「はぁ、はぁ……っ」
全身が汗でぐっしょりだった。呼吸も荒い。心臓がうるさいくらいに鳴ってる。
あの“夢”——いや、“記憶”。
どうして、あんなにも鮮明に蘇ったんだろう。
……違う。
忘れていたんじゃない。
思い出さないように、ずっと……心の奥に蓋をしていただけだったんだ。
でも——
あれは本当に霊なのか?
姿も声も、これまで出会ってきた霊とはまるで違ってた。
何重にも重なった低い声。血の涙。意思疎通なんて、できる気がしなかった。
——迦夜……。
美琴は、あれと祓おうとしてるのか?
……無理だ。
あんなのを祓える未来なんて、まるで想像できなかった。
美琴が「一人では祓えない」って言ってたけど……それも当然だって、夢が教えてきた。
僕も——戦えるようにならなきゃいけない。
──
次の日の朝。
目覚ましが鳴る前に、僕は目を覚ました。
夢の中の迦夜が、頭から離れない。
その異質な姿。狂気の笑い声。そして、母さんを襲った“あの光景”。
「………。」
もう、守られてばかりじゃいられない。
布団を跳ね飛ばして立ち上がると、制服に着替えながら心を決めた。
《僕も、強くなる》
幽界の力——“霊眼術”を使っても、前みたいにぐったりすることは減ってきた。
霊の記憶に触れたら流石に消耗するけど、術を発動するだけなら、美琴が言ってた10分はもう普通に超えられるようになっている。
だけど、それじゃ足りない。
“見る”だけじゃ、美琴を守る力にはならない。
僕は学校に行く前、誰もいない林へと足を運んだ。
そのまま荷物を木の根元に置き、深く息を吸い込む。
「……幽界の加護を此処に集めよ。我が祈りにて我を守り給え——」
小さく詠唱し、イメージを重ねていく。
青い霊気が膜となって張り巡らされる様子を、頭の中でしっかり描いて——
「幽護ノ帳(ゆうごのとばり)!!」
パァンッ!
目の前に、青く光る半透明の結界が展開された。
(よし……ちゃんと出せた。)
実はずっと、こっそり練習してたんだ。
日常の中で、美琴の詠唱を耳にしては脳内で再生して覚えて——
廃工場の時点で、実はもう結界の術はだいたい体に染みついてた。
でも、僕は支えたい。
ただの足手まといじゃなくて、美琴と“並んで”戦えるようになりたい。
だから——
「星燦の礫!!」
ビッ!
青白い光の弾が、手のひらから飛び出した。
放った光弾が、展開した結界へと一直線にぶつかる。
バンッ!!
結界が僅かに押された。
(……ちゃんと威力は上がってる)
もう一度、力を込めて構える。
手にした勾玉が赤く輝き始め、僕の霊気を包み込むように共鳴する。
赤と青が混ざり合い、空気がピリピリと震える。
「星燦の礫!!」
ドンッ!!!
今度はさっきよりも大きな音を立てて、結界が押される。
そして表面は大きく波打っていた。
手のひらがジンと熱い。
でも、心の中は冷静だった。
(……よし。前よりも、確実に力はついてる)
授業のチャイムが鳴るギリギリまで、僕は一人で特訓を続けた。
全部は——
美琴を、支える為に。
──数日後の夜、美琴から一通のメールが届いていた。
《悠斗君、次の休みの日、琴乃姉さんに会いに行きます。一緒に来ますよね??》
次の休みの日……今は水曜日。だから、三日後の土曜日だ。
《わかった。もちろん一緒に行くよ。》
そう返信すると、すぐに返事が届いた。
《ありがとうございます!楽しみにしてます!おやすみなさい!》
その文字を見た瞬間、不思議と胸があたたかくなった。
たった数行のやり取りなのに、心がふっと軽くなる。
気づけば、僕は自然と微笑んでいた。
――あぁ。
僕は、美琴のことが……好きなんだ。
はっきりと、そう自覚した。
いつからだっただろう?
廃病院。
風鳴トンネル。
温泉郷――
できれば思い出したくない、廃工場。
明確に「恋」だと気づいたのは、たぶん……廃工場だ。
無茶をした僕に、彼女は真剣な顔で怒ってくれた。
「無茶しすぎです!!」
そう言いながらも、血に濡れた僕を、何のためらいもなく抱き締めてくれた。
恐怖の中で、あの温もりは確かに僕を救った。
あの瞬間――心が決まった気がした。
たぶん、本当はもっと前から。
初めて出会った時、桜翁のもとで彼女を見たときから、僕の心は動いていたんだ。
あの儚くて、どこか寂しげな少女。
でも、その目はまっすぐで、綺麗で。
今でも、あの瞬間の光景が脳裏に焼き付いている。
日常の中で、美琴と話しているだけで、心が温かくなる。
ふとした瞬間の笑顔や横顔に、胸が高鳴る。
……そのすべてが、心地いい。
そうか。
僕は、美琴のことが本当に、好きなんだ。
彼女が“姉”と慕う人に会うなら、ちゃんと挨拶しなきゃ。
失礼のないように、今のうちに練習でもしておこうかな。
鏡に向かって「初めまして、悠斗です」なんて、こっそり呟いてみたりして。
「……ははは。」
我ながら、ちょっとらしくないかもしれない。
でも、そんな自分すら――今は、少し楽しいと思える。
《うん。僕も楽しみにしてる。おやすみ》
そう返したメールの文字を見つめながら、僕は心の奥で、ひとつの決意を固める。
彼女のことが、こんなにも大切なんだ。
だからこそ――
僕は、必ず彼女を守れるようになる。
そう、心の底から、強く誓った。