葵の記憶は断片的に蘇る。鮮明な映像と、鈍い痛み、そして絶え間ない恐怖が混ざり合った、混沌とした世界。
五歳頃: 夕食時、こぼした味噌汁を拭くのが遅かっただけで、母親に激しく掴まれた。小さな体では抵抗できない。鋭い爪が肌に食い込み、今でもその傷跡が薄く残っている。 母親の怒号が耳元で炸裂し、「役に立たない!」と罵倒された記憶。 兄の海斗は、いつものようにゲームに夢中で、妹の里緒菜は、小さく震えていた。
七歳頃: 学校で落とした鉛筆を拾おうとした時、転んで擦りむいた膝。痛みを訴えると、母親から「甘ったれるな!」と、激しい蹴りを食らった。 その時の痛みは、今も鮮明に覚えている。 その夜、兄の海斗は、いつものようにテレビを見ていて、妹の里緒菜は、自分のぬいぐるみを抱きしめていた。誰も、葵を気遣ってくれなかった。
十歳頃: 成績が悪かったという理由で、閉じ込められた納屋。暗闇の中で、一日中、何も食べさせてもらえず、ただひたすらに恐怖に震えていた。 渇いた喉、空腹、そして、孤独。 その時の絶望感は、今でも葵の心を締め付ける。 海斗は、そのことを知っていたはずなのに、何も言わなかった。里緒菜は、泣きながら、納屋のドアを叩いていたが、誰も開けてくれなかった。
十三歳頃: 初めて彼氏ができた。しかし、そのことを母親に知られ、激しい暴力を受けた。 殴られ、蹴られ、髪を掴まれた。 身体中が痛くて、動けなかった。 海斗は、その光景を、部屋から見ていた。里緒菜は、恐怖に怯え、何もできなかった。
十六歳:高校生活に期待するも、いじめにあい、それをきっかけに不登校になるが、両親からの理解も得られず激しい虐待を受ける。最期の日記を書いた後に自殺を図る。
これらの記憶は、断片的に、しかし鮮明に、葵の心を蝕んでいた。 それらは、葵の心を深く傷つけ、彼女を孤独に突き落とした。 そして、彼女を、今のこの状態にまで追い込んだのだ。 彼女は、誰にも、助けを求めることができなかった。 誰にも、理解してもらえなかった。
葵の死後、家族にはある「変化」が見られた。両親は離婚し、海斗は親と縁を切り独り暮らしをはじめ、里緒菜は親戚に引き取られたのだ。両親には虐待の疑いがかけられ、警察で拘留されることになった。もちろん、それらのことは葵は知るよしもなかった。