私は妻が好きだ。

　それはもう異常に好きだ。

　いやそうは言っても自分では普通に妻を愛しているつもりなんだが、先方、つまり妻からは「日本人離れした愛情表現」「もうちょっと愛情弱めでプリーズ」などと言われる始末だ。

　そんな妻は結婚した当初から割りと最近まで、私の事を『旦那さん』と呼んでいた。

　対して私は妻の事を『お嫁さん』と呼んでいたが、しかしこういったものは日々の生活の中で派生していくものだろう？

　『お嫁さん』から『お嫁』になって『およめ～』になって、長男が小さかった頃にやっていた教育番組に出てた羊のキャラクターの名前が混ざって『およめ～』が『およめ・ー・こ・ぶ・』になった。

　そこからはもう自分でもなんだかなと思うが、『およめーこぶ』がもうそのまま『めーこぶ』になり、『めーこぶ』の『めー』が取れて遂には『こんぶ』になった。

　だから私は、結婚して十年と少し経つ妻を『昆布』と呼ぶのだ。

　その昆布と私は付き合いの長さで言えば随分長くて、小学校で出会ってから……、もう三十年くらいになる。

　けれど間はがっつり空いてるから密度は前半と後半に集中している。

　そう、間ががっつり空いていたにも関わらず結婚にまで至る顛末について――

　唐突だが私は普段、同窓会なんかにはあまり顔を出さない。

　だが私の幼馴染みの男から、「SNSでやり取りしてる小学校の頃の連中と飲みに行くけど女の比率が高いからオマエも参加してくれ」とオファーがあった。

　確か、二十五を過ぎた頃だ。

　普段の私なら当然行かない。

　しかしさすがは幼馴染み、私の初恋をきちんと理解した上で、「あの子も来るから」と。

　そのあの子が『昆布』だった。

　私は参加した。

　そして昆布に、二・度・目・の・初・恋・をした。

　昆布が言うところの、日本人離れした愛情表現を武器に突撃し、そしてそのまま乱戦に持ち込み、紆余曲折を経てつき合い始め、付き合って三ヶ月でプロポーズし今に至る。

　あれから十年と少し、見詰められただけで赤面してしまう程に可愛かった昆布も、あの頃に比べれば少々老けた。

　吊り上がり気味だった目尻も少し下がり、スッキリしていたお腹も二度の出産を経て少し丸くなった。

　それでも、やっぱり、世界一可愛い私の昆布。

　異論は認めるが、私にとっては揺るぎない事実である。

　間違いない。

　そんな私でも、余所よその女性を可愛いと思う事はある。

　大抵は、可愛いと思った結果、それでもやっぱり、昆布の方が可愛いな、となる。ここまでがワンセットだ。

　部下に明るく気立ての良い、見目麗しい若い女性がいる。

　一緒に仕事をするにあたって、私を含めて男性社員のモチベーションも上がって、それは頗すこぶる楽しく喜ばしい事だ。

　そしてただ今、その明るく気立の良い女性社員から、「今度お食事行きませんか？」と誘われた。

　これはイケナイ。

　私は自惚うぬぼれでなく、それなりに異性の目を引く容姿をしている。

　この誘いはアレだ。火傷しかねないヤツだと考える。

　やや潤んだ瞳で下から私の顔を見上げ、そう告げた女性社員。

　物凄い破壊力だ。

　私は剣道をした事はないが、剣道で言うなら大上段から振り下ろした鋭い一撃。

　これにやられない男はいないかも知れない。

　しかし私は、この一撃を喰らわずに、受け止めずに、受け流す。

　こちらもやった事はないが、合気道で言う所の入り身いりみで懐に跳び込んで鋭い一撃を躱し、女性社員の耳元でソッと囁く。

「自分を大事にしなさい。私は昆こん……妻を、大事にしたい」

　私の返事を聞いた女性社員は、ぷーっと噴き出して笑い出した。

　彼女にそんな気はさらさら無かったらしく、大恥かいてしまった。

　今度結婚するのでスピーチを頼みたかったんです、との事だった。

　いやはや、赤面ものだ。

　鷹揚に頷いて、スピーチの件は了承し、しかし食事の件は丁重にお断りした。

　こん……、って何だったんですか？　

　などと女性社員に問われたが、ダンディな美中年上司で売ってるのに、妻を『昆布』と呼んでいる事がバレるのは頂けない。

　とりあえず曖昧に笑って誤魔化しておいた。

　さあ、愛する昆布が待つ我が家へ帰ろう。

　そして毎夜と同じく、愛してると昆布へ愛を囁いて、キスをせがんで拒・絶・されて、そんないつも通りの、愛すべき日々を大事にしよう。

　……もちろん拒絶されない方が嬉しい。今夜はシュークリームでも買って帰ろうか。

　もう一度だけ言おう。

　私の昆布が世界一可愛い。

　やはりこれについては異論を挟む余地はないと考える。

　よって異論は認めない。