「ああ、くそ。眠すぎて死んじまいそうだ」
時刻は夜の10時。場所はホテルのエレベーター。リサが眠気覚ましのガムをぺっと吐き出し、指で操作盤にくっつけた。
おれもリサも、仕事に行くときの一張羅だ。腰には銀色に輝く
耳小骨がぶるりと震えて、視界に〝着信あり〟の文字が点滅する。
おれはジェスチャーで通話を切ると、軽く舌打ちした。今夜だけでも、もう五度目だ。あのアマ、相当お
「急ぐぞ。マダムがお待ちかねだ」
「どうせ遅刻だろ? 今さら急いだって同じじゃんか」
「お前が長風呂しなかったら、そもそも急ぐ必要はなかったんだがな。ほら、降りろ」
エレベーターのドアが開き、冷えた空気とメタアルコール燃科の臭いが流れ込んでくる。宿泊客用の地下駐車場だ。
駐車スペースに近づくと、おれの相棒が二進数の眠りから目を覚ました。
シンゲン・カタナ。
ハロゲン
こいつの真価は、その桁外れのパワーにある。
おれはカタナのシートにまたがると、あごでリサに合図を送った。「さあ、乗れよ」
「けっ、自分のモノみたいに言いやがって。そのじゃじゃ馬を整備してるのはあたしだぜ?」
「でも、運転はおれの担当だ。お前じゃ地面に足がつかないもんな? わかったらさっさと乗れ、ちびっ子」
リサはおれの背中を20センチは突き抜けそうな視線をよこしたが、おとなしく後ろに座った。
「しっかりつかまってろよ、リサ」
アクセルを目一杯ふかすと、
⌘
クロームの肩を揺らし、青いネオン
〝速い&楽しい〟の文字がレインボーに輝く看板を通りすぎると、一軒の
〈ニュー・アトランティス〉はいつも満員御礼だ。総二階建ての小さな
入口に近い席には、背中の皮膚が電子ペーパーになった新聞屋。その日のニュースをいち早く知らせてくれる男だ。でも、やつを三秒以上見つめるな。200
全身に球体関節を埋め込んだ
「ちょっとくらい体を拭いたらどうだ、兄弟」
下を向くと、おれのトレンチコートから雨粒がぽたぽた落ち、床が真っ赤に染まっていた。
「おれも歳でね。腰の
リサはアイス・ブルーの瞳にシャッターを下ろし、
この陽気な男はアイアン・マイク。引退した元
そのときにはもう、アイアン・マイクは
おれはおしぼりをリサに放ると、カウンターに身を乗り出した。
「で、ニッキーは?」
「彼女か? 相変わらずネットに入り浸ってる。一日中、ジャック・インしてるよ」
ニッキー。彼女は世にも珍しいハッカー
「かわいそうに。最近、散歩につれてってやれなかったからな」
「ああ。おまえさんが会いにこないから、すっかりヘソを曲げちまってる」
ニッキーのサイバーデッキは、
アイアン・マイクが、おれのジョッキにキリンの
「ほら、そいつを持って奥に行けよ。お二人さん」
そこで身をかがめ、ざらついた電子音声のボリュームを半分以下に落とす。
「マダムがご機嫌ななめだ。急いだほうがいい」
「あの婆さん、どれくらいキテる?」
「『ジョーズ』のテーマ曲が流れる直前ってとこだな。さあ、早く行けって」
おれは二人分の代金を支払うと、奥のブースへ向かった。するとたちまち、背中に無数の視線が突き刺さった。テーブルに目を伏せ、さりげなくこっちを盗み見る視線が。店の奥でだれが待っているのか、ここにいる全員が知っているからだ。
マダム
先斗町は端から端まで500メートルの小さな
ブースに入ると、低いブーンという音が聞こえた。
ボックス席の壁際に、
濃いアイシャドウに縁取られた両まぶたは、仏像のように閉じられている。だが、額の真ん中に移植された
「ずいぶん遅いじゃないか、ジョー」
マダムは紫煙をふっと吐き出すと、その日初めておれの
ソファに座ろうとすると、
「あんたは立ったままでいな。この私を42分も待たせた罰さ」
おれはマダムを無視して、ボックス席にどっかり腰を下ろした。ジョッキのビールをひと息に飲み干し、げっぷをする。
マダムの目が三つとも険悪な光をたたえる――
「気に入らないなら、ほかの連中を呼ぶんだな。こっちは当分、働かなくてもいい身分なんでね」
「ふん、ずいぶんご立派なことだね、ジョー。いったいだれのおかげで、一人前になれたと思ってるんだい? 私が仕事を回してやる前は、そこらの
「母親ってのは、息子の成長を喜ぶもんだろ?」
「あんたみたいな息子がいたら、あたしゃ30前にくたばってただろうよ。まあいい。リサ、あんたも早く座りな」
おれたちが席につくと、マダムの背後からサイボーグ
「いいかい、ジョー。今回の仕事はちょいと厄介だ」
「あんたとの
「黙って聞きな。始まりはよくある話さ。最近、
「それで?」
「死体くらいどうってことないが、この件にはどうも裏がありそうなんだ。どいつもこいつも、異様な死に方をしててさ。ストリートじゃ、こんな噂まで聞くようになった。あの連中は、だれかの恨みを買って
マダムはそこで言葉を切ると、三つの目でおれを見つめた。
「あんたら二人には、その呪いとやらの正体を突き止めてもらう。