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五話

静まり返った病室。


窓の外では、夕陽がゆっくりと沈み、薄紅の光がカーテンを柔らかく染めている。


母の寝息が、機械の規則的な音と重なり、かすかに響いていた。


僕と美琴は、ようやく心を落ち着かせた。


彼女が泣き崩れてから、しばらく時間が経ったが、まだ微かに瞳の端が赤いままだ。


それでも、美琴は深呼吸を一つし、真剣な表情で僕を見つめた。


「では、悠斗君……遥さんの状態を確認します。」


その一言に、僕は自然と息を詰めた。


美琴が母の枕元へと歩み寄る。


そして、ゆっくりと手をかざした——その瞬間だった。


バチッ!!!


まるで見えない何かに弾かれたかのように、美琴の体がわずかに跳ねる。


「っ……!!!」


顔をしかめ、額に汗を滲ませる美琴。


「ど、どうしたの!?」


異様な光景に、思わず僕は彼女に駆け寄った。


「……悠斗君に、二つお話があります。」


眉を寄せ、息を整えながら、美琴がゆっくりと口を開く。


「一つ。遥さんは、呪いが薄い。つまり、巫女の力を使っても——私ほど酷い代償はありません。」


「——!」


その言葉を聞いた瞬間、安堵と……複雑な感情が胸を駆け巡る。


母さんが酷い苦しみに苛まれないのは、もちろん嬉しい。


でも……。


「二つ目。」


美琴が、静かに続ける。


「悠斗君のご家族を襲った霊——そして、私の家族を殺した霊——それは、同じ霊です。」


「……え?」


脳が一瞬、停止する。


同一人物?


母さんと美琴の家族を襲った霊が、同じ……?


「でも……そんなの、偶然っていうか……」


「いえ。」


美琴は首を横に振る。そして、真っ直ぐ僕の目を見つめ、次の言葉を紡いだ。


「私たちの故郷——蛇琴村では、この霊を 迦夜(かや) と呼んでいます。」


「迦夜……?」


その名を口にした瞬間、背筋に冷たいものが走る。


ただの名前なのに、何か……得体の知れないものが、すぐそこにいるような感覚。


「迦夜は、非常に強い怨念を持った霊です。この国のどこにでも移動することができ、その力は……私一人では間違いなく祓えません。」


——美琴でさえ祓えない。


その事実が、現実味を帯びて胸に突き刺さる。


美琴が祓えないほどの霊……そんなものが、ずっと彷徨い続けている?


「……だけど、美琴……」


「はい?」


「じゃあ今、そいつはどこにいるの?」


それが、一番気になった。


もしそんな危険な霊が、どこにでも移動できるなら——もしかして、すぐそこにいるんじゃないのか?


美琴は少し表情を曇らせ、低く答えた。


「……それが分かれば、もう戦っています。」


「……え?」


「迦夜の痕跡をたどろうとしましたが、桜織市で完全に途絶えました。」


その言葉に、少しだけ安堵する。


だけど、すぐに美琴の視線が鋭くなる。


「悠斗君……迦夜は、いつまた現れてもおかしくありません。」


「……」


「この町に、まだ潜んでいるのか……それとも、またどこかへ移動したのか……。」


美琴の声には、抑えきれない緊張感が滲んでいた。


彼女にとって迦夜は、家族の仇。絶対に許せない存在。


「話が飛んでしまいましたね……。」


美琴は再び、母さんの方を見やり、口を引き結ぶ。


「遥さんは、おそらく迦夜によってこうなったのだと思います。彼女の周りには、迦夜の霊力がわずかに残っていました。」


「……迦夜……。」


思わず、その名を噛み締める。


10年前、母さんを意識不明にした霊——

そして美琴の家族を殺した霊——


同じ存在。


そう思うと、胸の奥から、どうしようもない怒りが込み上げてきた。


「美琴……」


絞り出すように声を発する。


「もし……もし対峙する時が来たら……僕も——」


「悠斗君。」


美琴が静かに遮る。


「本当に危険ですよ? それこそ、あの殺人鬼の比じゃありませんから。」


——廃工場で戦った、殺人鬼の霊。


黒崎剛三。


あいつとは、比較にならないほどの強さ——


「それでも。」


僕は、息を吸い、拳を握る。


「もっと……強くなる。だから、迦夜がもし現れたら、一緒に戦おう。」


自分でも驚くほど、はっきりと言った。


美琴は、じっと僕を見つめる。


長い沈黙。


そして——


「……私一人では、祓えません。」


彼女は、わずかに微笑んだ。


「だから、その時は……悠斗君の力を借りたいです。」


病室の静寂の中、僕たちの視線が交差する。


外では、夕陽が沈みかけていた。


ゆっくりと夜の帳が降りる頃——僕たちの運命もまた、大きく動き始めていた。



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