ある曇り空の午後、物理学教授の久我淳一は大学構内のカフェテリアで、学生の宮本紗月に不意に話しかけられた。
「先生、コイントスって、本当に公平なんですか?」
久我は笑みを浮かべた。「公平かどうか、実は議論があるんだよ。ちょうど最近、ある論文がイグノーベル賞を受賞してね。それによると、コインは投げる前の面が出やすいらしい。」
紗月は目を輝かせた。「それって、確実に結果を操作できるってことですか?」
「理論的にはね。ただし、たくさん練習が必要だ。10,000回くらい投げれば、かなりの精度で制御できるかもしれない。」
その日から、紗月の部屋では毎晩コインの音が響き渡った。図書館から持ち帰った論文を何度も読み直し、自分の技術が向上する様子をノートに記録していった。目標は10,000回のコイントス。彼女の右手の親指は腫れ、指先には小さな擦り傷ができていたが、彼女は休むことなく練習を続けた。
三ヶ月後、紗月は久我教授の研究室を訪れた。手にコインを握りしめ、目を輝かせている。
「先生、私、結果を操作できるようになったかもしれません!」
久我は半信半疑でコインを受け取り、デスクの上に広げたメモ用紙を指差した。「じゃあ、試してみよう。最初に表を上にして投げて、結果を教えてくれ。」
紗月は深呼吸し、コインを指に挟む。軽やかに弾かれたコインは回転しながら宙を舞い、机の上に落ちた。表だった。
「ふむ、偶然かもしれない。もう一回。」
紗月は再びコインを投げた。表。続けて五回、十回と投げるが、すべて表だ。久我は腕を組み、目を細めた。「これは本物だな。」
そのニュースは大学中に広まり、やがてメディアの耳にも入った。紗月は「コイントスの天才」として注目を浴び、テレビ番組や雑誌のインタビューに引っ張りだこになった。彼女はその技術を利用して、小さなコンテストで賞金を稼ぎ、さらには地元の政治イベントの抽選でも見事なパフォーマンスを披露した。
しかし、ある日、一通の手紙が紗月の元に届いた。それは大手カジノチェーンからの招待状だった。ラスベガスでの「コイン操作トーナメント」への特別参加を求めるものだ。
ラスベガスの煌びやかな会場。紗月は照明の下で静かに深呼吸しながらコインを指先に乗せた。観客たちは息を呑み、彼女の指先の動きに注目している。最初の一投。コインは完璧な弧を描いて着地し、表。歓声が湧き上がる。
彼女は次々とコインを投げ、すべての試合で圧倒的な勝利を収めた。しかし、最後の試合で対戦相手となったのは、かつて彼女にこの技術の存在を教えた久我教授だった。
「面白い偶然だね、紗月。」久我は微笑みながらコインを手にした。「君が本当に偶然を制御できるか、見せてもらおう。」
緊張感が会場を包む中、二人は交互にコインを投げ合った。しかし、久我は紗月が知らないもう一つの技術を持っていた。「同じ面バイアス」を逆に利用し、結果を読んでしまうのだ。最後の一投。久我が投げたコインは机に落ち、表を向いた。
試合後、紗月は久我に尋ねた。「どうして先生は私に勝てたんですか?」
久我は静かに答えた。「技術だけじゃなく、相手の癖を読むのも科学だよ。そして科学には、たとえ偶然に見えても必ず法則が隠されている。」
紗月は悔しさを感じつつも、彼の言葉に新たな決意を抱いた。そして再びコインを握り、未来の挑戦に向けて歩き出した。