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プロローグ-Chapter2

 半径40kmの大きさのワームホールを作るための、四つの弧の部品に分かれた装置「ワープロール」が起動する。

 弧の中心が青く光り、その光が左右へ伝播していく。四つの地点で光がかち合うと、衝突した部分の光がより眩くなり、また弧の中心へ向かって光の増強が伝播する。

 完成した光の輪は回転しながら、輪の中に靄のような光を発生させる。ゆっくり靄は増殖し、巨大な輪の全径に光の渦を作り出した。

 その光はあまりに強力で、人の目では直視できない。

 光の中心から探査船アダマントの黒い先頭が現れた。アダマントはゆっくりと前進し、光の中から全長8000mの体を抜き出していく。ワープ完了まで八時間を要した。

 ここは宇宙文明圏内の外。基本銀河「天の川」から150億光年の地点である。

 このワープロールも、アダマントの片道航行のために作成されたもので、これが彼の最初で最後の仕事だ。

 周辺20億光年に文明が存在しないこの地点から、アダマントはロールを使わないワープ航行に移る。

 観測によって大まかな宇宙図は出来ているが、それでも人命がかかっている場合は絶対に行われない航行。一体のアンドロイドと、船内を管理する機械達を制するAIのみが船員となるアダマントだからこそ打たれた無茶だ。


 圧力が抜けるプシュン、という音と共に、筒状の安全装置の部品が機械から突出する。

 ガシャガシャと外殻が外れると、直立の姿勢で機械に埋め込まれた人体が中から現れた。

 外殻が壁に収納されていくとともに、人体にもまた無数についていた機械が、二の腕から、太腿から、脊椎から、頭部から、バチバチと音を立てて外れ、人体の背後へ格納されていく。

 両肩と腰を抑える四つのアームが外れると、ソレはゆっくりと目を開けた。

 乳房や性器は無いが、柔らかく艶やかな黒髪と華奢でしなやかな容姿から、成人手前程の女性を模して作られていることが分かる。

 彼女のいる部屋は、半径と高さが5mの円になっている。部屋の端、装置から彼女が進み出て両足を離すと、円に沿って等間隔に設置されたライトがフワリと部屋を照らした。

 白い光が照らしたところで、その部屋は灰色の一色である。円の中心に、彼女を迎えるように半円の手すりが立っていた。

 ゆっくりと、だが迷いのない足取りで、彼女は中央へ移動し手すりに手をかけた。

 突如、指ほどの小さな長方形の青い光が、彼女の首から下を無数の数で覆う。同じように、彼女の前面の壁の180度半円に、無数の光が一瞬にして出現する。

 女性型アンドロイドはいつの間にか軍服のような服を着込み、目の前には空中に浮かぶ巨大な半円モニターが現れた。

 モニターには五つのカメラに分割された周辺環境が映る。

 アンドロイドがそれを確認すると、彼女の周辺に手のひらほどの大きさの空中モニターが被らないよう間隔を開けて二十以上現れる。

 モニターにはそれぞれ艦内装置についてのレベルメーターとインジケーターが出ていて、彼女はそれらの確認と精査に二秒を使った。

 そんな彼女へ、壁面モニターの方から男性の声が話しかける。

「おはようございます、アカリ」

「おはよう、アダマント」

「なにか異常やリスクは確認できますか?」

「大丈夫そう」

「なによりです。それではワープ航行計算を開始します。」

 アダマントの音声は、なめらかで滑舌が良く柔和さを感じさせる。アカリというアンドロイドは女性にしては少し低く気怠げな印象だ。

 挨拶と労いは、人に作られた彼らの定型。それが無意味であると双方分かっているが、あえて失くす方向にも働かない。

 モニターはアカリの手に反応してスムーズに慣性を持ちながら動く。

 アカリは不必要なものは背後や遠くへ飛ばす。確認すべきものは拡大させる。モニターの中からまた別のモニターを取り出して近場に浮かせておく。文字は思考で入力する。

 その作業は遠くから見ると、薄暗い水槽の中で光を反射するクラゲを観察しているようだった。

 気配を感じ、アカリは下に向けていた顔を壁面モニターの方へ向けた。

 長髪を高く一つにまとめた女性が、アカリの前に立っている。アカリと同じ制服を着ていて身長は170を超えている。

「久しぶり、アカリ」

「あなたは私が眠ってる間、どうなってるの?」

「どうなってるっていうのは?」

「アダマントが出発した星雲からここまで、ワープロールの乗り継ぎと亜光速航行を使って一年と三ヶ月と少し。人間の感覚では相当な長さじゃない?」

「そこは大丈夫。時間感覚はある程度操作できるんだ。」

「アカリ、Lady Unrecognizedとお喋りですか?」

 アダマントの言葉に、モニターとアカリの間に立つ女性が喉を鳴らして笑う。アカリは睨むように、そんな彼女を見る。


 情報の質量化研究の途上に発見された思考のみの生命。彼女は自分を「夏姫」と名乗り、その他の四季を冠する姉妹たちと、この宇宙を創生したと語った。

 その思考体は、演算に近い動きをするエネルギーに宿る事ができる。それは宿ったもののエネルギー循環を、物理法則の制約を超えて強化させる事ができた。

 アカリというアンドロイドがアダマント以上の演算能力を持っているのは、彼女がアカリという機械を宿主にしているからだ。

 夏姫の存在は情報子エネルギーの研究に大きく貢献したが、あまりに科学を置き去りにした超常現象に、存在は秘匿され、研究者たちも彼女を当てにしなかった。


「アダマントに直接挨拶したいな〜」

「ナツの一部をアダマントに分割する以外に方法があるなら、なんとかするよ」

「うーん……多分無理」

 夏姫は自分のエネルギーを分割する事が出来たが、一度なんらかの機能と融合すると、そのエネルギー循環が停止するまで剥がす事は出来なかった。

 夏姫のエネルギーは「100%持っている状態」と「99%以下の状態」で全く違う振る舞いをする性質がある。

 ビッグバン宇宙の外側、Numerical Blackへ向かう探査船の防御を担うアカリは、夏姫のエネルギーを少しも分割してはいけない。

 無論、夏姫もそのことは承知している。

「今は完全な機械脳でもさ、元々は人間だったわけじゃん。もう少しユーモアに付き合ってくれてもいいんじゃない?」

「明確な文章情報ならまだしも、3000年前の感覚的な情報なんて欠片も残ってないよ。それにそれは、面白いユーモアなの?」

 ナツが口をへの字に曲げてアカリを見る。そして次の瞬間んふふ〜とニコニコと満足そうに微笑む。

 相変わらずコロコロと表情の変わる人格だ。

 アカリはナツのそんな態度を見届けると、またワープ計算の確認作業に戻った。

「Ladyはなんと言いましたか?」

「アダマント、ナツに挨拶してあげて」

「こんにちは、ナツ」

「……モニターに向かって手振ってるよ」

 壁面モニターの真ん中に、デフォルメされたパーの手が現れフルフルと数回振られるとポコンと弾けるように消えた。

 アダマントと自分が無意味な社交性を保ち続ける選択をしているのは、ナツの存在が大きいとアカリは考えている。

 ナツはモニターをペシペシと叩いて何度か頷くと、フワリと浮き、天井をすり抜け、アダマントの船内散歩に出かけて行った。

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