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ネオ京都クライシス
ネオ京都クライシス
黒江次郎
SFポストアポカリプス
2025年04月09日
公開日
1.5万字
連載中
 ネオ京都。それはテクノロジーの最先端(エッジ)と1200年もの歴史が交わる、“伝統とハイテク”の街だ。ある晩、安ホテルの一室で武装強盗が奇妙な死を遂げる。両目から二すじの黒い涙を流して。その事件が発端となり、おれと相棒のリサは、裏で財閥(ザイバツ)が糸を引く陰謀の渦へと巻き込まれていく。

1.01

 ニューロは神経、銀色の径。夢想家ロマンサー魔道師ネクロマンサー。ぼくは死者を呼び起こす。――『ニューロマンサー』


   ⌘


 新京都ネオ・キョートの夜。


 街はネオンの光を浴びて、未来的なオフィスビルと古風な神社が並ぶ大通りストリートを青く照らし出す。


 だが、空は赤い。乾いた血のように赤い。


 三年にわたる第四次企業戦争の結果、大量の汚染物質がバラまかれたせいだ。あれ以来、世界中の空が赤く染まった。死を思わせる赤い棺衣かけぎがかかったように。


 ネオ・キョートではことさら、空がよく見える。この街に12階建て以上の高さのビルは一つもない。視界をさえぎる空飛ぶ車エアロダインの運転も許可されていない。


 だからおれの記憶のなかで、ネオ・キョートはいつも赤々と燃えている。こうして安ホテルキューブの窓辺に立ち、さざ波のように広がっていく夜をながめる今も。


 不気味な空の赤。路上に滴り落ちる血の赤や、薔薇のように開いた傷口の赤。先斗ポント町の芸者ゲイシャガールの唇に浮かぶ口紅の赤。生体バイオモニターが、視界いっぱいに死の警告を発するときの赤。


 そして忘れたころになって燃え上がり、全身の血を瞬く間に沸騰させる怒りと復讐の赤――


「なあ、おっさん」


 ふり返ると、リサがふくれっ面でこっちを見ていた。


 ド派手なメタリック・ゴールドの人工毛髪テックヘアに、真っ白な染色皮膚ケムスキンの女。袖がぶかぶかの作業服ツナギを着て、指に仕込んだねじ回しをかちゃかちゃ鳴らしている。その音をおれが嫌っているのは百も承知で。


「あたしの許可なしに、新しいハードウェアを入れるなって言ったよな? くそったれのサイコ野郎になりたいのか?」


 ひどいきんきん声だ。とくに二日酔いの頭には。おれはサイバー聴覚オーディオのつまみをひねり、音量を下げた。


「ああ、これのことか?」


 そう言って、新品のオモチャを見せてやる。いかにも興味がないってそぶりで。


 でも、こいつはクールだ。右のサイバーハンドをひと振りすると、五本の指がフレンチ・ピストルに早変わりする。


「パリ出身の芸術家アーティストの最新作って触れ込みだ。見ろよ、このスタイル。このクロームの輝きを」


 銃身を回転させると、ベアリングがバターのようになめらかに動く。


「おまけに親指はダブル・バレル。つまり、装弾数は六発ある。最新流行デルニエ・クリのガン・ハンドの上を行くスペックだ」

検査チェックしてやる」


 リサは吐き捨てるように言うと、細い腕から診断機テク・スキャナーをポップアップさせた。画面スクリーンに目を走らせるたび、ミルク色の瞬膜しゅんまくがまぶたの下を出たり入ったりする。


 リサは先祖返りエキゾチックだ。爬虫類の。


 今もライムグリーンのうろこが輝く尻尾が、ヘビのようにうねり、おれのクローム仕上げの足にからみつく。ご本人は気づいていない。リサがときどき、無意識にやる癖だった。


「なにか問題は見つかったか?」

「ない。ないけどな――」


 リサはため息をつくと、顔を上げておれをきつくにらんだ。


「おっさん、はっきり言うぜ。アホなのか?」


 そこでおれとの距離が近すぎることに気がつき、ぎごちなく離れる。ベッドの金具がきしみ、音を立てた。


「そっちの腕にはもう、あのくそみたいな散弾銃ブームスティックを仕込んでるだろ? 派手な飛び道具ばかりインストールしやがって。サーカスでもおっぱじめるつもりかよ?」

「どっちかと言うと、パーティーってとこだな」


 リサの瞳の奥で赤いLEDがちらつく。危険な光がマルタ十字の形に焦点を結ぶ。


「おいおい、悪かったって」


 おれはクロームの肩をすくめた。


「でも、こいつはきっと役に立つ。ちょっと見には、ただのハンドにしか見えないからな。たとえ企業コープの連中のお上品なパーティーに潜り込んだって、だれにも気づかれやしない」

「そんな御託はどうでもいいんだよ」


 リサは話をさえぎると、エッジのこもった目つきでおれを見上げた。


「あんたの体にインストールするものは、技術屋テッキーのあたしが決める。それがルールだろ? なにか入れたくなったら、まずあたしに言えって。な? 何度も同じことを言わせるなよ」

「わかったよ。くそ、母親の説教を思い出すぜ」

「ああ、そうさ。あたしはあんたのママなんだよ。おっぱいでも飲むか?」


 リサがけらけら笑う。このガキめ。


 まあ、リサがおれを本気で心配してるのはわかっている。おれのを一番よく知っているのはリサだから。


 おれはリサに叱られると、しばらくの間はおとなしくしている。趣味の盆栽ボンサイに水をやり、たまり場ハングアウトに顔を出して、バーテンダーの飼い犬の散歩を代わってやる。


