闇。全く一切の混同の無い黒。
探査船アダマントは空間を歪ませながら確かに前進していた。しかしそれを外部から観測しても、空間の歪みは全く観測できない。それどころか、アダマントを反射する光すら存在しない。
この空間では、誰も方向を決められず、何も発見できない。
アダマントに搭載されたマルチメッセンジャー波形観測はアダマント自身の起こす規則的な振れ方だけを繰り返していた。
地球モデルの時計だけが、その数値を増加させていく。
10の10乗は100億
そしてその後、100億を115乗する
この船はそこを目指す
確かにこの漆黒は
それだけの空間を内包していても
おかしくないように見えた
体験としての、全くの無限である
アダマントは自身の船内に異常を検知。ワープ航行を中止し、迅速に対応する。
エンジンを点火し、三時間の後、ワープ航行を再開する。
5,493,874,901/11/2
「おめでとうアダマント。あなたの五十四億九千三百八十七万四千九百六回目の誕生日だよ」
ナツがアカリの眠るカプセルのある円形の一室で呟いた。
アカリがいなければ、アダマントはナツを認識できない。
……………………………………………………
「宇宙というのが一つの人格だとしたら、どんな人だと思う? 厳しかったり、性格が悪かったりするかな?」
男性が立膝になって、私と目線を合わせながら聞いてきている。
彼は私の父親で、ここはリビングなのだろう。父親の顔も、リビングもひどくボヤけている。不定形とさえ言っていい。
「……優しい人だと思う」
私がそう答えた。私は私の制御下に無かった。
これは私の記憶なのか、それともいつか入れていた情報なのだろうか。
「どうしてだい?」
「私たちがこうして、まだ生きているから」
人格を完全にデータ化しても、私を私たらしめる何かが残っていると感じる。
私は生まれた時からアカリと呼ばれている。
入力された情報を高速で処理する私の能力は、答えの明確でないもの、私個人に引っかかるものについて、スイッチを切り替えるように「個人の私」へ処理をパスしてくる。
私がここにいる理由は、命令と義務。それ以外に必要なものもないと思う。
これは、どの私の判断なのだろう。
45,120,473,905,204/4/5
アカリが目を開けた。
カプセルから進み出ると、部屋の照明がつく。
アカリはその滑らかな肢体を制服に包む。部屋の半円にモニターが現れ、周辺環境を映す。
中央に向かって進んでいると、天井からスルリと降りてきたナツが、手すりに臀部を乗せ、床から浮いた足を交差させた。
「どうしたのアダマント」
「数値の変化がありました」
アカリがインターフェースを立ち上げ、数値の変化を確認する。
「……これは、空間操作が境界線の壁のようななんらかを擦った、と見るべきかしら」
「恐らく。以前として周辺は漆黒ですが、ここにはNumerical Blackとはちがう、空間的な数値反応があります。
ここからは、Numerical Black同様の全くの未知でありながら、必ず何かが起こるでしょう。ワープ航行の継続や、その他の判断について、アカリとLadyを加えて決定していくべきだと考えました。」
「ええ、その通りね。ナツ、この空間について説明はある?」
手すりに腰掛けるナツをアカリが横目に見る。夏姫は「ふむ」と声を出して手すりから降り、モニターに向かって二歩ほど近づく。
モニターは周囲の環境を五つの視点で捉えているが、どれも全くの暗黒で、それぞれが連なっているように見える。
「うーん、中心点の方向は分かる?」
「アダマント、この空間の中心がどの方向にあるか分かる?」
「判定が難しい状態です。この境界線らしき存在は恐らく曲線となっているので、曲線に沿いながら航行を続ければ、中心点を割り出す情報が揃うと思われます。」
「ではそうしましょう。私をフルアーマーでカタパルトに待機させて。」
アカリが制服を分解しながらくるりと反転し一直線にカプセルへ向かった。
