある」
マイクが壁にもたれかかり、値踏みするような目でおれを見た。
「ニッキーも、この件に協力したいそうだ。あんたが望むなら、おれたちは一時的なバックアップ・チームとして動く。もちろん、規定の料金はいただくが」
「そいつは心強い。あとで調べて欲しいことを送っておく」
「今すぐ出かけるのか?」
「ああ――」
リサがマウンテン・パーカーのジッパーを引き上げ、ひょいと立ち上がった。袖口に縫い込まれた光ファイバー
「
⌘
「ここで合ってるのか?」
巨大な
駐車場には、〝
おれはトラックの近くにサイバーバイクを停めると、リサの頭からヘルメットをもぎ取った。
あの写真の
「お目当ては、あのくそドラッグ・パッチだろ?」
リサが手ぐしで髪を整えながら言う。「さっさと中に入って、とってこようぜ」
「まあ、そう焦るな。ここは穏便に行こう。なにも強盗に入るわけじゃない」
おれは咳払いすると、通用口のドアベルを二度鳴らした。
きっかり三分待たされてから、日本人の女が顔を出した。リサと同じくらいの
「なあ、お嬢ちゃん。こんな時間に悪いんだが――」
おれの
こげ茶色の目がおれのダーク・スーツへ、渋い柄のネクタイへ、そしてギラギラ輝く左腕のサイバーアームへと飛び、カモメのマークが
次の瞬間、スチールドアが鼻先でぴしゃりと閉じられた。
「けけっ、フラれてやんの」
ガキがニヤニヤした顔でおれを見やがる。
おれは無言でサイバーアームをのばし、ドアノブを
おれはドアチェーン越しに中をのぞき込むと、とびきり酷薄な笑みを浮かべた。「よう、また会ったな」
「いやあっ! 強盗、殺人鬼!」
「おいおい、そりゃないだろ? 人を外見で判断しちゃいけないって、学校で教わらなかったか?」
「うっ、それはすみません。でも、ここは関係者以外、立ち入り禁止です!」
「関係者か」
おれはクロームの指をぱちんと鳴らした。「ああ、その手があったな。つい言いそびれたけど、おれはその関係者ってやつなんだ」
「絶対ウソですよね!? 証拠はあるんですか?」
「証拠ならあるぜ――」
おれはコートのポケットに手を突っ込み、なにかを取り出すふりをする。次の瞬間、おれは
「五秒以内にドアを開けな、お嬢ちゃん。さもなきゃ、あんた自身が
最後のダメ押しに、撃鉄をガチャッと起こす。効果はてきめんだ。ドアはあっさり開かれ、両手を
「よし、これで
「どこがだよ」
リサがぼそりとつぶやくのを無視して、おれは通用口から中に入った。
オフィスの内部は、葬儀会社というより食品工場に近い、殺風景なつくりだった。安っぽい匂いの芳香剤が撒かれているが、長年かけて染みついた死臭が鼻をつく。
受付カウンターの奥に、ひんやりと冷房の効いた広間があった。
「なあ、
「だれがカモメ女ですかっ! わたしにはヒロコって名前があるんです!」
「黙って聞け、カモメ女。今日の夕方、ここに上物のビジネス・スーツを着た男が運び込まれたはずだ。日本人で、年齢は40歳くらい。ヒゲも傷跡も
「ビジネス・スーツ? ああ――あのご遺体なら、あちらです」
ヒロコが収納棚の一つをこわごわと指差す。おれは取っ手をつかみ、ストレッチャーを引きずり出した。
白い布切れを取って、
だが、一つ足りない。一番大事なものが。
おれは腰のハンドキャノンに手をかけると、ゆっくり後ろをふり返った。
「ヒロコ、こいつをここに運んだのはお前さんか?」
ヒロコはきょとんとした顔をした。
「えっ? いえ、違います。わたしはただの事務員ですから」
そのときだ。受付の反対側につづくスチールドアが、ぎいっと音を立てて開かれた。
ヒロコの同僚らしき大男が、見覚えのある大型拳銃を手に持って立っていた。明らかに様子がおかしい。クスリでもやっているのか、瞳孔がギラギラ光り、滝のような汗をかいている。
男の両目から、黒い涙が二すじ伝い落ちた。首もとには、あのドラッグ・パッチが