 それでも三日かそこら、我慢できればいいほうだ。おれは遅かれ早かれクリニックに駆け込み、最新版のカタログをよこせと叫ぶだろう。


 おれのような傭兵ソロは、いつも偏執狂パラノイアじみた不安を抱えている。自分はいつか、世の中のスピードに追い越され、時代遅れのローテクになっちまうんじゃないかって不安だ。


 テックの流行トレンドはおれたちを待ってくれない。ある日、裏路地でばったり出会ったイカれ野郎パンクが、おれの知らないハイテクで武装していたら? その日がおれの命日だ。


 だからおれは仕事ギグをやり、新円ニュー・イェンをかき集め、肉体ミート機械メタルに置き換える。自分自身をゼン僧のように作り変えてゼロ・アウトしていく。たとえ行きつく先に、義体化精神病サイバーサイコシスという破滅が待っているとしても――


 おれが缶入りの炭酸飲料スマッシュに手をのばしたとき、は起こった。


 おれの脳の辺縁系のどこかで、マイクロチップがかすかな音を立てた。暗闇のなかを忍び寄り、デリンジャーの引き金をカチッと引くような音が。


 サイバーアイがずきりと痛み、視界の端からグリーンの靄が入り込んでスライド・インしてくる。


「おい、おっさん。聞いてんのか?」


 リサの声が別人のように聞こえる。周波数が下がり、音の波形がピッツァの生地のように引き伸ばされていく。


「今夜――の――仕事ビズ――は――」


 コンバット・リンク。スピードウェアだ。


 どうやら、自動的に戦闘モードへ入ったらしい。急加速していく時間のなかで、おれはそう思った。


 そして、すべきことをした。サイバーアームの手のひらで、リサをベッドに突き飛ばす。きゃしゃな体にのしかかり、おれ自身の背中を弾よけカバーにする。


「お――い――っ!」


 もう一方のサイバーハンドは、すでに予備動作に移っている。リールが巻かれ、人工けんがしなやかに伸縮し、いくつものピストンがパワーを生み出す。


 だれかが窓ガラスをぶち破って飛び込んできたのは、まさにその瞬間だった。


 とっくに準備はできていた。0.5秒も前から。


 五本の銃身がなめらかに回転する。おれの怒りに反応して、神経ニューラルリンクの人工シナプス素子が咆哮を上げる。


 バン! そして、静寂。


 おれはしばらくの間、リサの上で荒い息をついていた。


 サイバーアイの赤外線インフラレッドモードをONにして、周囲を走査スキャンする。赤、赤、赤。くそ。


 襲撃者の体から、赤いウルシのように流れ出す血のすじ。床の上に広がっていく血だまり。


「おい、どけって。このアホっ!」


 そして、赤く火照ったリサの耳もと――


 リサがおれの体の下から這い出し、ストリートでもあまり上品とは言えない悪態をついた。濃密な血の臭いに気がつくと、ウルトラ・パープルの唇をゆがめる。


「ああ? なんだこいつ。どこから入ってきたんだ?」

「そこの窓からだ」

「へえ。まるで泥棒みたいだな」

「みたいだな、じゃねえ。正真正銘の泥棒さ」


 この街じゃ、武装強盗はインフルエンザよりもありふれた現象だ。おれとリサは死体フラットラインを検分した。


 見かけは男。年齢は40歳くらい。片手に弾の入った大型拳銃が握られている。ニュー・コルト製の結構いいやつ。


 合成皮革フェイク・レザーのアーマー・ジャケットには、六つの穴がきれいに並んでいた。新しいオモチャのデビュー戦は上々だ。真っ二つに引き裂くほどのパワーはないが、軽装のアーマー相手なら十分役に立つ。


 死体の青ざめた首の両側に、黒いパッチがくっついているのが見えた。皮膚のくぼみに貼りつけ、フェンタニルやアンフェタミンを皮下吸収する合成麻薬デザイナードラッグ


 パッチを剥がそうと手をのばした瞬間、死んだ男の体がぶるっと震えた。壊れたサイバーウェアが、空電かなにかをよこしたらしい。はずみで顔がこっちを向く。


 両目のふちから、タールのような液体が盛り上がり、黒い涙みたいにあふれ出す。同時に鼻と口からも。


 リサがあわてて死体から離れた。


「おえっ、気色わりい!」


 おまけにくさい。生肉が腐ったような、鼻をつく臭いだ。


 あのドラッグ・パッチの副作用サイド・エフェクトか? おれは鼻孔フィルターを起動しながら考えた。


 だが、こんな症状は記憶にない。人体のありとあらゆる穴から、黒い泥が噴き出すなんて。


 男のジャケットを脱がせると、ケブラー繊維の高級ネクタイが目にとまった。ホログラムの文字で、〝草薙コーポレーション〟と書かれた社章も。


 くそ、財閥ザイバツか。


 厄介な相手だ。しかも、クサナギ。連中との間には因縁がある。血のつながりよりも濃い因縁が。


 おれは表面上、クールを装いながら、会社員サラリーマンの死体を部屋の外に放り出した。社章をむしり取り、手の甲からも〝KC〟の入れ墨タトゥーをナイフで削り取って。


 内蔵型の携帯端末エージェントでルームサービスを呼ぶ。あとはホテルが契約する葬儀屋が、10分以内にホトケを始末してくれるだろう。


 おれが〈迷光亭ヴィラ・ストレイライト〉を根城にしている理由の一つだ。このホテルじゃ、の後始末も基本サービスの範囲でやってくれる。


 おれが残酷だと思うか?


 でも、それがこの街――ネオ・キョートの日常だ。

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