目を覚ました時と同じように、その人形のくぼみへハマるように背中をベタリと付けて立つと、アームが彼女を固定し、周囲に埋め込まれていた外殻が装置全体を覆う。
突出した筒が装置内に収まっていくと、装置全体が後方に下がり円形の部屋の壁に収納されていく。
アカリはゆっくりと目をつむる。
全くの身動きが出来ない圧迫された状態のまま、より船内後方に移送されながら、仰向けに寝かされる。
ガシャリと停止したかと思うと、次の瞬間には下降を始める。船内中心部の回転機構による重力制御から外れ、環境が無重力に変化する。
下降が停止する。カプセル内側の機構の溝を、青い光が血液のように高速で流れていく。それに呼応するように、アカリの体の節々にも、青い閃光がドクリと脈動するように現れる。
バチンと音がなり、アカリの後頭部から肩下までの背後とカプセルが連結する。
第七頚椎の部分に蓋のような部品があり、それが排除され、手のひらサイズのバッテリーのような見た目の「拡張脳(Extend)」が代わりに取り付けられる。
取り付けが終わると、連結が外れると同時にカプセル自体も四つの部位、四方向に分割されアカリを解放した。無重力の中アカリがフワリと浮遊する。
アカリが浮遊するそこは、アカリの頭方向へ向かって長く伸びた全系4mほどの筒状の空間。
カプセル達がまた壁に格納されると、アカリの頭上の暗闇から二つ、レーザーが降りてきた。そのレーザーを追うように、闇の壁面がAブロックと同じ白に包まれ、またその白を追うように、質量生成光が壁を覆っていく。
レーザーはアカリを貫通し足元の壁に刺さる。光線が貫通したアカリの部位が反応し、彼女の体を頭の方向へ加速させた。
アンドロイドの体が筒の中の光の洪水を通過していく。光は彼女の体を這いながら、いつの間にか首から上と手首から下のみを露出する黒いボディースーツを纏わせている。
そしてまたボディースーツの上から、後頭部、胸、背中、上腕、前腕、腰、膝、脛、足に、その形に則した薄い装甲を装着させていく。
全ての装着が完了しても、青い光は彼女の体を忙しなく包み、規則的に吸収されていく。
装甲が、ボディースーツが、アカリの体が、何度も力強く青い脈動を起こしていく。
背中の装甲の脈と拡張脳の脈が連結すると、アカリの目が見開かれた。
誘導レーザーが消え、筒の終わりが見える。
慣性のままアカリは筒の外に向かう。そこはまたカプセル程ではないが狭い空間だった。
アカリは穴から這い出るように、壁に背中を向けながら出てきた。
暗闇の壁の4点と、アカリの背中の4点が輝き、誘導レーザーが結ばれる。ジリジリと接近し接着すると、アカリの両肩上からアームが降りてきてアカリと壁を連結した。
次に両腕の装甲を壁に近づけると同じようにレーザーが反応し、ガチャガチャとアカリの両腕を分厚い装甲のようなものが覆っていく。
その次には腰の装甲に、次には足の装甲に、壁との連結後、上から重装甲が装着される。
最後に後頭部装甲の連結が行われると、アカリの頭から胸下までを、上から被さるように装甲が覆い、最初に肩に降りたアームと連結した。
アカリの体が青く脈動すると、重装甲たちも呼応する。
フルフェイスのような状態となったアカリの視界モニターに、アカリの思考がインターフェースを立ち上げていく。
第一装甲、宇宙戦闘機装甲の稼働確認が済むと、アダマントが話しかけてくる。
「10分後、通常航行を開始。加速準備完了後亜光速航行に移りながら、境界線の観測を始めます。周辺の映像、数値情報を共有します。状況に応じ、3秒のカウントの後射出します。航行スピードに合わせられるよう、カウント内で準備をお願いします。」
「了解。ナツ、あなたは大丈夫そう?」
「全然問題なし、ワクワクしてきてるよ」
ナツの返答にアカリが鼻で笑う。
「ちなみに、この先にあなたの姉妹が待ってるっていうけど、戦闘になる可能性ってあるの?」
「…………五分、かな。」